1.発病!平城天皇!! | ||||||||||||||
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後宮十二司 |
内侍司(ないしのつかさ) 蔵司(くらのつかさ) 書司(ふみのつかさ) 薬司(くすりのつかさ・やくし) 兵司(つわもののつかさ) 御門司(みかどのつかさ) 殿司(とのもりのつかさ・でんし) 掃司(かにもりのつかさ・そうし) 水司(もいとりのつかさ・すいし) 膳司(ぜんし) 酒司(みきのつかさ) 縫司(ぬいのつかさ) |
大同三年(808)五月、医者で侍医(じい。天皇担当医)の出雲広貞(いずものひろさだ)と学者で衛門佐(えもんのすけ。衛門府次官=宮城警備副隊長。「古代官制」参照)の安倍真直(あべのまなお)らが『大同類聚方(だいどうるいじゅうほう)』百巻を平城天皇に献上した。
「おお、できたか!」
病弱の平城天皇がかねてから編修を命じていた日本最初の医薬書である。朝廷に古くから伝わる数々の医薬はおろか、地方豪族の民間療法まで網羅した大著であった。
「さあ、さあ」
平城天皇は広貞を招きよせて聞いた。
「アッチのことも書いてあるんだろうね?」
平城天皇はいまだゾッコンの尚侍(ないしのかみ・しょうじ。後宮十二司の筆頭・内侍司長官)・藤原薬子と子を成すことをあきらめていなかった。
「あ、はい。それはもうイロイロと」
「相手が四十代でも、関係ないだろうね?」
「無論です」
「ウヒッ!」
平城天皇は喜びをあらわにして聞いた。
「例えばどんな秘薬がある?」
「例えばでございますか。えーっと、ウシの乳なんかがよろしいかと」
「ウシのチチ……。何か、気持ち悪そうだね」
「確かに気持ち悪いですが、その後に気持ちの良いことが……」
「ブホホッ!」
「特に、初乳なんかが効果覿面(てきめん)かと」
「キャッ!キャッ!」
当時、牛乳は薬であった。
平安京内には乳牛院(にゅうぎゅういん)という搾乳(さくにゅう)施設があったが、創立年代は奈良時代とも平安時代初期ともいわれている(「 ウシ味」参照)。
そこへ薬子が顔を出して聞いた。
「ヒソヒソと何の話〜?」
「夜になればわかるよ。へっへっへ!」
「いやーん。なに〜?なに〜?」
藤原仲成 PROFILE | |
【生没年】 | 764-810 |
【本 拠】 | 平安京(京都市) 山城国葛野郡?(京都市右京区) |
【職 業】 | 公卿(政治家) |
【役 職】 | 出羽守→出雲守→左中弁→越後守 →治部大輔・山城守・主馬頭→大和守・兵部大輔 →左兵衛督・右大弁→北陸道観察使・左衛士督・大蔵卿 →参議・右兵衛督・伊勢守→佐渡権守ほか |
【位 階】 | 従正五位下→従五位上→正五位下→従四位下 |
【 父 】 | 藤原種継 |
【 母 】 | 粟田道麻呂の女 |
【 子 】 | 藤原藤主 |
【叔父母】 | 藤原安継ら |
【兄 弟】 | 藤原山人・藤原薬子(尚侍。平城天皇愛人)・藤原藤生ら |
【主 君】 | 桓武天皇・平城天皇・嵯峨天皇 |
この話をコッソリ聞いていた者があった。
皇太子(皇太弟)・神野親王である。
「なるほど。ウシの初乳か」
このことをずっと覚えていたのか、神野親王は生涯に五十人超の子女をなすことになる。
平城天皇と薬子は連夜がんばった。
が、大同四年(809)になっても、二人の間に子ができることがなかった。
(もう手遅れでしょう)
薬子の兄で観察使(参議格≒大臣)の藤原仲成は苦々しく思っていた。
そうこうしているうちに平城天皇が体調を崩し、発病してしまった。
「怨霊(おんりょう)だ〜。また、井上廃后(「ヤミ味」参照)や早良廃太子(「怨霊味」参照)のたたりが帰ってきたんだ〜」
平城天皇はおびえたが、そういうことを信じない仲成は疑っていた。
(――っていうか、腎虚(じんきょ)ではないのか?)
仲成には前から気になることがあった。
(それとも、ヤツのせいなのか……?)
