1.山中の猿 | ||||||||||||||
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はいはい。みなさん。落ち着ついて。
間違いではありませんよ。
あの上様が、わいんちに来ちゃったんですよ!
上様って誰かって?
織田信長様に決まっているじゃないですか!
ごめんなさい。
びっくりしすぎて若干ウソがありました。
わいんちっていいましたけど、わいに家はありません。
わいは浮浪者です。
ホームレスなんです。
少々障害もあるため、人里離れた山中で独りで隠れて暮らしているんです。
父はいません。
母も死んじゃいました。
兄弟はいません。
初めからいないのか、死んだのかもわかりません。
天涯孤独とは、わいのためにある言葉です。
わいに名前はありません。
何か実名があったはずですが、誰も呼んでくれないため、忘れてしまいました。
みんなからは「猿」って呼ばれています。
そうです。
わいは猿なんです。
プロゴルファー猿ではありません。
山中の猿です。
山中は、名字ではなくて地名です。
山中(岐阜県関ケ原町)に住んでいる猿なんです。
「猿〜、猿〜」
呼ばれてもうれしくありません。
わいを呼ぶ近所の人は、好きで呼ぶのではなく、嫌いでバカにして呼ぶのです。
呼ばれた後は、ほぼ百パーセントいじめ始めます。
だからわいは無視します。
無視したら、
「無視した!」
と、いうことでいじめられます。
回避策はありません。
どちらにしても、いじめられるんです。
信長様は何度かわいを見かけているようでした。
わいが住んでいるのは、美濃と近江の国境に近い街道沿いです。
そのため、岐阜と京都の往復を繰り返していた信長様の目にとまったのでしょう。
信長様は不思議がりました。
「浮浪者というものは定住しないものだ。なぜあの者はあの場所だけで物乞いをしているのか?」
わいの知り合いの古老が理由を話しました。
「不具者だからです」
「なるほど」
「あの者は常盤御前(ときわごぜん。源義経の母。「衆道味」参照)を殺した賊の子孫なのです。殺人の報いで代々不具者になり、同じ場所で物乞いをして生活するしかなくなったのです。因果応報というものですよ」
信長様はわいを見ました。
わいは驚いて平伏しました。
「であるか」
信長様は去っていきました。
わいはちょっとうれしくなりました。
「あの上様が、わいを哀れみの目で見てくれました」
古老は否定しました。
「フッ!あの方に情などない」
古老は付け足しました。
「あの方は比叡山(ひえいざん。滋賀県大津市)で数千人、長島(ながしま。三重県桑名市)で数万人を虐殺なさったお方じゃ(「虐殺味」参照)。老人も女も子供もすべてじゃぞ。そのような苛烈(かれつ)なお方に、哀れみの情などあろうか?」