2.大戦景気

ホーム>バックナンバー2022>令和四年6月号(通算248号)成金味 山本唯三郎2.大戦景気

うらやましくない成金
1.貧乏物語
2.大戦景気
3.酒池肉林
4.盛者必衰

 山本唯三郎も青木要吉を見習うことにした。
「僕もでっかいことをするために、でっかいところへ行くぞ」 
 でも、金欠で渡米はできないので、北海道に渡って開拓者になることにした。
 牛乳配達で生活し、官からの奨学金で札幌農学校
に入って農業を学んだ。

 明治二十七年(1894)、唯三郎は二十二歳で同校を卒業した。
 当然、それ以前から就活に励んでいた。
「先輩ぃ〜、何かでっかい仕事のコネはないですかぁ〜?」
 唯三郎が頼った先輩とは、かの有名な新渡戸稲造であった。
「わかった。道庁の土木課につてがあるから聞いてやろう」
 で、土木課長から石狩河岸十万坪という国家的一大開墾事業を紹介されたのである。
「ここがおすすめの物件です。住所は石狩郡新篠津村になります」
 ほぼ地平線しかない広大な草原を見渡して、唯三郎は仰天した。
「え! これ、全部僕に任された土地!? これ全部自由に使っちゃっていいの!?」
「いい土地ですから、前に進めてください」
「僕の全財産、六十円ぐらいしかないんですよっ」
「大丈夫です。あなたには新渡戸さんの信用がありますから」
「ニトベイナゾー、スゲーッ!」

 この年六月、日清戦争が起こり、戦後も好景気が継続した。
 おかげで唯三郎の開墾事業も大成功し、小作人をたくさん抱える大地主になれた。
「やりましたよ、新渡戸さん。これもすべて新渡戸さんのおかげです」
「いや、君の手腕がすばらしかったんだよ」
 第一国立銀行横浜支店長・市原盛宏も感心した。
「手腕だけじゃないな。運もあるね」
 ちなみに市原は、青木要吉のイェール大学での学友である。
「農業の才だけじゃない。山本君は同志社で英語を、閑谷黌で漢学も勉強していたんだ」
「英語も支那語
(中国語)もわかるってことかな?」
「そういうことです」
「すごいじゃないか。 ド田舎で農業やってるより、手腕や運や語学力をもっと生かせる仕事に携わったほうがいいよ」

 新渡戸と市原は、唯三郎の才能を活かせそうな会社を紹介してくれた。
「松昌洋行? それはどういう会社ですか?」
「本社が天津
(てんしん。中国・天津市)にある貿易会社だ。日本から材木を輸出し、支那から石炭を輸入している。経営者は伊藤彦九郎。経営が苦しいため、誰かに立て直しを任せたいそうだ」
「へー、おもしろそうですね」
 唯三郎は松昌洋行の支配人を任せられた。
 すると、程なくして経営が改善したため、伊藤彦九郎は社長の座も唯三郎に譲ってしまった。
 明治三十三年(1900)に北清事変が起こっており、中国は日本などの草刈り場になろうとしていた。
「ふーん。戦争って、もうかるんだ〜」
 唯三郎は気づいた。
「ふはは! 当然だよな! 戦争って、物がたくさんいるんだからな! たくさん壊れた物を直さなきゃいけないんだからな! へっへっへ! 大もうけできて当然だぜ!」
 唯三郎はこの頃には財界の大物・渋沢栄一とも懇意にしている。
「この仕事は僕がもらうよ」
「その仕事はちょっと〜」
「何だい? 何か文句があるのかい?」
「旧知の取引先があるので」
「あ、そう。――新渡戸稲造って知ってる〜?」
「もちろんですが」
渋沢栄一って知ってる〜?」
「知らない人なんていないでしょ」
「二人とも僕のダチなんだけど」
「へ!」
「取引を断って、この二人を怒らせてもいいのかなぁ〜?」
「……」
 旧五千円札と新一万円札の顔の御威光を前面に出してくる汚いヤツがいたら、利権競争も敵なしだったであろう。

 大正三年(1914)七月、第一次世界大戦が始まると、八月に第二次大隈重信内閣がドイツに宣戦布告をした。
「やったー!」
 唯三郎は歓喜した。
日清戦争はホップ」
 唯三郎はつぶやいた。
北清事変はステップ。プッ!」
 思わず吹き出した。
「そして今度の戦争はジャンプ! うひゃひゃー!!」
 笑いが止まらなくなってきた。
 唯三郎はただちに部下たちに命令した。
「戦争で必要なのは物資だ。物を運ぶには船がいるんだ。たくさん船を造れ! たくさん船で運べ!」
 松昌洋行は造船業を始めた。
 海運業も開始した。
 目論見はどちらも当たった。
 恐ろしいほど巨万の富が唯三郎の懐に襲いかかってきた。
 こうして彼は、日本を代表する成金になったのである。
 特に船でもうけたため、「船成金」と呼ばれた。

 それでも、唯三郎自身は成金と呼ばれるのを嫌がった。
 彼がいう成金の定義とは、
「ほとんど何の勤労もせず、計画もなく、一朝にして奇利を僥倖
(ぎょうこう)し、一寒児よりすなわち暴富者となった者」
 であり、自分のように苦労してのし上がった者は世間でいう成金では決してないのだと思っていた。

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