3.溺死!源 光 !! | ||||||||||||||
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藤原時平の死後、政界首班になったのは、右大臣源光(みなもとのひかる。「天皇家系図」参照)であった。
が、光は全然うれしくはなかった。
「余の身も危うい」
光は菅原道真が政界デビューした当初から彼を憎んでいた。
彼は時平派の最右翼であったからこそ、道真の後釜(あとがま)として右大臣を襲うことができたのである。
「菅家に反した者は、みなみな殺されていく……」
延喜九年(909)七月には、仏教界のトップ、僧正・聖宝(しょうぼう。「天皇家系図」参照)も死んだ。
『都に結界を張り巡らせなさいませ!まだまだ仏の力が足りませぬ!諸大寺に四天王像や十二天像などをたくさんたくさん造らせるのです!』
聖宝は醍醐天皇の信任厚く、勅願寺・醍醐寺を創建した真言宗の高僧である。東密小野流の祖であり、修験道中興の祖でもある彼の法力はすさまじかったが、ついに力尽きて命を落としたのであった。
『うう、無念……。菅公の怨念がこれほどまでに強いとは……』
「そうよ。余も殺されてしかるべき男だ」
だから光は雷を恐れた。
少しでもゴロッと音がすると、怖くて外出できなかった。
「外へ出なければ、少なくとも雷の直撃は免れる」
年を取ったとはいえ、アウトドア派の光はおもしろくなかった。
「菅原氏の先祖である土師(はじ)氏は、代々葬送を担当していた卑しき身分であった。もともと政界に進出できるような立場ではなかったのだ!ヤツだって先祖と同じように政治に介入せず、おとなしく埴輪でも作っていればよかったのだ!出る杭(くい)は打たれるのだ!仕方ないことではないか!それなのになぜ余らを恨む?見当違いもいいとこだ!いい加減に往生しろよなっ!」
光は恨めしそうに空を見上げた。
その日は前日までの雷雨がウソのように止み、朝からすっきり晴れ渡っていた。
「今日は大丈夫のようだ」
光はなまっていた体を動かし、関節をポキポキ鳴らした。
「久しぶりに狩猟でも行くか」
光は従者を連れて近くの山に狩猟に出かけた。
ところが、前日までの雨でかなり地面がぬかるんでおり、獲物を見つけても思うように追いかけ回すことができなかった。
「ダメだなこれは。今日はもう帰ろう」
途中、馬がぬかるみにはまり、脚が抜けなくなった。
「ひひーん(出れない〜)」
「プッ!とろいヤツだな」
光が馬の脚を引っ張り出そうとしたが、ぜんぜん抜けない。
ぬぷぬぷぬぷ〜。
そうこうしているうちに光まで腰までぬかるみにドップリつかってしまった。
「こりゃ、沼じゃないか!お!余も動けないぞっ!」
「光様。お手を」
光は従者が差し伸べたきた手を引っ張った。
が、勢いよく引っ張ったためか、従者も沼にはまってしまった。
「あれー!」
どっぱーん!
「アホ!もっとよくふんばってろよ!」
光は笑っちまった。
ブクブクブク……。
しかも従者は泥中にすっかり沈んでしまって、ぜんぜん上がってこない。
「どうした?」
反応がなかった。
光はあせった。
「どうしたんだー!?」
そういえば、自分の体も先程よりさらに沈んでいるようである。そう思っている間も、みるみるずんずん沈んでいくようである。
「底なし沼か!」
光はようやく事の重大さに気がついた。
「誰か!助けてくれ!」
じたばた!じたばた!
光はもがいた。
ぶくぶくぶくぶく〜。
もがけばもがくほど、ますますぬぷぬぷ沈んでいった。
光は恐怖した。
「これも菅家のたたりなのか?」
ごろごろごろろろ〜。
遠雷が肯定しているかのようであった。
「いやだー!こんな死に方はいやだー!」
じたばた!じたばた!
ぶくぶくぶくぶく〜。
とうとう光は首のところまで沈んでしまった。
「アプアプッ!頼むぅぅぅ〜。大変なんだぁぁぁ〜!誰か、助けてくれぇぇぇ〜!」
ばたたたたたた!
「わぁぁぁー!」
ぶくくくくくく〜。
「ごぶっ!」
ちゃっぽん!
……。
……。
……。
しーん。
あたりは静かになった。
それっきり、光の姿を見た者は誰もいなかった。
延喜十三年(913)三月十二日。享年六十八。