2.八人のバケモノ

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もうろう会見と酒好き日本人
1.鬼退治
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3.そして一帯ゲロの海

 こうして八名の大戸が選ばれ、亭子院の水閣完成式典において、宇多法皇の御前で飲み比べをすることになった。
 時に延喜十一年(911)六月十五日。
 司会や審判は藤原忠房が務めたのであろう。
「みなさま、お待たせしました!これより日本一の大戸を決定する闘酒会を開催します!」
 観客は宇多法皇のあまたいる妻子たち及び、主だった公卿百官女官たちである。
「よっ!待ってました!」
「誰だ?誰が出るんだ?」
 宇多法皇の皇子の一人・敦慶
(あつよし)親王が、隣にいた伊勢に話しかけた。
「楽しみですねっ」
 そう言いながら、ひそかに恋文を隠し渡す。彼は容姿端麗・好色絶倫で知られ「玉光宮」と呼ばれていた。すでに異母妹・均子内親王
(きんしないしんのう)と結婚していたが、玉の光は年中キャンペーン中、あっちこっちで浮名を流しまくっていた。
「あら、いけないわ」
 伊勢は口では言いながら、文は受け取っていた。ちらと宇多法皇のほうを見やってから、満面の笑みを敦慶親王に向けた。
「終わった後も楽しみ〜」
 この翌年頃、二人の間には三十六歌仙に列する女流歌人・中務
(なかつかさ)が誕生するのである。

 忠房が闘酒会の競技方法を説明した。
「酒は普段よりかなり強い酒を用意いたしました。そうです。この巨大な杯で順に飲んでもらうんです。驚きですねー!大丈夫です。杯の内側に目盛りを付けましたし、私が見張ってますので、飲む量は全員平等です。で、先に倒れたり、吐いたり、眠ったりした者を負けとします。参加賞は全員に与えられますが、優勝者には特別にあちらの馬が与えられます」
 忠房が指し示した水閣には、見事な駿馬
(しゅんめ)がつながれていた。
「おー!」
 観客はどよめいた。
 駿馬は今でいう高級車のような感覚であろう。
「いい馬だー。おれもほしいー」
「いったい誰がもらうんだ?」
「しまった。ボクもダメモトで出りゃよかった〜」
 忠房が騒ぎ出した観客を制した。
「みなさんお静かに!八名の大戸が入場します!」
 観客は静まり返った。
「一人目は参議藤原仲平卿!」
 観客はざわめいた。
 仲平は藤原北家出身。左大臣時平の弟で、現職政界ナンバーツー大納言藤原忠平の兄であった
(「藤原北家系図」参照)
 忠平も、兄の酒豪っぷりには太鼓判を押していた。
「兄は政治的にはたいしたことはないが、酒量だけは万人を超越している。一族束になってかかっても、酒で兄に勝てる者はいなかった。その兄に勝てる者がいるのであれば、ぜひ、この目で見てみたいものだ」

醍醐天皇政権閣僚(911.6/当時)

官 職 官 位 氏 名 兼官
天 皇 醍醐天皇
右大臣 正二位 源 光 左近衛大将
大納言 従三位 藤原忠平 春宮大夫・右近衛大将
中納言 従三位 源 湛 按察使
中納言 従三位 源 昇 民部卿
中納言 従三位 紀長谷雄 左大弁
権中納言 従三位 藤原道明
参 議 従三位 藤原有実 左衛門督
参 議 従三位 十世王 宮内卿
参 議 正四位下 藤原清経 右衛門督
参 議 正四位下 藤原仲平 左兵衛督
参 議 従四位上 藤原興範 大宰大弐
参 議 従四位上 藤原定方 右近衛中将
参 議 従四位下 藤原清貫 右大弁

「続く二人目の登場です!兵部大輔(ひょうぶのたいふ)源嗣(みなもとのつづく)!」
 嗣は嵯峨
(さが)源氏。左大臣源融(とおる)の孫で、現職政界ナンバースリー中納言・源昇(のぼる)の子である(「嵯峨源氏系図」参照)
「ガンバレよ、息子!」
 昇も自邸である京極河原院から応援に来ていた。
 そう。藤原褒子が囲われている、あの秘密の邸宅である。

