★ 意識朦朧!前後不覚!名うての酒豪もギブアップ!
  〜 日本史上最強酒豪決定戦!亭子院の酒合戦!!

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もうろう会見と酒好き日本人
1.鬼退治
2.八人のバケモノ
3.そして一帯ゲロの海

 平成二十一年(2009)二月十七日、麻生太郎(あそうたろう)首相の盟友である中川昭一(なかがわしょういち)財務相が辞任した。
 ローマにおける先進七か国財務相・中央銀行総裁会議
(G7)直後に、へべれけ状態で記者会見を行ったことによる引責辞任であった。
あのぉ〜、フゥ〜。ZZZ……。−(中略)− どこだ!?」
 いわゆる「もうろう会見」に、世界が笑い、日本が泣いた。

 財務相(かつての蔵相)の泥酔辞任といえば、六十年前にもあった。
 昭和二十三年(1948)十二月十三日、時の泉山三六
(いずみやまさんろく)蔵相は、国会中に泥酔し、議員食堂前の廊下で山下春江(やましたはるえ)衆院議員に抱きついた。
好きだ!キスさせてくれ〜」
いやです!」
「何を〜、吸えないなら、噛
(か)んでやる〜」
 ガブッ!
「ギャー!」
 翌十四日、泉山は蔵相を引責辞任し、衆院議員も辞職した。

 程度のほどは中川よりひどいが、テレビ網が未発達でインターネットもなかった当時に、その醜態が世界配信されることはなかった。反響の大きさでは、彼は軽く泉山超えを果たしたわけである(オメデトウ!)

 日本人は昔から酒好きであった。
 かの『魏志』倭人伝
にも、
「人性酒を嗜
(たしな)む」
 と、わざわざ記されているほどである。
 そのためか、日本史上には飲酒時の醜態話は数多い。
飲酒味」でも紹介したが、天下の福沢諭吉ですら、あの体たらくなのである。

 外国人が不思議に思うことがあるという。
「今夜は残業で接待なんですよ〜」
 そうである。
 日本人には酒を飲まなければできない仕事もあるのである。

 人は酒を飲むと頭も体も鈍くなる。
「酔ってないよー」
 本人は自覚していなくても、周りからは一目瞭然
(りょうぜん)である。
 このため、酒を飲ませて酔わせてから暗殺するという汚い手がよく行われた。
 八岐大蛇
(やまたのおろち)、酒呑童子(しゅてんどうじ)足利義教(「クジ味」参照)、シャクシャインらはこのやり方で討たれている。
「おれは酒はいらない」
 そういう人は風呂に入れ、丸腰にしてから暗殺するのである。
 源義朝源頼家、太田道灌
(おおたどうかん)、細川政元(ほそかわまさもと)らが、このやり方で殺されている。
 織田信長
(「2銃器味」など参照)が酒を飲まず、宮本武蔵(「五輪味」など参照)が風呂に入らなかったのは、暗殺を防ぐためではなかったであろうか?
 源実朝
(「将軍味」参照)、清川八郎(きよかわはちろう)坂本竜馬らも、酔ってさえいなければ逃亡できたかもしれない。要人はやはり用心が肝心である。

 命を落とさなくとも、酒は重大な過失をもたらすものである。
 砦
(とりで)を乗っ取られちまった薄田兼相(すすきだかねすけ。隼人)、妻を斬(き)っちまった黒田清隆、ニコポン主義に陥落した藤沢元造(ふじさわもとぞう。「 総理味」参照)などなど、泥酔時の失敗は枚挙に暇(いとま)がない。

 大酒が原因で病気になり、早死にしてしまった人も多い。
 中国地方の戦国大名毛利元就
は、父(弘元)や子(隆元)がアル中で若死にしたため、自分は飲まず、七十五歳まで長生きした。
「酒は飲んでも呑
(の)まれるな」
 まったく、その通りであろう。

 自己の醜態は気にならないが(というより覚えていないが)、他人の醜態は目に付くものである。
少年(青年)、大志を抱け!」
 で、おなじみのアメリカの教育家クラークは、当初はアルコール・ラブであったが、札幌農学校に赴任した時、酒乱の学生の醜態を見て愕然
(がくぜん)として禁酒し、学生たちにもやめさせたという。

 一方で「酒は百薬の長」とも、「酒は憂いの玉箒(たまばはき)」ともいわれている。
 適度の酒はどんな薬よりも効き、心配事や暗い気持ちを吹き飛ばしてくれるというのである。
 が、過ぎたるはなお及ばざるがごとしであろう。

 それにしても不可解なことがある。
 明らかに度が過ぎていると思われる酒豪でも長寿の人がいないわけではないのである。
 明治時代随一の日本画家・横山大観なんぞは酒を主食にしていたらしいが、九十一歳という天寿を全うしている
(「芸術味」参照)
 以下に日本史上有名な酒豪を列挙してみたが、この中にも何人か長寿の方が存在する。 

 では、日本史上最強の大酒豪は誰か?
 上記から選ぶとすれば、四斗兵衛の異名があったという和田義盛ではなかろうか?
 四斗!つまり一升の四十倍も酒を飲んだというのである!
(死んでるだろ!)

 ところが、平安時代にはもっとすごい酒豪たちがキラ星のごとくひしめいていた。
 一石
(百升。約百八十リットル)飲んでも水を砂に注ぐがごとし!というバケモノ大酒豪が、同時期になんと八人もいたのである!

 延喜十一年(911)六月十五日、八人のバケモノ酒豪は日本一をかけて天覧試合を行った。
 というわけで今回は日本史上最強酒豪決定戦「亭子院(ていじいん)の酒合戦」をお届けしたい。

 あ、初めにお断りしておきますが、泥酔者がどのような状態になるかは皆様御存知と思いますので、どうかお食事中には御覧にならないでください。
 また、良い子や悪い子はもちろんですが、良い大人も悪い大人も決してマネをしないでください。死んだ本人はもちろん、御遺族の方々まで指を差されて笑われること請け合いです。

[2009年2月末日執筆]
参考文献はコチラ

「亭子院の酒合戦」登場人物

【藤原伊衡】ふじわらのこれひら。右兵衛佐。八大戸の一。イケメン。

【藤原経邦】ふじわらのつねくに。出羽守。八大戸の一。暑苦しい男。

【藤原仲平】
ふじわらのなかひら。参議。八大戸の一。
【藤原忠平】ふじわらのただひら。大納言。仲平の弟。

【平 希世】たいらのまれよ。散位。八大戸の一。
【藤原兼茂】ふじわらのかねもち。右近衛少将。八大戸の一。
【藤原俊蔭】ふじわらのとしかげ。右近衛少将。八大戸の一。
【源 嗣】みなもとのつづく。兵部大輔。八大戸の一。昇の子。
【良岑(良峰)遠視】よしみねのとおみ。兵部少輔。八大戸の一。

【紀 貫之】
きのつらゆき。伊衡の歌友。いちおう男。
【源 昇】みなもとののぼる。中納言。嗣の父。

【宇多法皇の妻子たち】
【公卿百官たち】
【女官たち】
【宇多法皇の愛猫】
【見事な駿馬】

【藤原忠房】ふじわらのただふさ。宇多法皇の腹心。

【敦慶親王】
あつよししんのう。宇多法皇の皇子。プレイボーイ。

【伊 勢】
いせ。女流歌人。宇多法皇・敦慶親王・藤原仲平らの愛人。

【宇多法皇(天皇)】
うだほうおう。伝五十九代天皇。


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