3.悩殺! 安殿親王!!〜 息子を惑わす妖女 | ||||||||||||||
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桓武天皇はがんばった。
「負けてたまるかー!」
藤原刷雄に言われたように、昼は政務に夜は性務に励んだ。
当然、オンナも増やした。あちこちからかき集めてきた。
桓武天皇は狩猟や鷹狩が好きだった。
でも、狩るのはケモノだけではなかったであろう。
時には自身がケモノになったこともあったかも知れない。
「朕は負けるわけにはいかないのだー!」
結果、後宮はムンムン満ち満ちた。子供もスッポンスッポン生まれた。
一方で早良親王もがんばった。
坂上又子を殺し、新夫人・藤原小屎(おぐそ)をあやめ、武蔵家刀自(むさしのいえとじ)・美作女王(みまさかじょおう)・藤原春蓮(しゅんれん)・清橋女王(きよはしじょおう)・飽和女王(あわじょおう)ら、桓武天皇のお気に入りの女性たちを次々と亡き者にしていった。
しかし、桓武天皇はへこたれなかった。
殺される以上にたくさんオンナに集めることで、これに対抗したのである。
「朕は負けないのだ! なぜなら朕は生きているからだ! 死人なんかに負けてたまるかーっ!」
結果、桓武天皇の最終的な妻はのべ三十人以上、公式な子女は三十六人に達している。
「へん、どんなもんだい!」
でも、頻発する天変地異については、対抗策が思い付かなかった。
洪水は、民政のカリスマ和気清麻呂に治水工事を行わせてから減ったものの、日照りを起こされては、お手上げだった。
「雨よ降れ〜」
僧や神主らに必死に雨乞いさせても一向に効果はなく、税収は激減した。
また、安殿親王の病気も、一向に良くならなかった。
僧正(そうじょう。仏教界最高位)善珠(ぜんじゅ)に安殿親王の守護を任せていたが、彼もかなりくたばっていた。
「ダメじゃ。怨念が強すぎる。わしには太子を守り切る自身はないわい」
善珠は、玄ムに師事し、秋篠寺(あきしのでら。奈良県奈良市)を開いた法相宗の高僧である。玄ムと皇太夫人・藤原宮子(みやこ)との不義の子という説もあるが、年代的に無理であろう(「暴発味」参照)。
延暦十一年(792)七月、またしても大洪水が起こった。
長岡京の東を流れる葛野川(かどのがわ。桂川)が氾濫し、濁流が京内へなだれ込んだのである。
その後、疫病が広まったのか、京内では死者が激増、民衆の間にどれだけ華美に葬儀を出すことができるかを競い合う嫌なブームが巻き起こった。
中宮大夫(ちゅうぐうのだいぶ。皇太后事務所長)兼摂津大夫(せっつのだいぶ。知事)兼民部大輔(みんぶのたいふ。財務次官)の和気清麻呂が、桓武天皇に勧めた。
「長岡京は水運の便が良い所ではありますが、これは同時に洪水にも遭いやすいということです。ぜひ、水はけの良い所に遷都をお勧めします」
「何を言う。まだ遷都したばかりではないか! それにここは朕の故郷だ。亡き妻たちとの思い出の地だ。朕はここを離れたくはない」
「帝は長岡京のある乙訓郡(おとくにぐん。京都市西京区・京都府長岡京市・向日市)の地名の由来を御存知ですか? 『落ち国』という意味で名付けられたんですよ。もともと縁起の悪い場所なんです」
「何だと。そんなことは遷都する前に言え」
「今からでも遅くありません。山背国内でいいんです。『落ち国』からは一刻も早く離れるべきでしょう」
大納言・藤原小黒麻呂も勧めた。