「三人目は右近衛少将(うこのえのしょうしょう)藤原兼茂(かねもち)!」
 兼茂は藤原北家。利基
(としもと)の子で、兼輔(かねすけ。「2005年7月号 詐欺味」参照)の兄である(「藤原北家系図」参照)
 これより十二年後、兼茂は勤務中に飲酒中、脳卒中で死んでしまうのであった。

「四人目は同じく右近衛少将・藤原俊蔭(としかげ)!」
 俊蔭は別名後蔭
(のちかげ)藤原北家出身で、中納言有穂(ありほ)の子である(「藤原北家系図」参照)
 観客は沸いた。
「すごいなー!とんでもない飲兵衛ばかりだよー」
「何せ日本一の大酒飲み決定戦だからな」

「五人目は出羽守藤原経邦(つねくに)!」
 経邦は藤原南家。近江守有貞
(ありさだ)の子である(「藤原南家系図」参照)
 酒量もすごいが、声がでかく、自尊心が高く、暑苦しく、とにかくうるさい男であった。
「どいつもこいつも目ん玉ひんむいて見てろよ!最後に勝つのはこのオレサマだー!」
 後に彼の娘・盛子
(せいし)摂関家の祖モロスケベ藤原師輔(もろすけ)に嫁し、伊尹(これまさ・これただ)・兼通(かねみち)兼家・安子(あんし。村上天皇皇后)・登子(とうし。尚侍)を生むのであった(「2006年11月号 安倍味」参照)

「六人目は兵部少輔(ひょうぶのしょう)良岑遠視(よしみねのとおみ)!」
 この人は武官というだけで詳しい系譜が明らかではないが、良岑
(良峰)氏というのは桓武天皇(「2005年5月号 怨念味」など参照)の皇子・良岑安世(やすよ)の子孫である(「良岑氏系図」参照)

「七人目は右兵衛佐(うひょうえのすけ。一説に左兵衛佐)藤原伊衡(これひら)!」
 伊衡は藤原南家。承和の変
(「2002年11月号 告発味」参照)橘逸勢らを逮捕した富士麻呂(ふじまろ)の孫で、歌人で右兵衛督(うひょうえのかみ)であった敏行(としゆき)の子である(「藤原南家系図」参照)
 先述した経邦の母は富士麻呂の娘なので、伊衡の従兄弟に当たる。

 伊衡の登場には、女性陣が色めきたった。
 彼はさわやかなイケメンなのだ。
「キャー!伊衡様ー!」
「かんばってー!」
「私を見てー!私だけを見てー!」
 女官たちの中には声を上げて応援する者も多々あった。
 伊衡が声の方に手を振ると、たちまち数人が、
「きゅ〜ん」
 幸せそうに失神した。

「好みよ、好み〜」
 伊勢までボーっと伊衡を見ていた。
 敦慶親王は舌打ちしたが、思い聞かせた。
(なーに、我慢だ。ヤツはこれから醜態をさらし、オレは今夜、正体を明かすのだ。ひっひっひ!)

 もっとおもしろくなかったのは経邦である。
 彼は伊衡だけに沸き起こった黄色い声に腹を立てた。
「生意気だ!お前にだけは絶対に勝つ!」
 経邦に暑苦しく宣戦布告されても、伊衡は涼しげに笑っているだけであった。
「キャー!伊衡さまったら、オトナ〜!」
 女官たちはますますメロメロ失神した。
 すでにこちら側は泥酔者続発であった。

 伊衡には男の応援団もあった。
 彼は紀貫之率いる新鋭歌壇のメンバーであった。
「伊衡ちゃーん、がんば!負けたらアタシがオシオキよっ!」
 貫之もふざけて黄色い声を上げていたが、彼はいちおう男である。

「最後の八人目は散位(さんい)平希世(たいらのまれよ)!」
 希世は仁明
(にんみょう)平氏。雅望王(まさもちおう)の王子である(「仁明平氏系図」参照)
「私の人気も捨てたもんじゃないね」
 希世は観客の歓声に気を良くしていたが、それは伊衡に対する歓声の単なる惰性であった。
 これより十九年後、彼は落雷に顔を焼かれて死んでしまうのであった。

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