1.工藤介(狩野介)茂光 | ||||||||||||||
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源 為朝 PROFILE | |
【生没年】 | 1139-1170? |
【別 名】 | 鎮西八郎 |
【出 身】 | 摂津国江口(大阪市東淀川区) |
【本 拠】 | 赤門(東京都大島町)・鎮西原(福岡県香春町) ・御館(長崎県諫早市)など |
【職 業】 | 武将 |
【役 職】 | 自称鎮西惣追捕使 |
【位 階】 | 無位 |
【 父 】 | 源 為義 |
【 母 】 | 江口の遊女 |
【兄 弟】 | 源義朝・義賢・義憲・頼賢・頼仲・為宗 ・為成・為仲・行家・為家・頼定・正親 ・維義・乙若・亀若・鶴若・天王・女 |
【 妻 】 | 藤井簓江・平忠国女 |
【 子 】 | 源義実・実信・為頼・為家・島君 |
【仇 敵】 | 平清盛・工藤茂光ら |
【霊 地】 | 為朝神社(東京都大島町・八丈町・新島村・三宅村 ・山梨県韮崎市・神奈川県横須賀市など) |
【墓 地】 | 伝源為朝の墓(大島町・岡山県井原市など) |
拙者、工藤茂光(くどうしげみつ・もちみつ。狩野介・工藤介)。
藤原南家(「藤原南家系図」参照)の末裔(まつえい)、狩野家次(かのういえつぐ)の子なので、狩野茂光ともいう(「工藤・狩野氏系図」参照)。
外見的特徴は、肥満体。いわゆるデブ。
石橋山(いしばしやま)の戦では、これがたたって山道を歩くことができず、無念の自刃を果たすことになるが、まだまだ先の話。
今は伊豆国府で民どもから税を巻き上げ、ゴージャスな生活を堪能している。
そう。拙者は伊豆介。事実上の伊豆国の長。
「一俵、二俵、三俵。うっぴょぴょー!」
拙者、年貢を数えるのが趣味。
米俵を数えてたたいて眺めて満足するのが楽しい。
拙者、計算は得意なので、部下どもの不正は絶対に許さない。
「あれ〜?何か米俵が少ないんだけど〜。誰かちょろまかしてない〜?」
やせ細った部下が理由を教えてくれた。
「ちょろまかしてはおりませんが、年貢を納めない者がいるんですよ」
拙者、目を三角にした。
「誰だそれは?」
「大島の代官・藤井三郎大夫忠重(ふじいさぶろうだいぶただしげ)」
拙者、疑問に思った。
「ヤツはマジメで小心者だ。年貢をわたくしするような者ではない」
「代官はマジメですが、その婿(むこ)がフマジメなのです」
拙者は思い出した。
「忠重の婿といえば、ちちっ、ちんちん、鎮西八郎(ちんぜいはちろう)源為朝!」
「そうです!為朝が暴力でもって伊豆諸島全土の年貢をわたくししているのです!」
「む、む、む……」
拙者は困った。
「年貢を納めなさい!」
いくら事実上の国主とはいえ、そんな請求は暴虐なアウトサイダーに通用するはずがなかった。
(強制すれば、ヤツは国府に攻めてくる!)
為朝の恐ろしさは、自称・鎮西総追捕使(ちんぜいそうつうぶし)時代に九州全土に広まり、保元の乱によって日本全土にに伝播(でんぱ)していた。
『為朝は身長が七尺(約二メートル十センチ)もあるそうな」
『そんな大男が五人張りの強弓を引くそうな』
『左腕が右腕より四寸(約十二センチ)も長いので、強い弓を引くのに適しているそうな』
『保元の乱では、一つの矢で二人を串刺しにして敵軍を驚かせて退散させてしまったという』
『為朝は戦略家でもある。保元の乱では敵の夜討ちを読み、先制攻撃を唱えていたが、悪左府(あくざふ。藤原頼長)に却下されたという』
『為朝は伊豆大島に島流しにされた際に肩(またはひじ)を外されたというが、今ではその傷も癒え、弓の強さも全盛期に近くなっているという』
『怖いよー!』
ブルブルッ!
身震いした拙者を見て、やせ細った部下が吹き出した。
拙者は強がった。
「笑うな!ヤツが恐ろしいわけではない!拙者はぜ〜んぜん、怖くなんかないっ!いくらヤツが猛者とはいえ、拙者には朝廷がついている!ヤツは朝廷に敗れた朝敵なのだ!ワハハハ!」
拙者はやせ細った部下を手招きして命令した。
「代官・藤井忠重に圧力をかけろ。為朝のグルと思われたくなかったら、耳をそろえて年貢を納めろとな。拙者は上洛し、朝敵討伐のお墨付きを得てくる」
「ははっ」
嘉応二年(1170)春頃、伊豆介・工藤茂光は上洛、
「伊豆・武蔵・相模の軍勢でもって 反逆者・鎮西八郎為朝を追討せよ!」
との後白河上皇の院宣を得るのに成功したのであった。