4.再死!三善清行!!

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陸山会事件
1.変死!藤原菅根!!
2.早世!藤原時平!!
3.溺死!源 光 !!
4.再死!三善清行!!
5.蘇生!源 公忠!!
6.悶死!醍醐天皇!!

 藤原時平・源光両大臣の尋常でない死に方は、ますます醍醐天皇を恐怖させた。
「なぜにみな変な死に方をする?」
 大臣だけではなかった。菅原道真が没して以降、納言も次々と死んでいた。

  延喜二年  源 希 (中納言)
  延喜六年  藤原定国
(大納言)
  延喜七年  藤原有穂
(中納言)
  延喜八年  藤原国経・源貞恒
(大納言)
  延喜九年  平惟範
(中納言)
  延喜十二年 紀長谷雄
(中納言)
  延喜十五年 源 湛 
(大納言)

「やはり菅家は無実だ!無実だったからこそ、天神になって朕(ちん)らに復讐(ふくしゅう)しているのだ!」
「たたりではありませぬ!」
 一喝したのは参議兼宮内卿・三善清行
「これが菅家の怨霊の仕業であれば、私なんぞは真っ先に殺されてしかるべきでしょう!御覧ください!私は齢
(よわい)七十を超えましたが、このとおりまだまだピンピンしておりまする!」
 清行はわざと化け物が出る屋敷に引越したことのあるほど豪胆な男である。したがって怨霊など、屁
(へ)とも思ってはいなかった(時平発病のときは少々びびっていたが……)
「私だけではありません!菅家の仇敵
(きゅうてき)大蔵善行(おおくらよしゆき)なんぞは九十近くになった今でも子作りに励んでおりますぞっ!」
 醍醐天皇は思わず吹き出した。
「おお、そうか。朕も負けてはおれぬな」
 ぜんぜん負けてはいなかった。醍醐天皇の子女数は三十六人。
 清行は続けた。
「天変地異や要人の死が相次いだのは、偶然が重なっただけのことです!ただし、いかにも菅家の怨霊の仕業のごとく吹聴し、これを利用しようとする不埒
(ふらち)なヤカラがいることもまた確かでしょう」
「何?誰が何の目的でそのようなことをするのじゃ?」
「憶測では申せませぬ。されど、いずれ化けの皮ははがれるものかと」

 しかし、豪語していた清行も、とうとう目をつけられた。
(おこんばんは〜)
 清行はうとうと目覚めた。目をこすった。
「だ、誰だ?」
(道真の怨霊ですよーん)
「ウソだ!」
 清行は一瞬にして完全に目が覚めた。
(ホントですって〜。私があなたのところに来ないはずはないでしょうが〜。生前、あなたは私に何をしました〜?心当たりはおおいにあるでしょう〜?)
「ない!ない!ない!あなたも時平らを殺して気が済んだであろう?あの件でわが三善一族は安泰になったはずだ!」
(そんな約束は一切しておりませんが〜)
「したと同じではないか!だいたいあなたはあれから十年近くも一度も現れなかった!どうして今頃になって来やがったのだ!」
(だって、今まであなたはすごい法力で守られていましたからね〜。入り込むスキがなかったので、仕方なくほかの人から殺
(や)ってたんですよ〜)
「法力?」
 先述したが、清行の子は浄蔵である。
 実は長年、浄蔵が父を法力で守っていたのであるが、あいにく先日から紀伊熊野詣
(「熊野味」参照)に出かけて留守をしていた。
「ぬ、ぬ、ぬ……。しかし息子が留守なのは、今まででも何度でもあったぞ」
(あったんですが、今までは「カギ」がかけてありましたから、残念ながらおじゃまできなかったんですよ〜。ところが今回はコレがはがれてましてね〜。なんでかな〜。風でめくれちゃったんですかねえ〜)
 怨霊はなにやらゴニョゴニョ字のようなものが書かれた紙切れを差し出してきた。
「こ、これは、魔よけのお札ではないか!」
(そうですよ〜。それがはがれていたから、私はこうやってあなたの邸内にやすやすと入ることができたんですよ〜)
「何だと!」
 清行はバッと起き上がった。
 あわててお札を貼り直しに行こうとしたが、ものすごい力で引っ張り戻された。
(無駄ですよ〜。だいたい浄蔵が呪文
(じゅもん)を掛けながら貼らないと効き目はありませんよ〜。そうです!手遅れなんです!あなたはもうおしまいなんです!覚悟っ!)
「やめろー!」
「やめない〜」
 ぶわさっ!
「ぎょーん!」
 ぽっくり!

 清行は死んだ。
 享年は、と、言いたいところであるが、彼の場合は少し違っていた。
 熊野詣に出かけていた浄蔵が感づき、あわてて戻ってきたのである。
「まずい!父が危うい!」
 が、すでにもう、清行の葬列は一条堀河
(いちじょうほりかわ。京都市上京区)の自邸から火葬場のある蓮台野(れんだいの。京都市北区)へ向かうところであった。
「遅かったか……」
 浄蔵は棺桶
(かんおけ)のふたを開けると、お付きの僧に聞いた。
「父が死んだのはいつだ?」
「五日前ですが」
「まだ大丈夫だな」
 浄蔵は父の遺体を引っ張り出すと、戻橋
(もどりばし)の上で加持を行い、蘇生術を施した。
 戻橋とは小野篁
(おののたかむら)や渡辺綱(わたなべのつな)らの伝説で知られる、この世とあの世の境界のような橋なのである。
 パッチリ!
 清行は目を開けた。
「どうしたことだ?私は死んだのでは……」
「ええ、死んだんですが、特別に七日間だけ生き返ったのです」
「おお。それはありがたい。まだ死ぬ準備をしていなかったからな」
 父子は橋の上で一晩語り明かした。
 そのとき、清行は妙な話をしようとした。
「あの世の入口で変な話を聞いた。帝のことであるが……」
「え?帝の御身に何か?」
「いや。やめておこう。帝の崩御後のことだ。御健在の今に話すことではあるまい」
 七日後、清行は西向きに座り、念仏を唱えながら安らかに死んだという。
 時に延喜十八年(918)十二月七日。享年七十二。

 また、清行の盟友・大蔵善行は、延喜二十一年(921)に卒寿(九十歳)を祝った後、忽然(こつぜん)と記録から消え失せている。

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