5.二重スパイ | ||||||||||||||
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藤原雄田麻呂は困り果てた。
(どうすればいい?)
そもそも雄田麻呂は道鏡の命令で紀益女に近づき、称徳天皇の魂入りのドクロのありかを探ろうとしたはずであった。
が、それがかなわなかったばかりか、「魂質」まで盗られ、逆に益女のために道鏡の体毛を盗ってくるハメになってしまったのである。
(ああっ!私はどーすればいいんだー!?)
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雄田麻呂は道鏡のいる西大寺へ向かった。
その間、ずっと考えていた。
(この戦い、道鏡の負けだ)
どう考えてもそれが正解のような気がした。
(益女がすでに女帝の命を握っていることは分かった。このことはつまり、女帝をすべてと思っている道鏡の命も握っているのと同じことなんだ!しかもあの女は、あろうことか私の命も握ってしまった……。無理だ!もはや私にも道鏡にも勝ち目はない!こうなったら私はもう、道鏡の毛を益女に届けるしかないんだ!)
雄田麻呂はため息をついた。
(問題はどうやって髪の毛ない道鏡の体毛を手に入れるかだ)
雄田麻呂は考えた。そして、思いついた。
(そうだ!鼻毛だ!「鼻毛が出てますよ」って指摘して抜くのが一番自然だ!それがいい!)
鑿(のみ)や槍鉋(やりがんな)の音が近づいてきた。
西大寺は今でも建設中なのである。
工事を見ていた道鏡が雄田麻呂に気がついた。
「おう、雄田麻呂」
「それにしても、巨大な寺ですね」
「当然だ。東大寺に対抗して建設している寺だからな。じきに尼寺・西隆寺(さいりゅうじ)造営も始める」
「なるほど。そちらは法華寺(ほっけじ)に対抗ですか」
「そういうことだ」
道鏡はうなずき、雄田麻呂と近くの礎石に座って本題に入った。
「――で、例の件はどうであった?」
「ドクロは取り戻せませんでした。いまだそのありかも不明です。しかし、あの女と親密になれば、そのうちに教えてくれることでしょう」
「遠慮はいらぬぞ。捨てた女だ」
「そう言われると、いまだに未練があられるような――」
「ない!オレの愛する女は今も昔も女帝ただ一人だ!」
「はいはいはい。何度も聞いてますう〜」
道鏡は雄田麻呂の肩を引き寄せると、小声になった。
「それが手段であれば、手段がそれしかないのであれば、益女と寝てもかまわぬ」
「へ!」
「不可能か?好みではないか?あいつのほうはお前のことを好みだと思うぞ。だからこそ、オレはお前を選んだのだ」
「いえ、そのその――、というより、あの女はちょっと――、ちょっとどころじゃなくて、全然普通じゃありませんから〜」
あたふたしながら、雄田麻呂は任務を思い出した。
(そうだ!鼻毛だった!)
雄田麻呂は道鏡の鼻の穴をのぞき込んだ。
そして、予測もしなかった事態に仰天した。
(なんと!鼻毛がないっ!)
確かに短いのは生えていたが、それには明らかに手入れの跡があった。
「どうした?」
「い、いえっ!鼻毛がきれいに刈り込んであるな〜って思いまして」
「そうであろう。今朝手入れさせたばかりだ」
(なんてこった!)
これでは「鼻毛が出てますよ」と指摘するのは不自然極まりない。
雄田麻呂は困った。ほかの手を考えた。
(そうだ!鼻毛がダメなら、眉毛(まゆげ)があるじゃないか!)
雄田麻呂は作戦を変更した。
「あ、眉毛にゴミがついてますよっ」
で、落ちる眉毛を拾おうとしたのである。
「ん?」
道鏡は眉毛を指でこすってから聞いた。
「落ちたか?」
「いえ、まだ」
落ちてないのはゴミではなく、眉毛である。
そのため道鏡、より強く眉毛をこすった。
ゴシゴシ!ゴシゴシ!
(いいぞ!いいぞ!)
ハラハラハラ。
ついに眉毛が何本か落っこちた。
(やた!)
雄田麻呂は喜んだ。
「落ちました!落ちました!これは私がゴミ箱に捨てておきますねー」
雄田麻呂は落ちた眉毛を拾おうとした。
と、そのときであった。
ピューン!
急に意地悪な突風が吹きつけたのである。
「ああ……!」
はかない眉毛はひとたまりもなかった。
ヒラヒラヒラとはるか空のかなたへ舞い飛んでいってしまった。
(あああ……。私の唯一の希望の毛があ〜……)
道鏡は立ち上がった。
「そういうことだ。どんな手段を使ってもかまわぬ。必ず女帝のドクロを奪ってくるのだ。そうしなければ、こっちは動きようがない。すべてはそれからだ」
道鏡は去っていった。
雄田麻呂の作戦は失敗に終わった。
(終わりだ……)
彼はしばらく立ち上がれなかった。
(ワー!道鏡の命令もかなわない!益女の命令もかなわない!私はいったい、どーすればいいんだーっ!?)