「葛野郡(かどのぐん。京都市右京区ほか)などどうでしょう? 葛野は古くから秦氏が開発し、水はけのいい土地です。種継の本拠でもあります。怨霊からも種継の神霊が守ってくれることでしょう」
すでに前号「怨念味」にて、種継の母が秦朝元(ちょうげん・あさもと)の娘だということは述べたが、小黒麻呂の妻もまた、秦嶋麻呂(しままろ)の娘であった。種継の本拠というより、自分の本拠なので勧めたのであろう。
「葛野か……」
桓武天皇は決断した。そして再度、遷都の準備を始めたのである。
その頃、相変わらず安殿親王は寝込んでいた。
症状はたいしたことなかったが、重病になったふりをしていた。
「ボクはもうすぐ死ぬんだ。叔父さんを陥れたから、怨霊にたたり殺されるんだ……」
「そんなことはありません。きっと良くなります」
励ましたのは、東宮坊宣旨(とうぐうぼうせんじ。皇太子側近の女官)藤原薬子。
藤原種継の娘で、藤原蔵下麻呂(くらじまろ。良継・百川らの弟)の子・縄主(ただぬし)に嫁ぎ、すでに三男二女をなしているが、やけに色っぽい三十路女であった。
安殿親王は、そんな彼女に秘めたる想いを抱いていた。
彼は、何でも聞いてくれる彼女が大好きであった。
彼女の必要以上に手厚い看護に、彼は完全に籠絡(ろうらく)されていた。
だから彼は、彼女の気を引くために、時々重病になったふりをするのであった。
「薬子、おかゆが固いよ。かみかみしてよ」
「こうですか?
はい、あーん」
「うん。おいしい。でも、さじが冷た〜い。口移しで〜」
「こうですか?」
ぶちゅん、うにょ〜〜ん。
「う〜ん。幸せ〜」
幼いうちはそれでいいかもしれないが、安殿親王は元服後も変わらずそんな調子であった。朝も昼も夜も、いつも絶えず常に薬子とベタベタしていなければ気がすまないようになってしまっていたのである。
「薬子、すごい寒気がする。温めてよ」
「こう?」
「違う! 衾(ふすま。掛け布団)の中に入って!」
「こう?」
「ううん。まだ寒い。じかに温めるのっ!」
「分かりました。おじゃましま〜す」
「そう。う〜ん。幸せ〜。温かい〜。やわらかい〜。このまま朝までずっと一緒にいるんだよ〜」
「でも、そろそろ帰らないとダンナに怒られますので……」
「ダメ! ボクはもうすぐ死ぬんだ! 明日、死んじゃうかもしれないんだ! いいじゃないか、ダンナなんて!
ボクが死んでから遠慮なく会えばいいじゃないか!」
「そうですね。じゃあ、今晩だけよ」
「ううん。ボクが死ぬ晩までずっとずっと一緒だよ」
「困りますぅ〜」
いや、薬子もまんざらではなかった。とってもとっても楽しんでいた。
彼女としても、出世が知れている飲んだくれ中年ダンナといるよりは、病弱で駄々っ子ではあるが、将来間違いなく帝になるかわいい少年といるほうがいいに決まっていた。
おもしろくないのは、飲んだくれ中年ダンナ縄主。
縄主は、桓武天皇にぶうたれたのであろう。
「陛下。皇太子殿下はもう立派な大人です。いい加減、誰ぞと結婚させて薬子を遠ざけるべきかと」
「そうだな」
桓武天皇は安殿親王を藤原帯子(たらしこ・たいし。百川の娘)と結婚させた。
安殿親王は表面上は帯子を愛しているようであったが、本心は薬子にあった。
「ボクはあんなネンネに興味ないよ。本当は薬子だけが好きなんだよぉ〜」
「困りますぅ〜。お嫁さんなんだから、ちゃんと愛してやってくださ〜い」
「ボク、どうやって愛するのか分からない〜。ねえ、どうすればいいの? どこをどうやってどうすればいいの?
