1.奮戦!垣屋頼忠!!

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1.奮戦!垣屋頼忠!!
2.最期!山名氏清!!
3.悲劇!山名煕氏!!
4.偽装!土岐満貞!!
5.出家!山名義理!!
6.哀絶!氏清の妻!!
山名氏清 PROFILE
【生没年】 1344-1391
【本 拠】 和泉堺(大阪府堺市)ほか
【職 業】 武将
【役 職】 山城・和泉・丹波・但馬守護
・民部少輔・陸奥守
【 父 】 山名時氏
【 妻 】 藤原保脩女
【兄 弟 】 山名師義・義理・氏冬・時義・義数
・義継・氏重・高義・義治・氏頼
【 子 】 山名時清・満氏・氏利・教孝
・氏明・久氏・時家・女(山名満幸室)
・女(山名時煕室)・煕氏(小次郎)ら
【 甥 】 山名満幸・時煕・氏之(氏幸)・氏家ら
【没 地】 京都二条大宮(京都市上京区)

「山名高義(やまなたかよし)・小林義繁(こばやしよししげ)殿、内野口(うちのぐち。京都市上京区)、二条大宮でお討ち死にー!」
 山名氏清が緒戦の敗報を受けたのは、桂川を渡り、今まさに西八条
(にしはちじょう。京都市右京区)から内野口へと軍を進めようとしていたときであった。
「おいたわしや〜」
 使者は泣いたが、氏清は気丈であった。
「弓矢を取る身の習い、思い設けたる道なれば、悲しむべきにあらず」
 が、鬼こごめと呼ばれた高義・義繁両名を一挙に失くしたことは、さすがににショックであった。
  側近・山口弾正
(やまぐちだんじょう)が聞いた。
「どうします?義理
(よしただ)さまの御到着を待つという手もありますが」
「いいや。ここで退けば、高義や義繁らに申し訳ない。満幸はまだ戦っているのだ。ようはわしらが勝てばいいのだ。わしらが優勢になれば、義理兄は勝ち戦に加われるというものだ。内野口に軍を進めよっ!高義・義繁らが将軍の陣を崩してくれたのだ!彼らが逝った二条大宮で天下の雌雄を決すべしっ!」
「おおーっ!」

 氏清軍二千は七条大路を東へ進み、七条大宮(しちじょうおおみや。京都市下京区)から北上、別働隊・山名氏家(うじいえ)隊三百騎と合流し、四条大宮(しじょうおおみや。下京区)の法華堂で軍議を開いた。
「氏家殿は猪熊小路を北へ、わしはこのまま大宮大路を進む。まずは大内義弘を前と横から攻め立てて亡きものにすべし!」
「承知!」

 山名軍は再び二手に分かれて激しく大内勢を攻め立てた。
「ワーワー!」
「どけどけどけー!」
「攻めたれ!攻めたれ!」
 このため義弘は足利義満に救援を求め、赤松義則
(あかまつよしのり)隊の加勢を得たわけである。

「赤松義則の舎弟・右馬助満則(うまのすけみつのり)、救援に来たぞ!一兵たりとも先へ進ませるなーっ!」
 そのため、山名軍の進軍は止まってしまった。
 氏清は不思議がった。
「なぜ進まぬ?進軍を止めているのは誰ぞ?」
「『松』の字を書いた赤い大旗がたなびいておりまする。赤松義則隊かと」
「こざかしい!赤松の側面を突け!」
「了解!」

 氏清は五百騎を分け、押小路(おしこうじ)から赤松満則隊の側面を襲わせた。
 赤松隊はたじろいだ。
「うえ!横から敵!」
「しまった!早く逃げろ!」
 ブス!ブス!ブス!
「痛い〜!手遅れ〜!」
 赤松隊はたちまち満則ら五十七人が討ち取られたという。

 弟の戦死を知って、冷泉西大宮(れいぜいにしおおみや。京都市中京区)から二条猪熊(にじょういのくま。中京区)に陣を移していた義則は激怒した。
「京が碁盤の目のようになっていることは分かっているであろう!これが攻めやすく守りがたしということだ!敵に側面の側面を突かれたのであれば、敵の側面の側面の側面を突けっ!逃げることは許さぬっ!突撃せよーっ!」
 赤松隊は踏みとどまったものの、どうにも押され気味であった。

