1.最強の巫女

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平城遷都千三百年祭
1.最強の巫女
2.事実上の夫婦
3.希代の策士
4.敵情偵察
5.二重スパイ
6.寝るしかない
7.和気王の変
8.魔女の墓標
紀 益女 PROFILE
【生没年】 ?-765
【別 名】 紀朝臣益女
【出 身】 大和国(奈良県)?
【本 拠】 平城京(奈良県奈良市)
【職 業】 婢→巫女
【位 階】 無位→従五位下・勲三等
【 夫 】 和気王
【仇 敵】 称徳天皇・道鏡
【没 地】 山背国綴喜郡松井村
(京都府京田辺市)

 女は明かりも点けずに暗闇(くらやみ)にいた。
 小屋に差し込む月明かりが女の長い白髪を照らしている。
「きれいね――」
 女は座ってひざの上に乗せたものをなでていた。
 猫であろうか?
 そうではないようである。
 青白く柔らかに光っているが、生き物ではなかった。
 すでに息絶えたモノであった。
「きれいなドクロ――」
 女はドクロにほおずりをした。
 ほおが白くてみずみずしている。髪が白いだけで若い巫女
であった。
「三十代前半で亡くなった男のドクロ――」
「そんなことまで分かるの?」
 客人がいるようである。
「分かるんです。結構いい男ですよ。私が声をかけていたら、即、落ちていた」
「プッ!」
 客人は吹き出した。
「あなたが声をかけても、たぶん落ちていた」
 客人は今度はおもしろくなくてムッとした。
「つまり、軽薄男ってことよね」
 客人は若くはなかった。未亡人であった。
 それもついこの間の藤原仲麻呂の乱
で夫を亡くしたばかりであった。
 夫の名は塩焼王
(しおやきおう。氷上塩焼)
 先々女帝・孝謙上皇に対抗するため、藤原仲麻呂
(「藤原南家系図」参照)が擁立した偽帝であった。
「これ、佐保川
(さほがわ。奈良市)の河原で拾ってきたんですか?」
「ええ。気味悪かったけど、あんたが拾ってこいって言うから」
「もう一つ必要なものも持ってこられました?」
「これだよね?」
 客人は髪の毛を二、三本差し出した。
 巫女は念を押した。
「ええ。でも、間違いなく『標的』のものですよね?そうじゃないと、ほかの人が死ぬことになりますから」
「間違いないわ。私が直接この手で拾ってきたんだし」
 客人は標的の異母妹であった。
 そして、その標的は、夫・塩焼王のカタキでもあった。
「私は異母姉
(あね)が憎い!夫を殺した異母姉を絶対に許さない!自分だけ女帝になってっ!自分だけイケ面坊主とイチャイチャしやがって!腹立つったらありゃしないっ!」
 巫女はドクロの両眼の穴に髪の毛を通して結びつけた。
 呪文
(じゅもん)をかけると、ドクロは反応して赤く光った。
「ほーら、標的の魂が入った」
「いひひっ」
「お客さまの恨みはあたいが晴らしてあげる」