いずれにせよ、平城天皇と薬子あっての自分の天下である。ここでトラに死なれては、皮をかぶっていることができなくなってしまう。
藤原内麻呂 PROFILE | |
【生没年】 | 756-812 |
【別 名】 | 後長岡大臣・閑院大臣 |
【本 拠】 | 平安京(京都市) 山城国長岡(京都府向日市or長岡京市) |
【職 業】 | 公卿(政治家) |
【役 職】 | 甲斐守→左衛門佐→中衛少将→越前守→左衛士督 →参議・刑部卿・陰陽頭→中納言・近衛大将・造宮大夫 →大納言・近衛大将→右大臣・左近衛大将ほか |
【位 階】 | 従正五位下→従五位上→正五位下→従四位下→従三位 →正三位→従二位 |
【 父 】 | 藤原真楯(房前の子) |
【 母 】 | 安倍帯麻呂(常麻呂)の女 |
【 妻 】 | 百済永継(後に桓武天皇室)・藤原永手の女 ・坂上苅田麻呂の女・依当大神の女・ら |
【 子 】 | 藤原真夏・冬嗣・秋継・桜麻呂・福当麻呂・長岡 ・率・愛発・大津・衛・助・収 ・緒夏(嵯峨天皇室)・女(紀有常室)ら |
【叔 父】 | 藤原安継ら |
【兄 弟】 | 藤原真永・永継ら |
【主 君】 | 桓武天皇・平城天皇・嵯峨天皇 |
消沈していた仲成に、右大臣(≒首相)藤原内麻呂が明るく声をかけた。
「やあ!どうかしましたかな?」
「ええ。帝の病が心配で」
「ですな。何よりもお体が一番大事。ここは一つ、譲位を勧められては?」
仲成の目つきが変わった。
「皇太子(神野親王)殿下にですか?それでは、右大臣公の天下になりますな」
前号「平城味」で述べたように、内麻呂の娘・緒夏(おなつ)は神野親王の室の一人である。
「何を申される。皇太子殿下も式家のお生まれ。あなたの天下は揺らがないのでは?」
「いいや。皇太子殿下は母よりも妻になびくお方です。つまり、右大臣公に近くなるということだ」
「ははっ!殿下が愛している妻は緒夏ではなく、橘嘉智子(たちばなのかちこ。清友の子。奈良麻呂の孫)殿ですよ。もー。宗成(むねなり)殿は心配性ですなー」
仲成の顔色が急変し、雷鳴のようにどなった。
「宗成だと!おれはムネナリじゃねえ!ナカナリだっ!」
内麻呂はハッと慌てて訂正した。
「あ、これは失敬!宗成といえば、先の政変(伊予親王の変。「平城味」参照)で島流しになった――。ハハハ!これはとんだ勘違い!失敬失敬!」
仲成は治まらなかった。
「わざとだろ?」
「は?」
「おれが宗成だと言いたいんだろ!?」
「は?何のこっちゃ、意味がわかりませんな〜」
「おれが走狗(そうく)だって言いたいんだろーがぁー!!」
「何を言い出すのだ〜」
「おれは負けんぞーっ!!」
「どうやら今日は少々虫の居所が悪いようですな。退散っ!」
内麻呂は逃げるように去っていった。
この様子を見ていた中納言(ちゅうなごん。≒大臣)坂上田村麻呂がため息をついた。
「まったく、これじゃあどっちが目上かわかりませんな」
中納言・藤原葛野麻呂(かどのまろ)も言った。
「それにしても内麻呂公は穏健ですね。格下の者にあれだけどなられれば誰だって怒りますよ。私だったら一発以上はなぐってましたね。ああいう方だから、先の政変で南家の藤原雄友(おとも)に冤罪(えんざい)で責め立てられた時も、平然とされていたんですね。たいしたお人だ」
中納言・藤原園人(そのひと)もほめたたえた。
「右大臣は昔からそうじゃった。人を怒らず、陰口を言わず、正義と秩序を重んじ、悪行や謀略を憎む、まさしく善人の模範じゃった。その公正さゆえに、かつて菅野真道(すがののまみち)殿と藤原緒嗣(おつぐ)殿が徳政論争を行った時も、柏原帝(桓武天皇)から審判役を命じられたのじゃ」
内麻呂と同い年、当年五十四歳の園人もまた良吏であった。
「それにしても仲成ときたら相変わらずキレやすいですな」
「まったくだ。昼間から酒を飲んで暴れていると聞くが、酒っ気が切れていないのではないか?女癖(おんなぐせ)もますますひどくなったそうだ」
「そういう葛野麻呂殿も尚侍(薬子)とはまだ続いているのでは?」
「とうに切れているわい!」
話の輪には観察使・藤原緒嗣もいたが、彼は合わせて笑っているだけで、特に何も話さなかった。