3.そして一帯ゲロの海

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もうろう会見と酒好き日本人
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3.そして一帯ゲロの海

 ジャーン!
 銅鑼
(どら)が鳴らされ、闘酒会が始まった。
 藤原忠房が巨杯に酒を注がせ、大戸たちに勧めた。
「一杯目、始めます。どうぞ」
 飲む順番は明らかではないが、官位が低い者から飲み始めたのではあるまいか。
 ということにして、まず平希世が杯を口にした。何口か飲んで少々顔色が変わったが飲み干した。
「濃いっすねー!」
 忠房が嬉しそうに笑った。
「特別仕様ですから〜」
 続いて藤原伊衡も飲んだ。
「うん。美味なるかな」
 やや顔が赤らんだが、それでも涼しげでさわやかであった。
「キャーキャー!」
 女官たちのほうがよほど酔っていた。
 さらに良岑遠視が、
「うまーい、もう一杯!」
 と、飲み干し、藤原経邦はゴクゴク音を立てて完飲した。
「プハーッ!何杯でもどんどん来いやー!」
 経邦がほえればほえるほど、観客はさめた。
 藤原俊蔭、藤原兼茂、源嗣、藤原仲平も難なく飲み干した。
「うん。めっちゃ濃いが、うまい!」
「味が分かるうちは大丈夫」
「でも、ほてってきたなー」
「ハハ!闘志を燃やすにはちょうどいい心地だ」

「二杯目、始めます。どうぞ」
「三杯目、どうぞ」
「四杯目でどうだ?」
 杯が重ねられたが、さすがに名だたる大戸どもだけあって、酔っ払ってはきたものの、まだ余裕であった。
 経邦はただでさえ声がでかいが、酔うほどにますます大声になり、怒りっぽくなった。
「はよ飲まんかボケ!苦しいんなら、やめちまえっ!」
 希世は泣きながら飲んだ。
「私は泣き上戸なだけなんですよ〜。まだまだいけますって〜」
 遠視はしゃっくりが出始めた。
「ウィッ!」
 兼茂が気遣った。
「どうした?よしみむねのともみみ」
 嗣が突っ込んだ。
「噛んでんじゃねえ!」
 仲平は笑い上戸であった。
「ハーッハッハッハ!愉快すぎてビックリ!」
 伊衡は、赤味は増したものの、まだまださわやかな笑顔をたたえていた。

 忠房はさらに杯を勧めた。
「五杯目で、どーよ」
 宇多法皇は感心した。
「みんな、すごいな。さすがは天下の大戸どもだ」
 ところが、宇多法皇が喜んでいたのは、この辺までであった。
「六杯目、いきます」
「七杯目、いけますかな?」
 ついに脱落者が出た。
 最初に脱落したのは希世であった。
「あのぉ〜、フゥ〜。ZZZ……。どこだ!?」
 希世は厠
(かわや。便所)へ行こうとしたが、方向もわからず、門外でバッタリ倒れ、そのまま眠ってしまった。
「平希世、七杯目で失格〜」

「勝った!まずはひとりに……」
 他の大戸は喜んだが、すでに彼らも酩酊
(めいてい)し、意識朦朧(もうろう)としてふらついている者ばかりであった。
 仲平は、
「ファッハッハヘッホッ!」
 変な声で笑ったあと、
 だー!
 と、一気に吐いた。
 仲平は我に返った。
「何ぃ〜、やっちまったなー!」

 それが一種の合図であった。
「うぷっ!」
「ごふっ!」
「ゲホッ!」
「いかん!おえー!」
 ゲロゲロ、だー!
 どろどろー!だー!
 じゅびじゅび、だだー!
 たらだらだら!だー!だー!!だー!!!
 俊蔭も嗣も兼茂も遠視も総崩れで争うように嘔吐
(おうと)を開始したのである。
 すでに眠っていた希世ですら、こんこんわき出ずる泉のようにコポコポと寝ゲロを吐いていた。

 ただ、伊衡だけはさわやかに飲み続けていた。
「あれ〜?いつの間にか、もう私だけ?」
「まだまだ……。ここに、オレサマが、いるぜえ……」
 もう一人残っていた経邦は、遠のかんとする意識の中、時折大波小波のように押し寄せてくる猛烈な吐き気に必死に歯を食いしばって耐えていた。
「うぷぷぷっ!」
 口の中まであふれ出てきたものを無理やりゴックンしてまでがんばったのである。
(オレは負けんぞー!絶対に伊衡だけには負けてたまるかーっ!)

