1.渤海使来日 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2020>令和二年3月号(通算221号)呪い味 山川異域風月同天寄諸仏子共結来縁1.渤海使来日
|
神亀四年(727)九月、出羽に渤海使一行が来日した。
渤海とは、713〜926年に中国東北地方から朝鮮北部にあった国で、唐や新羅と対抗するため日本とよしみを通じようとしたのであろう。
同年十二月、使節の首領・高斉徳(こうせいとく)らは入京、翌神亀五年(728)正月に時の聖武天皇に謁見し、渤海第二代国王・武芸(ぶげい)の書状とお土産を奉った。
その国書の冒頭に、こうあった。
「山河域を異にして国土同じからず」
左大臣・長屋王は、ピピンと来た。
「ひょっとして、私の漢詩を御存じなのですか?」
高はさも当然のように申し上げた。
「『山川異域風月同天』の詩は、唐のみならず、我が国でも知れ渡っています。我が国王はあなた様の高尚なお考えに感銘し、私を差し向けたのでございます」
高はそこまで言うと、だびだび感涙してしまった。
「――私も、あなた様にお逢いしとうございました! 今、私はあの詩の作者をこうして目の前にしているのです!
わが生涯で、今ほど幸せなことはございません!」
長屋王ももらい泣きした。
「『朋あり遠方より来たる。また楽しからずや』とはこのことだな。この世に生を受けて四十五年、私はこれまでたくさんの漢詩を作ってきたが、今日ほどうれしい日はなかった」
この翌年、長屋王は藤原氏の策謀によって無残な最期を遂げた(「令和味」参照)。
それなのに彼の漢詩は、はるか時空を飛び越えていくのである。