5.真夏の死

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武藤貴也買春疑惑
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4.鍵のかかる部屋
5.真夏の死

「ハア、ヒイ、フウ──」
 んぱ!んぱ!んぱ!
 元亨四年(1324)五月十四日、その日は朝から暑かったが、近衛家平は汗だくになりながら頼基との秘め事に熱中していた。
 頼基に後ろから攻め立てられて限界に達した時、家平が幸せいっぱいに振り向いて言った。
「ああっ、このままお前に包まれて逝
(い)ってしまえたら、どんなに嬉しいだろうか……」
「うぅう、私ももうダメですぅ〜」
「見える!天男
(てんなん)たちが大勢舞い降りてくるのが……」
「わわわ、私にも何か見えますぅ〜〜」
「はうあ!」
「おうお!」
 バタ!
 バタタ!

 長い地震が止まった。
 かぶさっていた頼基がしみじみと言った。
「うおーん、最高でしたぁ〜〜」
 家平は下で、何も言わなかった。
 頼基が尻をつねっても、何の反応もなかった。
「家平さま?」
 頼基は彼をひっくり返してみた。
 顔に手をかざしてみると、息をしていなかった。
「ええ?家平さま!?」
 頼基は鼻をつまんでみた。ほおを引っ張ってみた。パシパシひっぱたいてみた。
「いえひらー!」
 それでも、その満面な満足顔が苦痛にゆがむことはなかった。
 頼基は号泣した。
「なんてこった!マジで逝っちまうなんてー!こんな終わり方、いやですよぉー!」
 家平の享年は四十三。

 その後すぐに頼基は病気になった。
「夢ならでまたもあふべき君ならばねられる寝をも嘆かざらまし」
 彼はそんな歌を口ずさんでいた。
 人から、
「それはあなたの歌ですか?」
 と、聞かれると、頼基は否定した。
「いいえ、この歌は昔、関白藤原道兼
(みちかね。「安倍味」参照)公にかわいがられていた藤原相如という男が、道兼の死を悲しんで詠んだ歌です。相如はこの歌を詠んですぐに亡くなったそうです。私もこの歌を唱えていれば、愛しいあの方のところに逝けるかと思って」
 程なくして、頼基も死んだという。

[2015年8月末日執筆]
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