1.色仕掛け

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川崎中一殺害とIS
1.色仕掛け
2.偽装妊娠
3.隠岐脱出

「見張りさん、見張りさん」
「どうした?官女」
「カノジョ?」
「カノジョじゃない。カンジョだ。官の女だから官女だ。何か用か?」
「別に〜。あなたの顔が見たかっただけ〜」
「ふざけやがって。今日何度目だ?」
「だって、呼ばないと見られないも〜ん。それにしてもいい男ね〜。ちょっと右向いてみて。そうそう。今度左。じゃ、次は腕まくりしてみようか」
「何させるんだ!俺は忙しいんだよ!あんたと遊んでるヒマないんだよ!」
「プッ!仕事してるとこ見たことないけど〜」
「あんたらを見張るのが俺の仕事なんだよっ!」
「ムダな仕事よね〜。私たち、逃げるつもりないし〜。逃げたらあんたの顔も見られなくなっちゃうし〜」
「信用できねえな」
「信用してよ〜。それにここは隠岐なのよ。絶海の孤島なんだよ。逃げたとしてもすぐ捕まっちゃうでしょ〜。本土に逃げうせられるわけでもあるまいし〜」
「まあな。しかし本土からは定期的に商船が来ている。それに紛れ込めば、島抜けできないことはない」
 それを聞いて思わず顔を上げて目を光らせた男があった。
 鎌倉幕府転覆の陰謀
(「子供味」参照)がバレて隠岐に流され、ここ黒木御所で軟禁されている後醍醐天皇であった。
 見張りは警戒した。
「ほーら、先帝
(せんてい)は逃げる気満々じゃないか。危ない危ない」
 後醍醐天皇は再び書物に顔を落とした。
 官女は見張りにすがりついた。
「ねえ、私たち、ここにいたら外のことこと何にも分からないの。何か外のこと話してくれない?」
「罪人との私語は禁止されている」
「いいじゃないの〜、私たち、四六時中顔を合わせているのよ。夫婦みたいなもんじゃない〜」
「何を言っているんだ。俺はあんたとは何の関係もない」
「どうして他人ぶるの〜?あ!若い女とベタベタしているのが知れたら、奥さんに怒られるんだ〜」
「俺は独身だ」
「だったら障害は何もないじゃない〜。もっとベタベタしましょうよ〜」
「しないって!」
「そんなら何かおもしろい話してよ〜」
「しないってっ!」
「してして〜」
「……」
「ところで、あなたのお名前は?」
「……」
「名前は私語じゃないから教えてくれたっていいでしょ〜」
「義綱だ」
「ヨシツナ?何ヨシツナ」
「佐々木だ。富士名の地頭をしているから富士名義綱ともいう」
「ふーん、地頭さんなんだ〜。地主でお金持ちなんだ〜。うひっ!私って、玉の輿
(こし)なんだ〜」
「お前は関係ねーだろ!ていうか、君は先帝のお手付きじゃないのか?」
「やーねー、ついてないわよ〜。先帝には別にオンナがいるのよ〜」
「……」
「なによ、その疑いの目は〜?あ!もしかして、やいてるの?」
「やいてねーよ!」
「先帝のオンナは三位局
(阿野廉子)サマって方よ、ほら、この島まで一緒についてきた――」
「ああ。別の館にいる女だな」
「そうそう。だから私のダンナサマは、あ・な・た」
「違うって!」
 後醍醐天皇が瓶子
(へいじ)を持って二人に近づいた。
「杯を取らせる」
 杯を渡された義綱はまんざらでもなかった。
 捕らわれの身とはいえ、先帝手ずから賜ったのである。
「まあ、くれるとおっしゃるなら、いただきますけど」
 義綱は一気に飲み干した。
「今度、なんじ」
 後醍醐天皇は官女にも杯を差し出した。
「一生、この人についていくことを誓います」
 官女は飲み干すと、瞳をうるうるさせて義綱に頭を下げた。
「生ものですのでお早めにお召し上がりください」
 後醍醐天皇も頭を下げた。
「お買い上げ、ありがとうございます」
 義綱は青くなった。
「これって、祝言じゃねえかよ〜」
 後醍醐天皇がニヤッと顔を上げて聞いた。
「で、本土の戦況はどうなっておる?楠木正成はどうなった?」
 義綱は覚悟して話すことにした。
「幕府軍百万騎相手に打ち負かす勢いとか」
「ほう」
「楠木だけではございません。備前では伊藤大和二郎
(いとうやまとじろう)が、播磨では赤松入道(あかまつにゅうどう。赤松円心)が幕府に反旗をひるがえしました。赤松の勢は約三千。上洛して六波羅探題と一戦交える気だとか」
「ふふふ」
「四国では河野
(こうの)一族です。幕府方の長門探題(ながとたんだい。北条時直)を打ち破った後、先帝の救出か上洛か、どちらを先にやるか迷っているそうで」
「おもしろい!おもしろくなってきたぞ!」
「おもしろくありません。拙者は幕府方ですから」
「だったら幕府を裏切ればいいではないか」
「それはできません。即座に殺されちゃいます」
「あからさまでなくてもいいのだ。内通でいいのだぞ」
「同じことです。ばれたら殺されちゃいます」
「じゃあこうしよう。なんじは官女と駆け落ちするだけでいい」
「はあ?」
「分からないのか?ここではなんじと官女は見張りと見張られ役なのだ。いつまでもここにいては本当の夫婦にはなれないのだ。本当の夫婦になるには、駆け落ちして外に出るよりほかあるまい」
「そうですよね。それしかありませんよね」
「そうと決まったら頼みがある」
「頼みとは?」
「駆け落ちする時に門のカギをかけ忘れて出ていってほしいのだ」
「え?」
「カギが開いていれば、後から朕
(ちん)も脱出できる」
「!」
「これならなんじは朕に内通することにならないし、朕のために手引きしたことにもならない。なんじは自分のために行動した結果、ただカギをかけ忘れただけということになる」
「……。なんか違うような?」
「やってくれるか?」
「分かりました。ただし、その前に本土に渡る船を手配しておかなければなりません。拙者は明日から非番なので、出雲に行ってきます」
出雲にあてがあるのか?」
「拙者は塩冶判官
(えんやほうがん)と懇意にしております」
 塩冶判官とは、後に高師直に追い落とされることになる、あの塩冶高貞
(たかさだ。「塩冶氏系図」参照)のことである(「暴走味」参照)
 後醍醐天皇は喜んだ。
「塩冶といえば、出雲守護ではないか。幕府方の守護が船など手配してくれるのか?」
「ただの駆け落ちなんですよ。手を貸さないことはないでしょう」
「そうであったな」

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