3.酒池肉林

ホーム>バックナンバー2022>令和四年6月号(通算248号)成金味 山本唯三郎3.酒池肉林

うらやましくない成金
1.貧乏物語
2.大戦景気
3.酒池肉林
4.盛者必衰

 山本唯三郎は大正二年(1913)五月に石黒多喜と結婚し、後に一子・順子をもうけた。
 多喜の父・石黒涵一郎は立憲政友会の元衆院議員だが、娘が結婚する前に引退していたため、娘の結婚とともに山本家で隠居生活を始めた。
「悪いね。別に家がすごい広いからいいよね? わしも世話になるよ」
「どうぞどうぞ」
 唯三郎は顔ではにこやかだったが、心の中はおもしろくなかった。
(嫁をもらったら舅つきかよ!)
 家に居づらかったのか、結婚しても女遊びは激しかった。
 何しろ、カネはあり余っているのである。
 女たちはちょっと札束を見せただけで、
「キャー! 札束よー!」
「お金よ! お金!!」
「あたしもちょうだいー!!」
 おやつを見せられた犬猫のように群がり集まってきた。
「へっへっへ、モテすぎちゃって困るぜ」
 多喜は冷ややかに言った。
「おまえさんじゃなくて、オカネがね」
「わかってるさっ」

 唯三郎は日本各地の盛り場で遊び回った。
 台湾朝鮮中国にも遠征に行った。
 欧米に漫遊した時は、
「気合い入れていけよ!」
 在留日本男子たちにも越中ふんどし一万本を配り回って鼓舞したという。
 例の、
「暗くてお靴が分からないわ」
 ぼわっ!
「どうだ、明るくなったろう?」
 は、函館
(北海道函館市)の料亭で散財して帰ろうとした時の逸話だという。
 元の話では、さらに札束で鼻もかんでみせたという。
 ちなみに当時の百円の価値は、令和の価値で数十万円のようである。

 ある時、唯三郎は岡山に帰って豆腐屋の主人を訪ねた。
 幼い頃、最初に働いていたあの豆腐屋である。
「先代の主人には世話になった」
「大層な御出世で驚いております」
「あの頃の僕は仕事ばかりしていた」
「そう聞いております」
「仕事ばかりしていてろくに勉強もできなかった」
「ですよねー」
「遊ぶ時間なんて、全くなかった」
「ですか」
「子供は仕事をするものじゃない」
「ごもっともです」
「子供は遊んだり、勉強したりするものだ」
「まったく」
「だから僕は、今、遊んでいる」
「はあ」
「子供の時に全く遊んでいなかった分を、大人になってから一生懸命遊び回って取り戻そうとしている」
「……。何と申せばいいのか」
「昔、世話になったお礼だ。豆腐を買いに来た」
「ありがとうございます。何丁でしょうか?」
「そうだな。一万丁だな」
「いっ、いいっ、いちまんちょー!!!」
 唯三郎は買った豆腐を料亭の座敷一面に並べさせると、たくさんの芸者に早乙女の格好をさせ、苗に見立てた青い箸
(はし)を植えさせる「田植えごっこ」をさせたという。

 唯三郎はモテるのは嬉しかったが、体が持たくなってきた。
「何か精がつく食べ物はないものか?」
「虎の肉に勝るものはないと言われていますよ」
「そういえば、豊臣秀吉はそのために朝鮮加藤清正に虎狩りさせていたそうだな?」
「ははは。伝説ですよ」
「よーし」
「まさか、虎を狩りに行くんですか?」
「その、まさかだ」
「!」

 大正六年(1917)十一月、唯三郎は朝鮮に「山本征虎軍」を派遣し、咸鏡道(ハムギョンド)や全羅南道(チョルラナムド)で一か月かけて虎狩りを敢行した。
 総勢二十五人だが、マスコミや現地の猟師などを含めると百五十人にもなったという。
 成果は虎二頭と、熊、猪、鹿など多数で、全部で貨車一両分にもなったという。
「よし、獲物試食会をやろう」
 虎肉パーティーは京城
(けいじょう。韓国・ソウル市)の朝鮮ホテルと東京の帝国ホテルで催された。
 帝国ホテルには、逓信相・田健治郎
(でんけんじろう)、農商務相・仲小路廉(なかしょうじれん)枢密院副議長・清浦奎吾、枢密顧問官・末松謙澄(すえまつけんちょう)、同・小松原英太郎(こまつばらえいたろう。「総理味」参照)、陸軍大将・神尾光臣(かみおみつおみ)、男爵・渋沢栄一、同・大倉喜八郎(おおくらきはちろう)ら朝野の名士二百余人が来場した。
 パーティー会場には虎が潜むという竹林が再現され、虎や熊などの獲物たちの剥製
(はくせい)をおどろおどろしく陳列、唯三郎が自慢話をし、虎狩り踊りを披露したという。
 ちなみにメニューは以下の通り。

  ・咸南虎冷肉 
  ・永興雁スープ
  ・釜山鯛洋酒むし
  ・北青岳羊油煎
  ・高原猪肉ロースト
  ・アイスクリーム
  ・果物
  ・コーヒー

 肝心の虎肉の味については不評であった。
 それでも渋沢は食べていた。
「あ、精力のためじゃないからね」
 聞かれてもいないのに否定していたという。
 この人、昨年(2021年)の大河ドラマ『青天を衝け』では控えていたが、実際のところは相当お盛んだったという。

「ファイトォ〜! いっぱーつ!」
 さて、精力絶倫になった?唯三郎は、祇園の名妓・だん子を一万円で身請けして妾にした。
 が、
「こんなスケベオヤジ、いややー!」
 後に彼女は逃亡し、十三代目杵屋六左衛門
(きねやろくざえもん)の嫁になってしまったという。

 唯三郎の女遊びの逸話は多い。
 箱根温泉では芸妓を総揚げし、ランウェイで裸行列させた。
 東京から京都までの列車を貸し切り、芸妓をすし詰めにして旅行したこともあった。
 どうもこの特別列車に間違えて乗ろうとしてドアを開けちゃった一般客がいたらしい。
 中を見ちゃった一般客は、さぞ驚いたことであろう。
 ガラガラガラ。
「ありゃまー! 女ばっか! 美女ばっか! 中に痴漢
(ちかん)が約一名!!」
 その「痴漢」が千鳥足で前を隠してやって来て注意した。
「こらこら君。この列車は貸し切りだ。入ってくるな。シッシッ!」
 ぴっしゃり!
 中を見ちゃった一般客が苦情を入れたのであろう。
 この件は国会の貴族院でも取り上げられて問題になり、唯三郎は鉄道省からおしかりを受けた。
「公共の汽車の中で風紀を乱すようなことをしてはいけません」
「これが俺の芸風だ!」
 唯三郎はキレたが、思い直して謝ったという。
「取り乱しました」

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