6.寝るしかない | ||||||||||||||
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藤原雄田麻呂は自邸に帰ることにした。
紀益女に命乞いに行かなければならないが、その前に妻子に会っておきたかったのである。
(これが今生の別れになるかもしれない……)
自邸の前で誰かがうつぶせに倒れていた。
「おい!どうした?」
見知らぬオッサンだが、声をかけても返答がない。
「おい!しっかりしろ!」
揺さぶってあお向け返してみると、すでに目が逝っていた。
「し、しっ、死んでるっ!」
雄田麻呂は困った。
「クソッ!急いでいるときに人んちの前で行き倒れかよ〜、面倒なオッサンだなー」
と、そのとき、オッサンの眉毛が目に入った。
(そういえば道鏡に似た眉毛だ)
ハッとなった。名案を思いついた。
(そうだ!このオッサンの眉毛を『道鏡の眉毛ですよ』って益女のところに持って行けばいいんだ!そうすれば益女は道鏡を呪っているつもりが死んでるオッサンを呪っていることになる!これはいい!)
さらに彼は名案を思いついた。
(そうだそうだ!女帝の魂の入っているドクロを見つけたら、女帝の髪の毛も死人の髪の毛とこっそり交換しておけばいいんだ!そうすれば女帝は呪われることはないし、そのほうがドクロを奪って帰るよりもよっぽど気づかれずにすむ!)
さらにさらに彼は名案を思いついた。
(そうだそうだそうだ!いっそのこと、女帝の髪の毛は益女の髪の毛と交換してしまえばいいんだ!そうすれば益女は女帝を呪っているつもりが自分自身を呪って自滅することになる!ウハハッ!これはいい!益女に勝てる方法が見つかったぞーっ!)
雄田麻呂は死んでるオッサンの前で飛び跳ねて大はしゃぎした。
「オッサン。私はまだ死にたくない。すまないけど、眉毛を二、三本いただくよ。どうせもうオッサンにはいらないだろ?」
で、死んでるオッサンの眉毛をむしって包んで益女の秘密の仕事場に向かったのである。
その間、雄田麻呂は肝心なことに気がついた。
(そうだ。女帝の髪の毛と取り替える益女の髪の毛は、どうやって手に入れればいいんだ?)
何しろ髪の毛で呪いを行っている女である。
当然、自分の髪の毛の管理は厳重に違いなかった。
(どうすればいい?)
そのとき、道鏡が言っていたことを思い出した。
『それが手段であれば、手段がそれしかないのであれば、益女と寝てもかまわぬ』
(そうだ!益女と寝ればいいんだ!いくら魔女でも、さすがに寝所では警戒が緩むだろう。そうだ!これしかない!益女と寝る以外に方法はなーい!)
が、益女は恐ろしい女である。
少しでも気を損ねれば、たちまち殺されかねない恐怖の魔女なのである。
(それがどうしたー!)
雄田麻呂は吹っ切った。生きるためにはやるしかなかった。
(益女は美女だ!三顧の礼を取ってでも、千顧万顧の礼をとってでも得がたき究極の超美女なのだ!恐ろしい?殺される?そのような小さなことがいったいなんだって言うんだー!そこに美女がある限り、男たるものは行かなければならないんだー!山で美女が呼んでいれば、クマやトラやイノシシをたたきのめして突き進み、川で美女が呼んでいれば、泳げなくても激流に飛び込み、天で美女が呼んでいれば、白鳥をだまして空を飛び、地で美女が呼んでいれば、閻魔(えんま)大王にワイロを積んででも、何とかして救おうと努力奮闘しなければならないのだー!それがこの世に生まれし男たるものの宿命!真の、本物の、益荒男(ますらお)の生き様なのだあーーーっ!!)
益女は待っていた。
「お帰りなさい」
妻みたいなことを言った。
雄田麻呂は名もなきオッサンの眉毛を包んだものを差し出した。
「このとおり道鏡の眉毛、盗ってきました」
「へー。どうやって盗ってきたの?」
「『眉毛にゴミがついてますよ』って言って、落ちたのを拾ってきました」
「ふーん、頭いいのね」
雄田麻呂は包みを渡した。
「でも、そんな短いのじゃ、ドクロに結べないよね?」
「結べなかったらごはん粒でくっつければいいだけよ」
益女、ドクロを持ってきて、眉毛をくっつけて呪文をかけた。
「ほら」
でも、前みたいにドクロは赤くならなかった。
「あれ?おかしいなー。魂、入んないなー」
雄田麻呂は不安になった。
(まずい……。死人の眉毛では反応しないのか……。ばれたかも……)
しかし、益女は、そうは思わなかった。
「今日は調子が悪いようね。まあ、明日にでも入れ直せばいいわ」
「呪術にも調子のよしあしってあるの?」
「あるよー。ほかごとを考えていると、力が入らないのー」
「ふーん」
「あなたのせいよ」
「え?」
「べつに。こっちの話」
益女は顔を背けてうつむいた。
「お礼、しなきゃなんないね」
「何の?」
「眉毛のよ。これであたいの念願はかなうわ。全部あなたのおかげよ。ありがとー」
「ええ、まあ、それほどでも」
「で、あなたは何が欲しいの?」
益女が上目で聞いてきた。
「何って、もういいよ」
「そんなこと思ってないくせに〜。欲しいものがあるくせに〜。それも目の前に〜」
「ええ?」
「いいよっ」
「はあ?」
「寝よっ!」
「……」
雄田麻呂は恐怖した。
(見透かしてる〜!)
「だってあなた、顔も態度もバレバレなんだも〜ん」
益女は雄田麻呂の手を取ると、そのまま小屋へ引っぱっていった。
(恐ろしい女だ……。これじゃあほかごとも考えられないな)
「ほかごとは考えちゃダメ!ここはあたいとあなただけの世界なのよ。ここではあたいだけのことを考えてっ」
「へ、へい……」
小屋の中は香がたかれ、ほの明るかった。
真ん中に蚊帳(かや)を釣った帳台(ちょうだい)があり、変な縁起でもない花が飾ってあり、わきにドクロが二つ置いてあった。
益女は道鏡(実はオッサン)の眉毛を貼ったドクロを二つのドクロの隣に置くと、前のうち一つを取り上げて見せた。
「これ、あなたの魂が入ったドクロ」
「じゃあ、もう一つは?」
「もちろん女帝のドクロよ。いたぶって遊びたい?それとも、あっさり殺しちゃう?」
「いや。今の私はほかのことはどうでもいい。もう君しか見えない〜」
「も〜」
益女は雄田麻呂のドクロを抱いたまま、帳台に乗った。
「外は蚊がいるわ。蚊帳の中へどーぞ」
つまり、帳台に乗れってことである。
「ううーん」
いざとなると勇気がいるものである。
雄田麻呂はいきがった。
「最初に言っておくけど、私はすごいよ」
「何が?」
「とにかくすごいよ」
「あたいだってすごいよっ」
「私のほうがそれよりもっとすごいよっ」
「あたいのほうがそれよりもっともっとすごいよっ」
「私のほうがそれよりもっともっともーっとすごいよっ」
「いいから早くきてっ!」
益女が雄田麻呂のドクロを胸に抱いてギューっと押し付けた。
雄田麻呂は窒息しそうになった。
「むぎゅゅゅ〜〜〜、ほええぇぇぇ〜〜〜」
苦しいというより天国であった。
益女がポリポリと足をかいた。
「あーん、こんなとこ、蚊に刺されてる〜」
じりじりじり――。
ぴらりーん!
雄田麻呂、ついに臨界に達した。
「入りまーすっ!」