 しかし、
「八杯目、いきますか?」
 忠房が差し出した巨杯を目の前にして、ついに経邦は決壊した。
 ぶぶぶ!ぶっぶっぶっ!
 びしびしびし!!
 だ、だっ、だっ、だっばあーーーーーーーーん!!!
 じゅびじゅびじゅび!どっくんどっくんどっくん!ぶっしゅーん!ぶっしゅーん!!しゅーんしゅーん!!!
 経邦は断末魔の大噴水を上げるや、スローモーションのようにゆっくりゆっくり仰向けに転倒したのであった。
 ドドーン!
「うう……、無念……。死んだ……」

 経邦のゲロ噴水は空高く舞い上がり、霧雨となってしとしとと観客に降り注いだ。
 観客は騒ぎまくった。
「汚ねー!」
「おえっ、気持ち悪いってもんじゃねえー!」
「酒くせえのなんのって!」
「クッサー!すっぱクサァー!」
「ねちゃねちゃどろどろー!」
「ハア!ハア!息苦しいわ〜」
「目も開けてらんない〜」
 観客は右往左往し、大混乱に陥った。
「逃げろー!」
「逃げるなー!そっちにもゲロの海があるぞー!」
「ホントだ!滑った!」
 すってんころりん!
「ゲロゲロまみれ〜。気持ち悪い〜。おえー!」
 どろどろどろ!
「わたしも吐きそう〜。おえー!」
 げろげろげろー!
「ボクも、おえー!」
 でれでれでれー!
「負けずに、おえー!」
 どぶどぶどぶー!
「やめろー!これ以上ゲロの海を増やすなー!身動き取れない、おえー!」
 どろんどろん!ぐっちゃんぐっちゃんぐっちゃんちゃん!
「わーい!わーい!」
「もうヤケクソだ〜」
 つるりーん!どろりーん!
「コラーッ!滑って遊ぶなーっ!」
 べちゃ!べちゃ!
 ぬりぬり!ぬりぬり!
 どったん!ばったん!んごろんごろ!
「投げつけるなー!塗りつけるなー!!のた打ち回るなぁー!!!」

 一方、忠房はまだ伊衡に杯を勧めていた。
「九杯目をどうぞ」
 ゴックンゴックンゴックンクーン!
「おかわり!」
「あらら十杯目!まだいけますか!すごいですねー!」
 宇多法皇が鼻をつまみ、口で息をし、目をしょぼしょぼこすりながら怒り出した。
「忠房!いつまでやっているのだ!勝負はついているではないか!もうやめ!終了っ!」
「そうですね。では伊衡殿、とっとと馬をもらってお帰りください」
「うーん、そうする。あれー、目が回る〜」
 よろよろ、すってん!
「あー、一張羅がベタベタだ〜」
「足元お気をつけください。ほらほら!ほかの大戸たちもいつまでも寝てないでもう起きてお帰りください!こらっ!衛府
の方々も気持ち悪がらずに送ってあげなさいよー。掃部寮(かもんりょう。「古代官制」参照)の人々も掃除も忘れずにっ!逃げるなって!掃除!掃除!あー、あなたがたまで吐くのはやめてください!吐かずに掃いてくださいって〜!」
 忠房が宇多法皇に向き直って聞いた。
「あはっ!お楽しみできましたか?で、第二回大会はいつ開催しましょうか?」
 宇多法皇は滑らないよう両足を踏ん張ると、こぶしを結び、天を仰いで絶叫した。
「ぐわぁー!こんなこと、もう二度とするもんかぁーーー!!!」

[2009年2月末日執筆]
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