3.悲劇!山名煕氏!! | ||||||||||||||
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一方、山名煕氏は残兵十七、八騎のうち七騎を率いて別に戦っていた。
が、まもなく五騎が討たれ、二騎は逃げてしまった。
「負けるもんかー!」
煕氏は一人になっても戦っていたが、とうとう乗っていた馬まで殺され、敵兵に取り囲まれてしまった。
「ぼうや、戦争ごっこはここまでだ」
煕氏は太刀を突きつけられて、座り込んで観念して目をつぶったが、
「やめろー!」
すんでのところで山名氏清配下の狩野平五(かのうへいご)が現れ、敵兵を斬り倒してくれた。
「さあ!私の馬にお乗りください!」
「おじさまは?」
「残念ながら、もはやこの世にはおられません……」
狩野は泣いた。そんな彼も伝えている最中に、
ドブス!
「おう!」
と、背後から敵に突かれて死んでしまった。
「おじさま!」
ぶわさっ!
煕氏はムササビののように馬から飛び下りると、そのまま氏清の首のない遺体に覆いかぶさって号泣した。
「わあおー!おじさまー!私もすぐに逝きますぅー!」
煕氏はその場で腹を切ろうとしたが、
「おっと!そうはさせねーぜ」
河崎帯刀(かわさきたてわき)という者に首根っこをつかまれて引きずり倒されて組み伏せられてしまった。
「腹を切るくらいなら、おれに討たれておれの手柄になるんだな」
「どうせ死ぬんだ!勝手にしろ!」
「聞き分けのいいヤツだ」
河崎は喜んで煕氏に刃を突き立てようと、むんずと兜をはぎ取ったが、存外可憐(かれん)な顔を見て、ためらいが生じてしまった。
「なんだおまえ……。まだ子どもではないかっ」
「早く討て!討たなきゃ手柄を横取りされるぞっ!」
「いったいおまえはどこの貴公子なんだ?どういった事情で戦に出ているのだ?」
「ふん。この首を山名の者に見せれば知らない者はいない!早く討て!それとも私に討たれたいのかっ!」
河崎は仕方なく煕氏の首を取った。
後で煕氏の首を山名時煕あたりに見せたのであろう。
「これって誰でしょうか?」
もちろん時煕は知っていた。
「ああ……。それは、叔父上の養子の煕氏だ」
「ですか……」
「叔父上は四十人余りの実子がいたが、その誰もが父親を見捨てて逃亡してしまった。ただ一人残って戦ったのが養子の煕氏とは皮肉なものだ」
後に時煕は氏清の娘と結婚して持豊(もちとよ。宗全。「富豪味」参照)を産ませ、氏清を開基として宗鏡寺(すきょうじ。兵庫県豊岡市)を創建、山名高義の子・煕高(ひろたか)らを養子としている(一説に、持豊の母は山名師義の娘。「山名氏系図」参照)。