4.藤原良房 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2011>4.藤原良房(ふじわらのよしふさ)
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伴善男の流刑を知った朕は、ジイジ藤原良房に抗議に行った。
「なんで善男を島流しにしたんだ!朕はそんな勅は出してないぞっ!」
すると、良房は平然と言った。
「流刑の勅は私が代わりに出しました」
「なんだって!? そんなもん、臣下が勝手に出せるわけねーだろ!コノヤロー!」
「それが出せるようになったんですよ。私は貞観八年(866)八月十九日付で摂政になりましたから」
「せっしょー!? そんな殺生な〜!」
「うー、さぶっ!私は政務に忙しいんです。つまらんダジャレを言ってないで、分かったら早くあっち行って。シッシッ!」
「なんだその態度はぁー!だいたいそれは朕の仕事じゃねーか!返せ!てめー!」
「ああ。最近帝は言葉遣いが汚くなったものだ。祖父に対して何たる物言いっ。どうやら帝には長幼の序というものが分かっておられないようだな。これも善男の影響だろう。あんなヤツ、流刑にしてよかった」
「ブツブツ言ってねーで朕の仕事を返せって言ってんだよおー!」
「えーい!やかましいわっ!」
良房は一喝した。
で、奥にいた養女・高子を呼び寄せた。
「高子、来なさい!このうるさい帝を色仕掛けで黙らせなさい!」
「はい」
高子は静々と出てくると、帝を引っぱって誘惑した。
「さあ。政務は養父に任せて、寝所へ行きましょっ」
「それどころじゃねえー!」
朕は暴れた。
そのため、母や伯母(藤原順子)ほか、その他女官たちも高子に加勢した。
「行きましょっ、行きましょっ」
「さあさあ。暗い所のほうがワクワクしますよ〜」
朕は女どもによって寝所に連行された。
「じゃまするな!放せっ!のけーっ!」
朕は寝所に入るまで騒いでいたが、寝所に入ってからは高子のほうがやかましくなった。
貞観十年(869)十一月、高子は朕の第一子を産んだ。
名は貞明(さだあきら)親王。
「かわいいのう〜」
ひ孫兼孫の誕生に、良房は大喜びであった。
「おまえには私のすべてをやるぞ。おまえは将来、この国のすべてを受け継ぐのだ」
朕は不安になった。
(何やらいつか、善男が言っていたとおりになってきたぞ……)
朕は、貞明を抱いていた良房と高子の間に割り込んで顔を出すと、めいっぱいニッタリ笑って聞いた。
「朕も負けずにかわいいでしょ〜?」
良房は顔を背けて、ため息をついた。
「いい年こいて何をふざけている!おまえは帝だぞ!帝なら、もっと帝らしい行動をしろ!」
朕はしかられた。いじけた。絶望した。
(やっぱり善男の言うとおりになった……。もうジイジには貞明しか見えてないんだ……)
貞観十一年(869)二月、貞明親王は二歳で皇太子になった。
良房はデレデレであった。
「ウハハッ!ますますかわいいのう!ほれっ!ほれっ!私の顔を見て笑っておる!」
「あの〜、朕も抱きたいんですけど〜」
「うるせえ!私のかわいいかわいい孫兼ひ孫に、汚い手を出すんじゃねえ!」
(どっちが汚いんだ……)
良房の態度を見て、朕の疑心暗鬼は膨張した。
(ジイジは貞明を天皇にするためなら何でもするだろう。朕が反発すれば、朕を亡き者にしてでも天皇にするだろう。かつて父を殺して朕を即位させたように――)
朕は身震いした。
怖くて女に走った。
良房は喜んだ。そういうことなら大賛成であった。彼は率先して美女を集めた。
「こんなのもございますけど」
で、次々と上玉を送り込んできたのである。
ガガーンであった。
(やっぱりだった!善男の先見はすごいぜー!)
朕は女狂いになった。
朕は死ぬまでの十年ちょっとの間に、総勢十九人の子女をもうけた。