4.盛者必衰

ホーム>バックナンバー2022>令和四年6月号(通算248号)成金味 山本唯三郎4.盛者必衰

うらやましくない成金
1.貧乏物語
2.大戦景気
3.酒池肉林
4.盛者必衰

 山本唯三郎の栄華は長続きしなかった。
 大戦景気の後は戦後恐慌がやって来た。
 造船受注や海運業務は激減し、松昌洋行の経営は苦しくなった。
 唯三郎は池上御殿
(いけがみごてん。東京都大田区)と呼ばれた敷地四万七千坪の大豪邸を売却し、吉祥寺(きちじょうじ。東京都武蔵野市)でわびしい生活を始めた。
 全盛期に購入した佐竹公爵家伝来の国宝級家宝『佐竹本三十六歌仙絵巻
(さたけぼんさんじゅうろっかせんえまき)』も売り払うしかなくなった(ただし、源宗于の一枚だけは手元に残った)
 全盛期には預金だけで四千万円
(令和の価値で二千億円ぐらい)もあった財産もすってんてんになってしまった。
 岡山県久米郡倭文東村
(津山市)に設立した山本農学校と山本実科高等女学校(設立当初は山本実業学校)は唯三郎の没年に廃校になった。

「ああ、僕の時代は終わった……」
 多喜は笑った。
「おまえさまらしくありませんよ。ほら、おまえさんの好きな戦争の足音が近づいてきたじゃありませんか」
「僕はもう金もうけなんてしない。僕は戦争は嫌いなんだ」
「またまた〜」
「本当だ。戦争は物がたくさん壊れるだけじゃない。人もたくさん死ぬんだ。昔の僕はその事に気づいていなかった。女遊びをたくさんするようになってからわかった。女遊びの女は、夫や父を戦争で亡くしている人が多いんだ。彼女たちは好きで遊ばれに来ているわけじゃない。辛いのに、悲しいのに、生きるために無理して仕事しているんだ。 そうだよ、彼女たちにとっては遊びじゃないんだよ! 全然楽しくないんだよっ! 何が女遊びだ! みんなが楽しくない遊びなんて、遊びとは言えないだろ!!」
「……」
「僕はもう、戦争になんかに加担しない! もう誰も死んでほしくないし、悲しんでほしくもない! 戦争なんて、この世から消えてなくなってしまえ! 世界は平和になればいいんだ! どうか世界中のみんなで楽しく遊べるようになってくれよっ!」

 昭和二年(1927)四月十七日、山本唯三郎は吉祥寺の自宅で胃痙攣(いけいれん)で急死した。享年五十四。

[2022年5月末日執筆]
ゆかりの地の地図
参考文献はコチラ

※ 同志社にある啓明館は山本唯三郎が寄贈したものです。
※ 唯三郎は岡山市立図書館も寄贈したが空襲で焼失しました。
※ 山本征虎軍が狩った虎二頭の皮は剥製にされ、うち一体は当時の皇太子(後の昭和天皇)に、もう一体は同志社に寄贈されました。
※ 山本農学校 山本実科高等女学校跡には1978年に卒業生らによって記念碑が建てられました。

前へ歴史チップスホームページ次へ

inserted by FC2 system