3.隠岐脱出 | ||||||||||||||
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夜が明けると、後醍醐天皇一行を乗せた商船は帆を掲げ、湊の外へ漕ぎ出した。
船頭が聞いた。
「伯耆でよろしいですか?指示してくだされば、どこへでもお送りしますが」
千種忠顕が答えた。
「かたじけない。伯耆か出雲でよい」
「では、名和(なわ)の湊へ」
しばらくして、今度は忠顕が後醍醐天皇を指して聞いた。
「船頭さん。この方の正体、気になりませんか?」
「気になってましたよ」
船頭が笑った。海を指して付け足した。
「でも、あの追手の船団を見て、どなたか分かりましたよ」
「何!追手だと!」
忠顕が見てみると、なるほど何十艘(そう)もの船団が追いかけてきている。
「あれは商船ではありません。隠岐判官(隠岐守護・佐々木清高)の船団です。隠岐判官自らあんな船団を差し向けるのは、隠岐に流されていたあのお方が御逃亡されたとしか考えられません」
「お察しの通りだ」
忠顕が認めると、後醍醐天皇も頼んだ。
「頼む。全力で逃げてほしい。うまく逃げられたら、なんじには荘園を与えよう」
船頭は張り切った。
「もちろんそのつもりです。あなた様を乗せた時点ですでに私は共犯者です。私だって、罰せられないためには逃げるしかないんですよ」
船頭は水手(かこ)総出で船をこがせたが、ついに追手の一艘に追いつかれ、横付けされてしまった。
ズカズカと乗り込んできた親分の武士が船頭に聞いた。
「ちょっとものを尋ねるが」
「はい、何でしょうか?」
「昨晩、主上が御所から逃亡した」
「シュジョー?」
「先帝のことだ。昨晩から今日にかけて、誰か怪しい者を見かけなかったか?」
「さあ」
船頭はとぼけたが、思い出したように言った。
「そういえば子の刻(ねのこく。午前零時頃)ばかりに千波の湊で立烏帽子(たてえぼし)をかぶった高貴そうな二人連れが船に乗り込むのを見かけましたが。その船は今頃は五、六里先を航行中でしょう」
親分の武士はだまされた。
「なるほど。ならばそいつらに間違いあるまい」
それでも、子分たちに命じた。
「だがその前に、念のためこの船の積荷も改めさせてもらう」
子分たちは積荷を調べた。
でも、入っているのは魚介類ばかりであった。
子分たちはぶうたれた。
「魚ばっかですよ」
「あー、手が魚臭くなっちゃった」
「時間の無駄のような気がしますが」
親分の武士が聞いた。
「船頭よ。船底にも積荷はあるのか?」
船頭はぎくりとしたが、普通ぶって答えた。
「ええ、積荷は主に船底に積んでおりますので。すごいたくさんありますけど、お疑いならどうぞお調べください」
子分は船底に入った。
「うわっ!本当にたくさんある〜」
「これ全部調べてたら日が暮れちゃうよ〜」
「魚臭さも充満してますし〜」
「こんな臭い船底に先帝なんか押し込めませんて〜」
船底をのぞいた親分も同調した。
「うえっぷ!お前らの言うとおりだ。こんな所に主上がいるはずがない。やはり先の船だ。行くぞっ」
こうしてこの船は去っていった。
が、一難去って百難がやって来た。
別の船百艘余りが迫ってきたのである。
船頭も弱気になった。
「今度追いつかれたら、もうごまかせませんよ」
もはややれることは神頼みしかなかった。
後醍醐天皇は船底からはい出てきて祈った。
「竜神様、どうかあの大船団から逃げ切れますように」
後醍醐天皇は身に着けていたお守りから仏舎利を一粒取り出すと、紙に載せて波の上に浮かばせた。
すると、ほどなくして風向きが変わった。
商船を東へ吹き送り、追手を西へ吹き戻してくれたのである。
「やったぞー!」
こうして後醍醐天皇一行は無事に名和の湊につくことができた。
で、この地の海運業者・名和長年(なわながとし)に擁立されることになるのである。
[2015年2月末日執筆]
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