 さて、大内隊の中にひときわ覚悟を決めた武将がいた。
「もとはといえば、この戦いの発端は拙者にあり」
 前但馬備後守護・山名時煕
(ときひろ)であった。
「ゆえに拙者はたとえ死しても伯父氏清を討ち取らねばならぬ」
 垣屋頼忠
(かきやよりただ。柿屋弾正)らも同じ意見であった。
「当然ですとも!天下の最強軍団・山名軍を止められる者は、我ら山名しかおりませぬ」

 冷泉大宮(中京区)から出陣した時煕ら五十三騎は、二条大宮で出撃の機会をうかがっていた。
 すると、氏清が大内隊を挟み撃ちにするため軍を二つに分けたのである。
 時煕は動いた。
「数が減ったぞ!行けーっ!」
 すかさず打って出たのである。
「わー!わー!」

 氏清軍の兵たちはあわてた。
「なんだ?我らと同じ『三引両
(みつひきりょう)』の旗印!」
「裏切りか?」
「いや。時煕たちだ!」
 ちゃーん!ちゃーん!
 ばら!ばら!
氏清はどこだー!討ち取ってやるから出会えー!」
「ほざけー!敵は小勢だ!ひねりつぶしてやれー!」
 ずびっ!
「ぎゃーん!」
 どかっ!
「ひーん!」
 時煕隊はこてんぱんにやられ、たちまち九騎に減ってしまった。
 時煕はあせった。
「うわっ!もうこんなに少なくなってしまったのか!」
 しかも氏清に見つかってしまった。
「いたぞ!三引両の旗に竹の葉をつけているアヤツこそ時煕だっ!命を助けてやった恩にも報いず、わしらに刃を向けてきよった不忠者ぞ!みなの衆、討ち取って手柄にせーいっ!」
「では、拙者が」
「何をー、オレが討ち取るんだー!」
 山口弾正・福間備中守
(ふくまびっちゅうのかみ)らが土煙を上げ、先を争って時煕目掛けて馬を飛ばしてきた。
「もはやこれまでだ」
 時煕は覚悟を決めたが、垣屋が促した。
「もう十分でしょう!殿はお逃げを!」
「今さら何を申す!拙者もここで死ぬっ!」
「なりません!山名を共倒れにすることこそ将軍のねらいなのです!氏清殿は倒されるんです!あなたさまが生き残らなければ、いったい誰が山名を再興すると言うのかーっ!」
「それもそうだ」
 時煕は思い直して逃げた。
 虎口を脱し、大内義弘の陣へ逃げ込んだ。
 後に時煕は山名家を再興させて幕府の宿老となり、六代将軍足利義教の擁立に参画することになるのである
(「クジ味」参照)

「行ったか……」
 垣屋は安心した。
 一緒に残った滑良兵庫
(なめらひょうご)に笑いかけた。
「ならば我々はもうひと暴れするか」
「望むところよ!」
 二人は暴れた。
 垣屋は五尺三寸の太刀
(たち)を、滑良は五尺二寸の刃の長刀(なぎなた)を振り回し、存分に暴れまわった。
「えーい!」
 ブーン!
「おりゃー!」
 バカーン!
 たちまち寄せる敵八騎が切り伏せられた。
 山口は配下の者たちに命じた。
「輪になれ!槍
(やり)や長刀で取り囲み、間を詰めて討ち取ってやれー!」
 二人は取り囲まれた。
 じりじりじりじり――。
 輪が小さくなると、逃げ場がなくなった。
「やー!」
 垣屋は強引に飛び出した。
 ガッシーン!
 で、敵に突き刺した太刀が抜けないでいるところを、
「今だ!突けーっ!」
 ズブ!ズブ!ズブ!ズブ!ズブ!
「ぎゃーん!」
 と、ヤリネズミにされて討ち取られた。
「でやー!」
 滑良はさらに六騎と渡り合って奮戦したが、背後から長刀で足を引っかけられて倒れてボコボコにされたため、
「そうだ!極楽浄土は西であったな」
 と、西方に向き直ってから息絶えた。

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