★ 水島の戦 | ||||||||||||||
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現在の水島(岡山県倉敷市)周辺 |
寿永二年(1183)七月二十五日、
「平家にあらずんば人にあらず」
ほどの栄華を誇った平家一門が、幼帝・安徳天皇(「天皇家系図」参照)を奉じて都落ちした。
いきさつは「ウシ味」で述べたので省略する。
平家一門、特に平知盛(とももり。清盛四男)・平重衡(しげひら。清盛五男)・平教経(のりつね。清盛の弟教盛の子)ら武闘派連中は憤っていた(「桓武平氏系図」参照)。
「おのれ源氏!このままではすまさぬ!」
「木曽(きそ)の山猿(源義仲)は都で乱暴狼藉(ろうぜき)を働いているというではないか!捨て置けぬ!」
「院(後白河法皇)も院だ!のこのこ山猿を比叡山くんだりまで出迎えに行ったそうではないか!変わり身の早い大天狗(おおてんぐ)め!ペッペッ!」
平家一門は讃岐屋島(やしま。香川県高松市)で再上洛の機会をうかがっていた。
「それだけではない。院は我々の官位や所領を没収し、山猿に平家討伐命令まで下しやがった!」
「院は山猿だけではなく、鎌倉の源頼朝にも書状を送っている。頼朝と義仲は天秤(てんびん)に掛けられているのだ!(「清和源氏系図」参照)
「そうよ!源氏は大天狗に踊らされているにすぎぬ!」
寿永二年九月十九日、後白河法皇に平家討伐を命じられた源義仲は、二十日に京都を出陣した。
数日後、備中水島に源氏軍の先発隊、源義清(みなもとのよしきよ。矢田義清・足利義清。「足利氏系図」参照)隊と海野行広(うんのゆきひろ。幸広)隊が着陣した。
その兵力は、『平家物語』によれば七千騎、『源平盛衰記』には五千騎とある。
「源氏軍、備中水島に着陣!その数数千騎!」
報告を受けた屋島の平家軍は色めきたった。
「いよいよ来たか」
「ならばこちらも数千騎を繰り出そう」
「何。我が平家は長年海賊討伐で腕を磨いた軍団。海戦になれば、こっちのものだ」
「一気に攻め込みますか?」
血気にはやる教経を知盛が制した。
「待て。合戦は閏十月一日だ」
「何ゆえに?」
「閏十月一日の午前中に日食が起こる」
「ほう」
「山猿どもに日食の知識はない。訳も分からず騒ぎ出すであろう。その気に乗じて一気に攻め立てる」
「なるほど。利用するわけですな」
閏十月一日朝、柏島に陣取っていた平家軍に、知盛が呼びかけた。
「陰陽師(おんみょうじ)によれば、本日巳の刻(午前十時頃)過ぎに日食が起こる!日が欠け始めた時が総攻撃の合図じゃー!者ども、ぬかるでないぞー!」
「おおー!」
また、教経も呼びかけた。
「決戦までには時間がある!船という船を縄でつなげ、その上に板を敷き並べて攻め込みやすくしておくのだー!」
「おおー!」
平家軍の動きは、乙島に陣取る源氏軍からも見立てとれた。
源義清は警戒した。
「どうやら平家がしかけてくるようだ」
海野行広は全軍に命令した。
「こちらも船を浮かべて警戒せよ!」
巳の刻、知盛は船でこぎ出すと、大音声で対岸の源氏軍に呼びかけた。
「者ども!耳の穴をかっぽじってよーく聞け!我こそは桓武天皇の皇胤(こういん)、平大相国(へいだいしょうこく。平清盛)の五男、新中納言平知盛である!平大相国は生前、沈む西日を扇で招き上げたことがあった!我が父は太陽すら自在に操ることができた大権力者であった!その血は我にも流れている!我もまた太陽の申し子なり!我が平家一門は、永遠に沈まぬ太陽なり!」
義清も船をこぎ出して笑った。
「ガッハッハ!親子そろって大ぼら吹きよのう!神仏でもあるまいし、太陽など自在に操れるはずがなかろうが!そのような不届きな大ウソつき野郎は、この清和天皇の皇胤、信濃の国の住人、源矢田判官代義清(みなもとのやたのほうがんだいよしきよ)が瞬く間に成敗してくれようぞっ!」
「大ウソつき野郎とは許しがたい!ならばあの頭上に輝く太陽を今から消して進ぜよう!」
「ほざけ!やれるもんならやってみやがれー!」
「ああ、やってやろう!あの太陽が消えた時が貴様ら源氏の命運が尽きる時だっ!」
「ならば消えなければ、平家の命運が尽きる時じゃー!」
「者ども!源氏は本日終焉(しゅうえん)を迎える!掛かれーっ!」
「平家こそ終わりだー!突撃ー!」
こうして源平水島合戦の火ぶたは切られた。
「ワー!」
「ギャー!」
「おりゃー!」
「どりゃー!」
「行け!船!」
「走れ!馬!」
「手加減しないぞー」
「刺してやるー!」
「たたいてやるー!」
「死ぬのはお前だぜぇ〜!」
ちゃん!ちゃん!ちゃりーん!