今晩、じっくりねっとりたっぷり教えて〜」
「困りますぅ〜。でへっ!」
桓武天皇は真っ赤になって激怒した。
「お前ら、いい加減にしろっ!」
桓武天皇は、安殿親王から薬子を取り上げることにした。
帯刀舎人(たてわきのとねり。皇太子護衛)佐伯成人(さえきのなりひと)に命じ、安殿親王が便所へ行っているスキに薬子をさらわせたのである。
当然、しばらくして帰ってきた安殿親王は、手をふきながら薬子を捜した。
「薬子は?」
「佐伯殿が陛下のところに連れて行きましたけど」
「どうしてだよ?」
安殿親王は内裏へ向かった。
そして、内舎人(うどねり。天皇護衛)山辺春日(やまべのかすが)に聞いた。
「ここへ薬子が来ただろ?」
「は〜あ?」
「とぼけても分かっているんだ。佐伯に連れられて来ただろ?」
「は、はあ……」
「佐伯はいらないから、薬子だけボクに返して」
山辺は困った。
「勘弁してください。陛下に怒られますから」
「どうして?」
「薬子殿は、将来帝となられる殿下の教育には、非常に良くない女なんだそうです」
安殿親王はカチンときた。
「オンナまみれの父上に、人のオンナのことをとやかく言う権利はないよ! あんた、すぐ行って薬子を取り返してこい!」
「でも、佐伯さんが見張ってますから〜」
「うるさい!
力ずくでも取り返すんだ!」
「佐伯さんは強いですから、私では取り返せません」
「まどろっこしいな。言うこと聞かないと、ぶっ殺すよっ!」
「そんな〜」
「何? 殺されたいの? それともオカネが欲しいわけ? あげるよ。欲しいだけあげるよ。だから行けよっ」
「そういう問題ではありません。陛下の御命令ですから、佐伯さんは絶対に返してくれませんて」
「返してくれなかったら、佐伯を殺してでも連れ戻してくるんだ。早く!」
「そんな〜」
「それとも、あんたのほうが死にたいの?
オカネ、欲しくないわけ?」
安殿親王は太刀を抜いた。彼は本気だった。目がすわっていた。本当にやりそうであった。
山辺はびびってしまった。承諾してしまった。
「わっ、分かりました! 行ってきまーす!」
しばらくして、山辺は戻ってきた。
案の定、佐伯は頑強に抵抗したため、彼を殺して薬子を奪い返してきたのであった。
「薬子、逢いたかったよぉ〜。さびしかったよぉ〜」
「あたしもぉ〜。でへっ!」
後でこのことを聞かされた桓武天皇は絶句した。
「自分の部下(帯刀舎人)を殺してまで、薬子を奪い返したというのか……」
小黒麻呂が苦々しく言った。
「皇太子殿下がされたことですので、公にはできません。実行犯の山辺にすべての責任を押し付けて密かに処刑すべきでしょう」
桓武天皇は東宮に使者をやった。
「殺人犯の山辺を引き渡しなさい」
安殿親王はとぼけた。
「山辺?
誰それ?」
安殿親王は裏口から山辺を逃がしてやった。
が、桓武天皇は山辺を全国に指名手配、伊予で逮捕した彼をその場で処刑させてしまった。
当然、このことについて安殿親王におとがめはなかった。
「安殿に早良の二の舞は食わせたくはない。それに安殿を廃すれば、それこそ早良の怨霊の思惑通りだ」
その代わり、今度こそ薬子は取り上げた。
「薬子ぉ〜!」
安殿親王は毎晩毎晩だびだび泣いた。
そして、星空を見上げて固く誓った。
「薬子。いつかきっと、迎えに行くからねっ」
彼の思いは桓武天皇の死後に成就することになる(「平城味」参照)。
そしてそれが「薬子の変」という、とんでもない天下大乱に発展するのであるが……。それはまたいずれ。
延暦十三年(794)五月、安殿親王の妃・藤原帯子が死んだ。
享年は伝わっていないが、すごく若かったことは確かであろう。
安殿親王は、悲しみの余り笑ってしまった。
「叔父さんのたたりがとうとうボクのところにもやってきたんだ! アハハハハ!」