5.おやすみ

ホーム>バックナンバー2019>令和元年五月号(通算211号)令和味 長屋王の変5.おやすみ

令和改元
1.夢をあきらめないで
2.待つわ
3.山あり谷あり
4.琥珀色の想い出
5.おやすみ
6.春色のメロディー

 二日後の神亀六年(729)二月十日、左京に住む漆部君足(ぬりべのきみたり)と中臣宮処東人(なかとみのみやこのあずまひと)から密告があった。
「左大臣長屋王がひそかに左道
(さどう)を学び、国家転覆を企んでいます」
「皇太子の死も、左大臣の呪詛が原因のようです」
 聖武天皇は疑わなかった。
「やはりか……」
 そして、決断した。
「逆賊
(ぎゃくぞく)長屋王を捕えて尋問せよ!」
「御意!」
 待ち構えていた藤原房前の行動は早かった。
 式部卿・藤原宇合、衛門佐・佐味虫麻呂
(さみのむしまろ)、左衛士佐・津島家道(つしまのいえみち)、右衛士佐・紀佐比物(きのさいもつ)らに六衛府の軍勢を動員させて佐保(さほ)にある長屋王邸を包囲させた。

長屋王政権閣僚(729.1/当時)

官 職 官 位 氏 名  兼職・備考
知太政官事 一品 舎人親王 天武天皇の皇子。
左大臣 正二位 長屋王 天武天皇の孫。
大納言 従二位 多治比池守
中納言 正三位 大伴旅人 大宰帥。
中納言 正三位 藤原武智麻呂 南家の祖。
中納言 従三位 阿倍広庭
参 議 正三位 藤原房前 内臣・中衛大将。
非参議 従三位 藤原宇合 式部卿。

「騒がしいな。何をしている?」
 長屋王に聞かれた宇合が答えた。
「逃げないように貴邸を包囲した」
「誰が逃げるのだ?」
「あなたですよ」
「はあ?」
「本日密告があった。長屋王一家を国家転覆を企んだ疑いで逮捕する」
「!」
「皇太子を呪い殺したのも、あなたというではないか」
「わけのわからないことばかり申すな! 政界首班にあるこの私が、そのような愚かなことをするはずないではないか!」
「おれは軍の指揮を任されただけだ。明日、兄の武智麻呂たちが尋問に来る。言い訳は兄たちにしてくれ」

 翌二月十一日巳の刻(午前十時頃)、舎人親王、新田部(にいたべ)親王、大納言・多治比池守(たじひのいけもり)、中納言・藤原武智麻呂、右中弁・小野牛養(おののうしかい)、少納言・巨勢宿奈麻呂(こせのすくなまろ)らが長屋王邸に入った。
 武智麻呂は尋問した。
「帝はお怒りです。どうして皇太子を呪い殺したんですか?」
「私は呪い殺していない!」
「あなたには動機があります」
「何だと?」
「あなたは天皇になりたがっていた。あなた自身か王子のうち誰かを天皇にしたかったのではありませんか?」
「それは否定しない。だからといって他の皇位継承者を殺してまでなりたいとは思わない」
「ですか。口では何とでも言えます。心の中は見えませんからね〜」
「私は潔白だ! 無実だ! 動機はあっても証拠がない! 不当逮捕だ!」
「それが、見つかっちゃったんですね、証拠が――」
 武智麻呂は汚い人形
(ひとがた)を持ってこさせた。
「あちらの池の中からこんなものが発見されました。これは呪いに使う人形ですよね?」
「!」
「しかもこの人形の裏には、『死んじまえよ基王』って書いてある」
「!!」
「はい、死刑確定! 尋問終了!」
「汚いぞ! 私はそんな人形は初めて見た! おまえたちの誰かが、私に濡れ衣を着せるために、こしらえて持ち込んだのであろう!」
「あらあら。自分が悪いのに善良な私たちに八つ当たりするのはやめて下さい」
「何が善良だ! 八つ当たりのはずはない! 私の言っていることこそ真実だ! 国家転覆を企んでいるのは私ではない! おまえたち藤原四兄弟だ! 自分たちの妹・安宿媛
(光明子)を皇后にするために、私という邪魔者を消すのが目的なのであろう!」
「うるさいですね〜。でも、明日には静かになります。あなたたちは全員処刑されてあの世に逝っちゃいますから」
「死人に口なしかよ! 鬼っ! 悪魔っ!」
「もうやめてっ!」
 その時、今まで黙っていた妃の吉備内親王が金切声をあげた。
「あなたも今の状況を考えてよっ! 私たちは物騒な男ども大勢に取り囲まれているのよっ! 縄で縛られて身動きもできずにこづかれている状態なのよっ! 口だけで言い負かせたって勝てるわけないじゃない! もう何も言わないでっ! こんな人たちに何を言っても無駄よ! この人たちは人間じゃないわ! 私たちをおとしめるためには何だってする鬼畜生たちよっ!」
「ふふふ、奥さまは物わかりがいい」
 武智麻呂が嫌な笑みを浮かべた。
「でも、私も鬼畜生ではありませんよ。情けはあります。そこで提案です。明日、処刑される前に一家心中してはどうでしょうか?」
「心中?」
「ええ。知らない人に殺されるよりは、自分たちで死んだほうがいいと思いますよ」
「うう……」
「それに処刑は個別ですから、家族バラバラになってしまいます。その点、心中なら、一家仲良く一緒に死ぬことができます」
「決まりね。どうせ死ぬならみんなで一緒に死にましょう」
 吉備内親王は長屋王に意見を求めた。
 長屋王は子供たちの顔を見た。
「一緒がいいです」
「僕も」
「べつべつはいやっ」
「みんななかよしがいい〜」
 膳夫
(かしわで)王、桑田(くわた)王、葛木(かずらき)王、鉤取(かぎとり)王らの選択も同じであった。
「そうだな。心中にしよっか」
 武智麻呂は用意がよかった。
「人数分の毒と縄を用意しております。どちらかお好きな死に方で逝っちゃってください」
 長屋王と吉備内親王は顔を見合わせて笑ってしまった。
「どっちにする?」
「両方使ってやろう」

 翌二月十二日、長屋王と吉備内親王は子供たちに毒を飲ませて首をしめた後、自分たちも毒を飲んだ。
「では、一眠りしてからまた逢おう」
「おやすみ」
 そして、二人で首をしめ合って果ててしまった。
 長屋王の享年は四十六。吉備内親王は不明。


※ 長屋王の子のうち、安宿王、黄文王、山背王(後の藤原弟貞)、教勝は助命されました。生母・長娥子が藤原四兄弟の姉だったためです。また、長屋王の子とみられる円方女王・賀茂女王らも生き残りました。

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