ぴゅん!ぴゅん!ブス!ブス!
「ヒヒヒーン!」
「ポポポポ〜ン!」
しばらくして、妙な効果音が流れてきた。
ずんずん、ずんずん。
「何だ?何だ?」
「何だか重苦しくねえ?」
「嫌な感じ〜」
ずんずん、ずんずん、ずんずんずん。
源氏軍は不審がった。
そうこうしているうちに、風が強くなり、辺りが薄暗くなってきた。
ずんずん、ずんずん、ずんずんずんずん。
源氏軍はますます不審がった。
「おかしいな。曇っているわけでもないのに」
「太陽も雲に隠れてないよな?」
「雲に隠れたぐらいでは暗くならないだろう」
ずんずん、ずんずん、すんずんずんずんずん。
源氏軍は空を見上げた。
太陽はあったが、薄い雲がそれにかかった時、彼らは信じられないものを見た。
「ああ!太陽が欠けている!」
「ウッソー!」
「信じられねー!」
ずんずんずん、ずんずんずん、ずずんずんずんずんずんずん。
辺りはますます暗くなってきた。
雲がかからなくても、太陽が欠けているのが見えるようになってしまったのである。
源氏軍は動転した。
「うおお!さっきより太陽が欠けてる〜!」
「もうほとんどねえー!」
「このままでは消えちまうぞー!」
そして、とうとう太陽は終わりを迎えた。
ずんずんずんずんずんずんずん。
すっぼり!
まっくろけっけ〜!
源氏軍は絶叫した。
「ぎゃー!ホントに消えちまったー!」
「真っ暗じゃないかー!」
「この世の終わりだー!?」
「誰だ?いったい誰がこんな恐ろしいことをしでかしたんだー!?」
「平知盛だ!ヤツが太陽を消したんだー!」
「知盛は神か!? 悪魔か!?」
「恐ろしや恐ろしや〜!」
源氏軍は逃げ始めた。
「お日様を消すヤツなんかにかなわねえー!」
「逃げろー!」
「わしも逃げるぞー!」
源氏軍は先を争って四散した。
「逃げるなー!これには何か仕掛けがあるのだー!」
義清は船上で踏みとどまって戦い続けたが、
ぶくぶくぶくくく!
「あれー!」
船が浸水してバタついているうちに、あっさり討ち取られてしまった。
この戦いで源氏方は完敗し、源義清・海野行広・高梨高信(たかなしたかのぶ)以下千二百人が首を斬られてしまったという。
* * *
この敗戦の後、後白河法皇に見限られた源義仲は、ヤケを起こして法皇を幽閉(法住寺殿の戦)、源義経ら追討軍に敗れ(宇治川の戦)、平家よりも一足先に滅亡してしまうのであった。
[2012年4月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ この戦いにおける平家軍の大将軍は、『平家物語』によれば平知盛と平教経、『源平盛衰記』によれば平重衡と平通盛(みちもり)です。
※ この時の日食は金環日食だといわれてますので、真っ暗になったというのは大げさかもしれません。