2.偽装妊娠 | ||||||||||||||
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翌日、富士名義綱は出雲へ向かった。
が、非番が過ぎても彼が黒木御所へ戻ってくることはなかった。
後醍醐天皇は舌打ちした。
「あやつ、裏切ったか……」
裏切ったわけではなかった。
確かに義綱は塩冶高貞に船の手配を依頼していた。
「どうか、拙者の駆け落ちの手助けを」
高貞が不審がったのである。
「妙だな」
「何がですか?」
「駆け落ちなら商船を頼めばいい。なぜわしに船を出させるのか?」
「……」
「さては、ただの駆け落ちではあるまい」
「……」
「各地で過激派武装組織が跋扈(ばっこ)している折も折だ。さるお方を救い出して盟主にしようという動きがあるという」
「……」
完全に見抜かれていた。
「この者をひっとらえよ!」
義綱は捕まってしまったのである。
彼は暴れて訴えた。
「今や過激派は山陽南海両道を制圧する勢い!長門探題も完膚なきまでにこれに敗れた!もはや幕府に暴徒を押さえつける力はあらず!今のうちに貴方も先帝に忠誠を誓われよ!」
高貞はつかつかと歩み寄ると、義綱の胸倉を持ち上げた。
「わしも万が一のことは考えておる。が、依然として幕府は天下最強。過激派が必ず勝てるという確証がない限り、おいそれと寝返るわけにはいかぬ。しばらくは様子見だ。勝手な動きをされると迷惑だ。この者を牢(ろう)にぶち込んでおけ」
出雲で義綱が監禁されたことは後醍醐天皇には伝わらなかった。
「やむをえん。別の脱出方法を考えるしかあるまい」
「うーん、何も思いかない〜」
官女は頭を抱えたが、後醍醐天皇はひらめいた。
「そうだ!妊娠だ!妊娠するんだ!」
「えーっ、困ります〜。いけませんわっ、私、人妻なのに〜」
「なんじではない。廉子が妊娠するのだ」
「で、ですよね〜」
後醍醐天皇は近臣の千種忠顕(ちぐさただあき)に策を授けた。
日暮れ後、阿野廉子が別の館から黒木御所へやって来た。
「ふう〜。赤ちゃんできちゃった〜」
お腹を布でグルグル巻きにして妊娠を偽装してきたのであった。
廉子が忠顕に支えられて、よっこいしょと車から降りた。『太平記』には「輿」とあるが、「車」であろう。
後醍醐天皇が帳の中に招き入れて、
「どれどれ、お腹を触らせておくれ」
と、腹の布を下からスルスルスルスルほどいた。
で、できたすその空間に薄着になった自分がすっぽりと隠れ入ったのである。
「これでよしと」
やや不自然に膨らみすぎたが、いいのである。
帳から出た廉子(御醍醐含む)は、打ち合わせ通り演技を始めた。
「いたっ!」
「どうなさいました?」
「う、う、産まれる〜!」
「ひやっ!大変!」
下人たちがびっくりしてバタバタした。
忠顕が下人たちを追っ払うように指示した。
「局は私が車で運ぶ!みなは先に局の館へ戻って急ぎ出産の準備を!」
「分かりました!」
「がってん承知!」
忠顕は、うんしょと廉子を車に乗せようとした。
重すぎて乗らなかったため、廉子は自分で「四本足」で乗ったが、周囲はパニクっていて気づく者もいない。
「行くぞ!」
忠顕は気合を入れて車を引いて御所の門へ走った。
「三位局様が産まれそうなんだ!早く門を開けてくれ!早く!」
門番がバラバラとやって来て車を取り囲んだ。
「では、車の中の調べますよ〜」
忠顕はわめいた。
「そんな暇はない!行きに調べたのと同じ車だ!」
「でも、規則なんで」
「急いでいるんだ!ここで産まれちゃってもいいんかい!」
「それは困ります〜」
忠顕の剣幕に、門番たちはたじろいで遠巻きになった。仕方なく門を開けてくれた。
「分かりゃいいんだ、分かりゃー」
忠顕は猛然と門を突破した。
門から離れると、二十三夜の月はまだ出てないため、周りは真っ暗闇である。
「つまり、湊へ逃げても分からないわけだ」
忠顕はもう車を引いてはいなかった。
「朕は自由だ!」
後醍醐天皇も廉子のすその中に隠れてはいなかった。
草履(ぞうり)という下々の履きものを履いて走っていた。
「キャー!一年ぶりのシャバー!」
廉子もはしゃいで駆けた。
「でも、湊までどうやって行けばいいんだ?」
「真っ暗闇で分かんない」
三人はさ迷い歩いた。
長い時間歩いてへとへとになった。
「湊はまだかな?」
「なんか、私たち同じところグルグル回ってない?」
「朕もそう思う」
夜が更け、月が昇った。
周囲が少し見えるようになった。
「あそこに民家の明かりがある」
「村人に湊までの道を聞いてみようよ」
「まずいでしょ〜。通報されて御所に連れ戻されたらどうするんですか〜」
「まさか先帝が逃げてるとは思わないでしょ」
「そうだそうだ。まだ民には伝わっていないはずだ」
三人は道を聞くことにした。
ドン!ドン!
「夜遅くすみませーん」
「湊までの道を教えて欲しいんですが」
ガラガラガラ。
中から農民が出てきた。寝ていたのか、目をこすって聞いた。
「見かけない方々ですが、遭難者ですか?」
とっさに忠顕が肯定した。
「そーなんですよー。ですから本土に帰りたいんですが、湊がどこにあるのか分からなくてさ迷い歩いてたんですよー」
農民は三人の姿をジロジロ見た。
汚れているが、いい身なりをしていることは見て取れた。
「そうでしたか。湊まではもう近いですが、道が分かりにくいので、おらが親切に案内してあげましょう」
「ありがとうございます〜」
「いえいえ、お礼なんていりませんから」
「今はこの状態で何も持ち合わせていませんが、後日必ず」
「いえいえっ、ホントに何もいりませんから。いひっ」
農民が原人みたいな歩き方をしていた後醍醐天皇に気づいた。
「あんた、ヘロヘロじゃないですか。歩けますか?」
「うーん、足の裏のマメがつぶれて痛いのだ」
「おらが負ぶって差し上げましょう」
農民は後醍醐天皇を負ぶった。
「すまんな。このお礼も必ず」
「いえいえ、いやいや、へっへっへー」
後醍醐天皇一行は千波の湊に夜明け前につくことができた。
農民は湊にいた船頭たちに頼んでみた。
「遭難者がいるんだ。誰か本土まで送ってあげてくれないか」
初め、船頭たちは無視していたが、農民が、
「残念だ。金持ちそうな遭難者なのに」
と、言ったとたん、
「私が送っていこう!」
「いいや、おいらが!」
「俺だ俺だ俺だ!」
と、争って挙手してきた。
「さすが商人たち。商魂たくまし〜い」
農民はその中から伯耆へ向かう船頭を選んで後醍醐天皇一行を託した。