2.消殺! 藤原刷雄!!〜 最強運の陰陽師 | ||||||||||||||
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最愛の妻二人と母を亡くして消沈していた桓武天皇のところに、その男はヨボヨボとやって来た。
新たに陰陽頭(おんみょうのかみ。陰陽寮長官)に就任した老人であった。
「陰陽頭・藤原刷雄(よしお。薩雄)、ただ今参上しました」
頭を下げた長いマユゲのこの老人、ただの老人ではなかった。
たぐいまれなる強運の持ち主であった。
桓武天皇 PROFILE | |
【生没年】 | 737-806 |
【別 名】 | 山部王・山部親王・柏原帝・延暦帝 |
【出 身】 | 山背国大枝?(京都市西京区) |
【本 拠】 | 平城宮(奈良県奈良市)→長岡宮(京都府向日市) →平安宮(京都市上京区) |
【職 業】 | 皇族 |
【役 職】 | 大学頭→侍従→中務卿→皇太子(773-781) →天皇(781-806) |
【位 階】 | 従五位下→従五位上→四品 |
【 父 】 | 光仁天皇(施基親王王子) |
【 母 】 | 高野新笠(和乙継女) |
【継 母】 | 井上内親王・藤原曹司ら |
【兄 弟】 | 開成・能登内親王・早良親王・弥努摩内親王 ・酒人内親王・稗田親王・他戸親王・広根諸勝 |
【 妻 】 | 藤原乙牟漏・藤原旅子・酒人内親王・藤原吉子 ・藤原小屎・多治比真宗・坂上又子・坂上春子 ・藤原仲子・藤原平子・橘御井子・大中臣豊子 ・藤原東子・藤原河子・藤原上子・紀若子 ・紀乙魚・橘常子・橘田村子・河上真奴 ・百済王明信・百済王教仁・百済王貞香 ・百済王教法・多治比豊継・百済永継ら |
【 子 】 | 安殿親王(平城天皇)・神野親王(嵯峨天皇) ・伊予親王・良岑安世・大伴親王(淳和天皇) ・葛原親王・万多親王・明日香親王・坂本親王 ・佐味親王・太田親王・仲野親王・賀陽親王 ・大徳親王・葛井親王・朝原内親王・高志内親王 ・大宅内親王・高津内親王・布勢内親王・紀内親王 ・甘南備内親王・駿河内親王・滋野内親王 ・安濃内親王・因幡内親王・安勅内親王 ・大井内親王・菅原内親王・賀楽内親王 ・春日内親王・善原内親王・伊都内親王 ・池上内親王・長岡岡成・堪久 |
【従兄弟】 | 神王・壱志濃王・和家麻呂ら |
【側 近】 | 藤原百川・藤原種継・藤原小黒麻呂 ・菅野真道・藤原継縄・和気清麻呂ら |
【墓 地】 | 柏原陵(京都市伏見区) |
【霊 地】 | 平安神宮(京都市左京区) |
刷雄の父は藤原仲麻呂。
人形天皇・淳仁天皇(じゅんにんてんのう)を擁立し、正一位・大師(たいし。太師。太政大臣格)に昇り、新羅征伐をも計画、藤原南家家中最高の栄華を極めた奈良時代最強の権力者である(「2002年10月号 日朝味」「藤原南家系図」参照)。
が、仲麻呂の末路は悲惨であった。
天平宝字八年(764)、道鏡命の称徳天皇に反旗を翻して敗れ、近江高島(たかしま。滋賀県高島市)にて惨殺されたのである(恵美押勝の乱)。
このとき仲麻呂の一族は、老若男女の区別なく皆殺しにされた。
当然、仲麻呂の六男・刷雄も殺されるところであったが、
「刷雄は若い頃から仏道に励んできたので」
と、いう理由でただ一人命を救われ、隠岐に島流しにされたのである。
後に刷雄は大赦で帰京、従五位下から従五位下に昇り、一族の菩提を弔いながら細々と暮らしていた。
その彼を桓武天皇が陰陽頭に抜擢(ばってき)したのは、その境遇への同情と、その強運にあやかりたいという思いからであろう。
「来たか。朕と同じくすべての悲しみを背負った男……」
桓武天皇の言葉に、刷雄は体を揺らして笑った。
「フッフッフ。帝にはまだ、夫人(吉子)も妃(酒人内親王)も皇太子(安殿親王)もおられるではないですか。まだまだ天涯孤独の愚老ほどではありますまーい」
「その安殿の病気のことだが、またひどくなった。精神的にもおかしくなったようだ。医者もサジを投げている。何が原因なのか、占ってもらいたい」
「そうですか。その件については、あらかじめ占って参りました」
「そうか。それなら話が早い。いったい何が原因だ? 前の陰陽頭は天照大神(あまてらすおおみかみ)のたたりだと言ったので、大神宮(伊勢神宮。三重県伊勢市)を再建し、安殿本人を参詣に行かせてみたが、良くなるどころか悪くなって帰ってきた」
「天照大神のたたりではありません。廃太子早良親王のたたりです」
「やはりか……」
桓武天皇はうなった。そして、聞いた。
「朕はいったい、どうすればいいのだ?」
「ただひたすらに、廃太子に謝罪されることです」
「なぜだ! 朕は何ら間違った処分はしていない! 罪人を罰しただけだ! 種継暗殺の黒幕として、早良を流刑にしただけだっ!」
「廃太子が黒幕ではなかったとしたら、いかがですか?」
「たとえそうでなかったとしても、長岡京留守司の総責任者として血の惨劇を招いたことは重罪に値するであろう!」
「それなら同じく留守司であった故右大臣是公卿も処罰なされるべきでした」
「……」
「是公卿を罰しなかった理由は分かっています。夫人(吉子)の父親だったからでしょう?」
「……」
「そのことで廃太子はお怒りなのです」
桓武天皇は歯ぎしりした。
「しかし、早良もこれだけ殺しまくれば、気がすんだであろう」
「いいえ。これからも悲劇は繰り返されることでしょう。廃太子がお怒りなのは、それだけではないからです」
「どういうことだ!
