4.偽装!土岐満貞!! | ||||||||||||||
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山名軍は総大将・山名氏清の戦死によって壊滅した。
死者は幕府軍が赤松満則・垣屋頼忠ら百六十余人、山名軍が山名氏清・山名高義・小林義繁・大足宗信・山名煕氏・山口弾正ら八百七十九人だったという。
一色詮範・満範父子は氏清の首を掲げて足利義満本陣に凱旋(がいせん)した。
「将軍さま、我がせがれが見事に逆賊氏清めを討ち取りましたぞっ!」
「よくやった!」
義満は喜び、居並ぶ諸将に氏清の首を披露した。
「天の許しなき謀反を企てける者の果てを見よ!」
そこへ現れたのは土岐満貞(ときみつさだ。「土岐氏系図」参照)という武将。
「将軍さま。私も首を取ってまいりました」
満貞は前の土岐康行の乱を鎮圧して尾張守護に任ぜられ、幕府軍の一員として参戦していた。
「ほう。誰の首じゃ?」
「それは定かではありませんが」
すると、ある武将が満貞の持ってきた首を指して叫んだ。
「あ!それはおれが捨てた名もなき足軽の首!」
「なんじゃと?」
義満は満貞の顔を見た。
満貞は明らかに「しまった」という顔をしていた。
義満は激高した。
「何という浅はかで卑怯なヤツじゃ!貴様のようなヤツは武士の風上にも置けぬわ!」
「おおお、恐れ入りましてございまする〜」
満貞は尾張守護を解任され、今川了俊のはからいで駿河島田(しまだ。静岡県島田市)でひっそり暮らしたという。
一方、内野の戦には康行も幕府方として参戦していた。
こちらは正真正銘活躍し、伊勢守護に返り咲いたという。
その晩、義満は一色詮範邸に宿泊、諸将は野宿し、めでたく明徳三年(1392)正月を迎えた。