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「見張りさん、見張りさん」
「どうした?官女」
「カノジョ?」
「カノジョじゃない。カンジョだ。官の女だから官女だ。何か用か?」
「別に〜。あなたの顔が見たかっただけ〜」
「ふざけやがって。今日何度目だ?」
「だって、呼ばないと見られないも〜ん。それにしてもいい男ね〜。ちょっと右向いてみて。そうそう。今度左。じゃ、次は腕まくりしてみようか」
「何させるんだ!俺は忙しいんだよ!あんたと遊んでるヒマないんだよ!」
「プッ!仕事してるとこ見たことないけど〜」
「あんたらを見張るのが俺の仕事なんだよっ!」
「ムダな仕事よね〜。私たち、逃げるつもりないし〜。逃げたらあんたの顔も見られなくなっちゃうし〜」
「信用できねえな」
「信用してよ〜。それにここは隠岐なのよ。絶海の孤島なんだよ。逃げたとしてもすぐ捕まっちゃうでしょ〜。本土に逃げうせられるわけでもあるまいし〜」
「まあな。しかし本土からは定期的に商船が来ている。それに紛れ込めば、島抜けできないことはない」
それを聞いて思わず顔を上げて目を光らせた男があった。
鎌倉幕府転覆の陰謀(「子供味」参照)がバレて隠岐に流され、ここ黒木御所で軟禁されている後醍醐天皇であった。
見張りは警戒した。
「ほーら、先帝(せんてい)は逃げる気満々じゃないか。危ない危ない」
後醍醐天皇は再び書物に顔を落とした。
官女は見張りにすがりついた。
「ねえ、私たち、ここにいたら外のことこと何にも分からないの。何か外のこと話してくれない?」
「罪人との私語は禁止されている」
「いいじゃないの〜、私たち、四六時中顔を合わせているのよ。夫婦みたいなもんじゃない〜」
「何を言っているんだ。俺はあんたとは何の関係もない」
「どうして他人ぶるの〜?あ!若い女とベタベタしているのが知れたら、奥さんに怒られるんだ〜」
「俺は独身だ」
「だったら障害は何もないじゃない〜。もっとベタベタしましょうよ〜」
「しないって!」
「そんなら何かおもしろい話してよ〜」
「しないってっ!」
「してして〜」
「……」
「ところで、あなたのお名前は?」
「……」
「名前は私語じゃないから教えてくれたっていいでしょ〜」
「義綱だ」
「ヨシツナ?何ヨシツナ」
「佐々木だ。富士名の地頭をしているから富士名義綱ともいう」
「ふーん、地頭さんなんだ〜。地主でお金持ちなんだ〜。うひっ!私って、玉の輿(こし)なんだ〜」
「お前は関係ねーだろ!ていうか、君は先帝のお手付きじゃないのか?」
「やーねー、ついてないわよ〜。先帝には別にオンナがいるのよ〜」
「……」
「なによ、その疑いの目は〜?あ!もしかして、やいてるの?」
「やいてねーよ!」
「先帝のオンナは三位局(阿野廉子)サマって方よ、ほら、この島まで一緒についてきた――」
「ああ。別の館にいる女だな」
「そうそう。だから私のダンナサマは、あ・な・た」
「違うって!」
後醍醐天皇が瓶子(へいじ)を持って二人に近づいた。
「杯を取らせる」
杯を渡された義綱はまんざらでもなかった。
捕らわれの身とはいえ、先帝手ずから賜ったのである。
「まあ、くれるとおっしゃるなら、いただきますけど」
義綱は一気に飲み干した。
「今度、なんじ」
後醍醐天皇は官女にも杯を差し出した。
「一生、この人についていくことを誓います」
官女は飲み干すと、瞳をうるうるさせて義綱に頭を下げた。
「生ものですのでお早めにお召し上がりください」
後醍醐天皇も頭を下げた。
「お買い上げ、ありがとうございます」
義綱は青くなった。
「これって、祝言じゃねえかよ〜」
後醍醐天皇がニヤッと顔を上げて聞いた。
「で、本土の戦況はどうなっておる?楠木正成はどうなった?」
義綱は覚悟して話すことにした。
「幕府軍百万騎相手に打ち負かす勢いとか」
「ほう」
「楠木だけではございません。備前では伊藤大和二郎(いとうやまとじろう)が、播磨では赤松入道(あかまつにゅうどう。赤松円心)が幕府に反旗をひるがえしました。赤松の勢は約三千。上洛して六波羅探題と一戦交える気だとか」
「ふふふ」
「四国では河野(こうの)一族です。幕府方の長門探題(ながとたんだい。北条時直)を打ち破った後、先帝の救出か上洛か、どちらを先にやるか迷っているそうで」
「おもしろい!おもしろくなってきたぞ!」
「おもしろくありません。拙者は幕府方ですから」
「だったら幕府を裏切ればいいではないか」
「それはできません。即座に殺されちゃいます」
「あからさまでなくてもいいのだ。内通でいいのだぞ」
「同じことです。ばれたら殺されちゃいます」
「じゃあこうしよう。なんじは官女と駆け落ちするだけでいい」
「はあ?」
「分からないのか?ここではなんじと官女は見張りと見張られ役なのだ。いつまでもここにいては本当の夫婦にはなれないのだ。本当の夫婦になるには、駆け落ちして外に出るよりほかあるまい」
「そうですよね。それしかありませんよね」
「そうと決まったら頼みがある」
「頼みとは?」
「駆け落ちする時に門のカギをかけ忘れて出ていってほしいのだ」
「え?」
「カギが開いていれば、後から朕(ちん)も脱出できる」
「!」
「これならなんじは朕に内通することにならないし、朕のために手引きしたことにもならない。なんじは自分のために行動した結果、ただカギをかけ忘れただけということになる」
「……。なんか違うような?」
「やってくれるか?」
「分かりました。ただし、その前に本土に渡る船を手配しておかなければなりません。拙者は明日から非番なので、出雲に行ってきます」
「出雲にあてがあるのか?」
「拙者は塩冶判官(えんやほうがん)と懇意にしております」
塩冶判官とは、後に高師直に追い落とされることになる、あの塩冶高貞(たかさだ。「塩冶氏系図」参照)のことである(「暴走味」参照)。
後醍醐天皇は喜んだ。
「塩冶といえば、出雲守護ではないか。幕府方の守護が船など手配してくれるのか?」
「ただの駆け落ちなんですよ。手を貸さないことはないでしょう」
「そうであったな」


