5.百済河成の逆襲 | ||||||||||||||
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数日後、今度は河成の召使が飛騨工の家にやって来た。
「主人が急に重い病気になってしまいました。医者によれば、もう余命いくばくもないそうです。工殿に言い残したいことがあるそうですので、どうかお越しください」
「病気だって?」
飛騨工は首をかしげた。数日前はあんなにもピンピンして動き回っていたではないか。
(この間のことがよっぽどこたえたのだろうか?)
それとも、あの時出していた鼻血で出血多量におちいったのであろうか?
飛騨工は心配になったので、見舞いに行くことにした。
河成の邸宅につくと、召使は彼が寝ているという部屋に案内した。
「こちらです」
飛騨工はゆっくりと引き戸を開けた。部屋の中は薄暗くてよく見えない。
「河成殿。飛騨工です。この間は悪かったですね」
河成は呼びかけたが、返事がない。
(よほど悪いのかな?)
飛騨工は部屋の中へ入った。
河成は部屋の真ん中あたりに横たわっていた。
「河成殿、見舞いにきましたよ」
飛騨工は河成のそばに座った。
しかし、それでも河成は黙っていた。
それより飛騨工はおかしなことに気が付いた。
河成の顔色が悪いのである。悪すぎるのである。病人どころか、とても生きているように見えない。顔だけではなかった。体中、黒ずんでいるようだった。
「河成殿…?」
飛騨工は目をこすった。間近でのぞきこんでみた。
河成の顔はただれていた。膨らんでいた。黄色い汁をしたたらせて崩れていた。
よく見ると、なにやら白い御飯粒のようなものが、あちこちでせわしくうごめいていた。体中にウヨウヨびっしりひしめいていた。それは、いわゆるウジたちだった。
「ぎゃー!」
飛騨工は叫んだ。恐怖の余り、後ずさりした。
「しっ、死んでる! 膨らんででる! 腐ってる! ウジわいてる!」
ハエたちもたくさん飛び交っていた。強烈な死臭が鼻を突いた。
「うっ!」
飛騨工は吐き気をもよおした。逃げるように部屋を飛び出した。
「なんということだ。どういうことだ。河成殿が死んでしまうなんて…。オレがいじわるしたせいなのか?」
庭で震えていた飛騨工のところへ、河成が涼しい顔をして出てきた。
「工殿、どうしたのじゃ?
変な声を上げて。顔色悪いですぞ」
飛騨工はびっくりした。
「げっ! 河成殿が生きてる!」
「当たり前じゃないか」
飛騨工はわけが分からなくなった。
「え? では、あの腐乱死体はだれのものなんだ? ――あっ、さてはこの間の仕返しだな!
それにしてもひどいじゃないですか! あんな臭くて不浄なもの、部屋に運び込んでまでこの私を驚かせたかったんですかっ!」
河成が平然と言った。
「確かにあれは腐乱死体ですが、だれの死体でもありませんし、臭くもありませんし、不浄でもありませんよ」
「だれのものでもなく、臭くもなく、不浄でもない腐乱死体があるもんかっ!」
「まあまあ、怒らずにもう一度部屋にお入りください」
「いやだ。また、何か驚かすつもりなんだろう」
「しませんよ。もう気がすんだので」
河成にそう言われても、飛騨工はなお警戒している。
河成は召使に部屋の周りの戸を開けさせた。
「な、臭くないだろう。さあ、お入りください」
飛騨工がおそるおそる河成についていって部屋をのぞいてみると、やはりおぞましい腐乱死体が部屋の中に横たわっていた。
「おえー! やっぱり入りたくない!」
「大丈夫だって。もっと近づいてよく見てください」
飛騨工は逃げようとしたが、河成に背中を押され、いやいや近づいていった。
よく見ると、腐乱死体はふすまにかかれた絵だった。余りに本物そっくりに描かれていたために、ウジがうごめき、強烈な死臭を漂わせていたかのように錯覚していたのだった。
飛騨工は感服した。改めて河成の画才のすごさを思い知った。
「それにしてもよく描かれているなぁ。こりゃ、だれだって間違えますよ」
絵と分かってまじまじと腐乱死体を鑑賞していた飛騨工に、河成が聞いた。
「よかったら、貴殿に差し上げようか?」
飛騨工は即座に断った。
「けっ、結構ですぅ〜!」
[2002年4月末日執筆]
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参考文献はコチラ
※ 嵯峨天皇(「内乱味」など参照)の離宮跡に建てられた大覚寺の境内には、百済河成が作庭したとされる「名古曽滝(なこそのたき)」跡があります。