まだ何を怒っているというのだ!?」
「それは私よりも帝のほうがずっとよく御存知のこと」
「……」
「帝は廃太子の生前の功績を抹殺しようと企んでおられます」
「……」
「どうか、おやめください! 廃太子は何よりそのことをお怒りなのです! 帝がそれを改め、謝罪しないことには、廃太子の復讐は永久に繰り返されることになるでしょう!」
桓武天皇は身を震わせて吐き捨てた。
「ダメだ。早良は朕の最愛の妻を奪ったのだ! 二人も奪ったのだ! これは早良に対する復讐だ!
もはや実体のない現在も未来もない早良に対して朕が実行できる唯一の報復は、その栄光の過去を永久に葬り去ること以外にないのだ!」
「過去は葬り去れるものではありません! 歴史を改竄(かいざん)してはなりません!」
「改竄ではない! 空白化するだけだ! 鼻につく早良の功績の部分だけ、きれいさっぱり消し去っておくだけだっ!
正しきことは正しく伝えるつもりだ!」
この頃、桓武天皇は、大納言・藤原継縄(つぐただ)や東宮学士(とうぐうがくし。皇太子家庭教師)・菅野真道(すがののまみち)らに命じて奈良時代の正史『続日本紀』を編修させていた。つまり、自分たちの生きている時代も編修対象に入っている。
「朕にも意地がある。これだけは絶対に譲るわけにはいかない。この朕が早良に謝罪などできるはずがない! 謝らなければならないのは早良のほうだ! 朕が悪いのであれば、朕自身に復讐すればすむことではないか! それを何だ! 何の罪もないか弱い女たちに逆恨みしよって! そのような早良は英雄ではない! 断じて英雄ではない! 早良の名は、子々孫々まで凡人として伝えてやるのだっ! 偉大なる将軍は存在しなかった! ただ、偉大なる帝王だけが存在したのだっ!」
「それなら戦うしかありません。予備をたくさん作ることで、怨霊に対抗するしかありません」
「予備?」
「そうです! 廃太子に殺される以上に生ませればいいのです! 一人殺されたら十人、十人殺されたら百人、帝がお増やしになればいいのです!」
「つまり、今まで以上に性務に励めと」
「そうです! オンナを囲いなさいませ! たくさん集めなさいませ! そして、これでもかとお子を増やしなさいませっ!」
「朕は当年五十五歳だが」
「年は関係ありません! 三十にして立つ! 四十にして立ちまくる! 五十にして立ちっぱなしなんですっ!
成せば成るんです! やればできるんです! 生ませまくれば増えまくるんですっ!」
「そ、そうか……」
桓武天皇はやる気になった。みるみる闘気がみなぎってきた。
刷雄は帰宅の途についた。
長話をしていたので、日が暮れて薄暗くなっていた。たそがれ時、いわゆる逢魔(おうま)が時であった。
西の空が不気味な桃色に溶けていた。
「気持ち悪い色じゃの。早く帰らねば」
刷雄は足を急がせた。
タッタッタッタッ。
背後で自分ではない足音がした。自分は老人なので、そんなに軽快には歩けない。
刷雄は振り向いた。
「誰じゃ?
盗られるものは何も持っていないぞ」
誰もいなかった。
いや、誰もいないのではなく、刷雄の前に回りこんでいたのであった。
だから前に向き直ったとき、その影はいた。
(どうも〜)
刷雄はそう驚かなかった。気丈ににらみつけて聞いた。
「廃太子か。私に何の用じゃ?」
(気に食わないんですよ)
「何がじゃ?」
(あなたは帝に妙な助言をした)
「そ、それで、このようなか弱い老人を、どどっ、どうしようというのじゃ?」
(こうするんですよ)
「ぎゃあぁあぁあぁぁー!!!」
数日後、桓武天皇が尋ねた。
「藤原刷雄はどうした? 出仕していないようだが」
右大臣(延暦九年就任)藤原継縄も、大納言(同年就任)藤原小黒麻呂(おぐろまろ)も不思議がった。
「さあ?」
「この頃とんと見かけませんが……」