3.山あり谷あり

ホーム>バックナンバー2019>令和元年五月号(通算211号)令和味 長屋王の変3.山あり谷あり

令和改元
1.夢をあきらめないで
2.待つわ
3.山あり谷あり
4.琥珀色の想い出
5.おやすみ
6.春色のメロディー

 左大臣として政界首班に君臨する長屋王をよく思っていない一族がいた。
 藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂――、四人合わせて藤原四兄弟とか藤原四子と呼ばれる人々である。
 うち麻呂はおっとりしていたが
(「改元味」参照)、三人の兄は権力欲旺盛(おうせい)であった。
長屋王が気づきやがった」
「こっそり格上げしようと仕組んでおいたものを見抜きやがった」
「ああ、宮子
(みやこ)姉さまの『大夫人(だいぶにん)』の件だな」
 藤原四兄弟の姉
(または妹)・藤原宮子は、文武天皇の夫人であり、聖武天皇の生母であった。
 聖武天皇は即位の際、
「生母宮子を尊んで『大夫人』とする」
 と、勅
(ちょく)したが、これに長屋王がかみついた。
「令の規定に『大夫人』なんてありません。『皇太夫人
(こうたいぶにん)』の誤りでしょう」
 そのため聖武天皇は、勅を撤回せざるを得なくなってしまったのである。
「おもしろくねえ!」
「杓子定規
(しゃくしじょうぎ)も甚だしい!」
「父
(藤原不比等)はヤツとうまくやっていたが、おれたちはムリだ!」
「これでは妹の件でもかみつかれるぞ」
 彼らの妹とは、藤原光明子
(こうみょうし。安宿媛)――。聖武天皇の夫人である。
 が、聖武天皇にはもう一人、県犬養広刀自
(あがたのいぬかいのひろとじ)という井上内親王を産んでいる夫人もいた。
 他家のライバルと同格ではおもしろくないため、武智麻呂らは妹を皇后に格上げしようと画策していたのである。
 内臣・房前は頭を抱えた。
「ああ、何とかヤツをギャフンと言わせられる手はないものか!」
 中納言・武智麻呂は思いついた。
「そうだ!実を取ればいい」

 神亀四年(727)閏九月二十九日、光明子が男児を産んだ。
 基王
(もといおう。または某王)である。
「男の子じゃ! 世継ぎじゃ!」
 聖武天皇は喜んだ。
 が、何日たっても光明子は我が子に会わせてくれなかった。
「どうして会わせてくれないんだ?」
 聖武天皇は不思議がった。
 房前が声を潜めた。
「警戒しているんですよ」
「何を?」
「呪詛
(じゅそ)されないかと」
「!」
「多くの人に見せれば見せるほど、呪詛される危険性は高くなります」
「バカな! いったい誰にねらわれているのいうのじゃ!」
「今は申せません。しかし、皇子さまを守る方法はございます」
「どうすればいい?」
「皇子さまを皇太子にしてしまえばいいんですよ」
「赤ちゃんをか!」
「そうすれば、警備を厳しくしても不自然に思われません」
「やむを得ぬ」

 十一月、基王は乳児にして皇太子になった。
 が、翌神亀五年(728)九月十三日、基王は満一歳の誕生日を迎えることなく病死してしまった。享年二。
「なんてことだ〜」
 聖武天皇は号泣した。
 房前が口惜しそうに言った。
「やはり、呪われていましたな」
「誰が呪っていたというのじゃ!」
「あの人に違いありません」
「あの人とは誰じゃ?」
「左大臣・長屋王――」
「!」

 同年前月、授刀舎人寮(たちはきのとねりりょう)が中衛府と改称され、組織が拡大されていた。
 天皇親衛隊が軍拡されたということである。
 ちなみにその長官は、房前その人であった。

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