3.文徳天皇 | ||||||||||||||
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朕は気になって仕方がなかった。
そわそわしていると、朕の母・藤原明子がやって来た。
「あんたの様子が何か変って聞いたんで、見にきてやったわ」
朕は重要なことを思い出した。
(そうだ!善男に父の秘密を聞き出すんだった!)
朕は母の監視の目をかいくぐって伴善男を呼んだ。
「何でしょうか?」
「父の秘密の話を聞きたい。相当な覚悟は決めたよ」
「さようですか。帝は皇太子になられた時のことを覚えておいでですか?」
「覚えているわけないじゃないか!朕が一歳の時だよっ」
「そうでしたね。帝が立太子されるとき、皇太子の候補者はもう一人いました」
「兄だろ?」
「ええ、そうです。帝の異母兄・惟喬親王(これたかしんのう。「天皇家系図」参照)です」
「聞いてる」
「帝のお父君は惟喬親王を立太子させるつもりでした」
「……」
「ところが、帝の『おじいさま』の威光で、帝が立太子されたのです」
「またジイジか」
「理由はお分かりですよね?帝のお母君は『おじいさま』の娘の明子さまですが、惟喬親王の生母は紀静子(きのしずこ・せいし。「紀氏系図」参照)です。惟喬親王が帝になってしまったら、『おじいさま』は外戚(がいせき)として権力を牛耳ることはできません」
「……」
「しかし、帝のお父君はあきらめませんでした。『何とか惟喬を惟仁(清和天皇)が大きくなるまでの中継ぎの天皇にしてくれないか』とか、『惟喬を惟仁の摂政にしてくれないか』とか、いろいろ『おじいさま』に頼んでいたそうです」
「で、ジイジは何て?」
「何も答えませんでした」
「ふーん」
「そうこうしているうちに、なぜか帝のお父君は三十二歳の若さで急死してしまいました」
「若死だね。父は病弱だったんでしょ?」
「『おじいさま』は『元来病弱だった』とみんなに説明していましたが、私にはそうは見えませんでした。帝のお父君は健康体そのものでした。それなのに、どうして突然亡くなっちゃったんでしょうか?」
「?」
「帝のお父君が亡くなって、幼い帝を祭り上げることによって、誰か得をする人でもいるんでしょうか?」
「!」
「不思議です〜」
「何が言いたいんだ?」
「別に何も、今のところは」
「はっきり言えよ!ジイジが父を暗殺したって疑っていると!」
「帝。有罪か無罪かはっきりしない人を疑ってはなりません」
「ううっ、朕はそんなことは初めから信じてないよっ。ジイジが殺人?しかも朕の父上を?そんなことをするはずはない!」
「お気持ちは察します。『おじいさま』を信じたいお気持ちは分かります。だから今は信じていればいいんです。ただし、『おじいさま』がやったという確かな証拠が出てしまったら、もはや憎むよりほかありません」
「……。そんなもの、出るのか?」
「今、私の手の者が動いております。いずれ真相ははっきりするかと」
「……」
「御期待ください」
が、暗殺疑惑の真相が明らかになることはなかった。
貞観八年(866)九月、伴善男は応天門の変で失脚、伊豆へ島流しにされ、捜査資料は全て没収されてしまったからである(「告発味」参照)。