 ガラガラガラ。
 キーッキーッ!
 小屋の戸が開け放たれ、驚いた数羽のコウモリが飛び立った。
「ぎゃ!」
 客人も驚いて声を上げたが、巫女は平然としていた。
 男が松明
(たいまつ)をかざして中をのぞいた。
「益女
(ますめ)か?いるんだろ?何だ。明かりも点けずに何をしている?また呪(のろ)いか?」
 紀
(き)益女。
 それが白髪の巫女の名であった。
 男は益女がなでているドクロに気がついた。
「あ!やっぱりまた誰かを呪うつもりだな!誰だ?今度は誰を殺すんだ!?」
「うるさいわね!ここはあたいの仕事場なんだから勝手に入ってこないで!お客さまに失礼よっ!」
「これはこれは益女のお客さま。私は舎人親王の孫で、御原王
(みはらおう)の子で、参議兵部(「古代官制」参照)を務める和気王です(「天皇家系図」参照)。こいつとは、ほとんど夫婦みたいに暮らしております」
「やめて!あたいたちは仮面夫婦よっ!あなたはあたいの呪術を利用しているだけよっ!愛なんてこれっぽっちもないわっ!」
「うるせー!てめーだって皇后になりたいためにボクの地位を利用しているだけだろ!お互い様だよっ!だいたいてめーみてーな気味の悪い女を、本気で好きになる男なんて、この世の中にいるわけねーじゃねーかよ!」
「ふんだっ!」
「へんだっ!」
 気まずく黙った二人に、客人が自己紹介した。
「私は不破
(ふわ)です」
「ああっ!これはこれは不破内親王殿下であらせられましたか!ド失礼を!」
「だから言ってるじゃないっ!」
 不破内親王は先々々帝・聖武天皇の三女である。
 つまり、井上内親王
(「ヤミ味」参照)の実妹で、現女帝・称徳天皇の異母妹であった(「天皇家系図」参照)
「ってことは、ま、まさか……」
 和気王は仰天した。
「標的ってのは、じょじょじょ、女帝ぇぇぇーっ!!」 
「何か問題でも?」
「やめろー!女帝だけはダメだーっ!!」
 和気王はバッと益女からドクロを奪い取った。
「なにすんのよ!じゃましないでっ!」
「ダメだ!女帝だけは呪わせないぞっ!」
「どーしてよー?あなたは前から天皇になりたいって言ってたじゃない!女帝が死ねば、あなたは天皇になれるのよっ!不破さまは夫のカタキを取りたいのっ!あたいだって皇后になりたいのっ!不破さまとあたいとあなた、全員の利害は一致してるのよっ!それなのに、どうしてダメなのよーっ!?」
「ダメなものはダメだーっ!」
「あっそう」
 すると益女、棚から別のドクロを出してきて、和気王に見せた。
「あなた。これが誰の魂を吹き込んだドクロか分かる?」
「分かるわけねーだろ!」
「じゃあ、分からせてあげる」
 益女はドクロの頭をなでた。
 なでなで!
 すると、和気王は自分の頭がなでられているような感じがした。
 なでなで!
 それも、益女がなでているドクロと同じ部分が……。
「まさか……、それは……」
「そーよ。あなたの魂を吹き込んでおいたドクロよ」
 ぽこっ!ぽこっ!
 益女はドクロの頭をたたいた。
 ぽこっ!ぽこっ!
「痛っ!何すんだ!」
 和気王は自分の頭を押さえた。
「ヒヒッ!分かった?これさえあれば、あたいは無敵なのよ。なんならもっとひどいことしてあげよっか?」
 和気王は青ざめ、作り笑顔になった。
「益女。いい子だから、そのドクロをボクに渡しなさいっ」
「やだっ!女帝のドクロを返してくれたら渡してあげる〜」
「それはできない。渡せっ!」
 和気王はスキを見てドクロを奪おうとしたが、
「残念〜」
 益女はサッとそれをかわし、
「あ、落ちちゃった!」
 と、わざとらしく床に落としやがった。
 ごーん!
 ドクロが落ちて弾む音である。
 ごーん!
 和気王にとっては鈍器でなぐられたような衝撃であった。
「いってえー!」
 頭を抱えて転がり痛がったが、痛みは治まらない。
 なぜなら益女が、
「ほれ!ほれ!」
 と、ドクロを蹴鞠
(けまり)のように蹴り上げているからであった。
 がーん!がーん!
 益女が蹴り上げるたびに和気王の頭痛はひどくなった。
「イタイイタイー!やめてくれえー!」
 不破内親王ははしゃいだ。
「おもしろそー!私もやらせてー!」
「はい、どーぞ」
 益女はドクロを蹴ってパスした。
 ぼかーん!
「いてーて!コラッ!」
 でも、不破内親王は下手っぴだったので、空振って落としてしまった。
 スカッ!
 ぐっしゃーん!
「あー、失敗〜。ごめんね〜」
「ギャーン!」
 和気王は激痛のあまりに泡を吹いて失神してしまった。
 ごとん!ころころろ〜。
 益女が転々と転った女帝の魂入りドクロを拾い上げながら、和気王の耳元でささやいた。
「あなたはあたいの言うとおりにしていればいいの。不破さまだけじゃない。あたいだって女帝を殺したいのよっ!余計なことを考えると、あなたも死ぬよ。このドクロを割れば、あなたはオダブツなのよ。いいわね?あなたの命はあたいが握っているのよ。ヒッヒッヒ!」

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