3.お客さんいらっしゃい

ホーム>バックナンバー2020>令和二年6月号(通算224号)ロス味 本能寺が変!3.お客さんいらっしゃい

コロナで失われたものたち
1.本能寺の変な夢
2.不機嫌な老人
3.お客さんいらっしゃい
4.あぶないヤツ
5.もっとあぶないヤツ
6.恐るべき計画
7.本能寺が変!

 拙者は時々、美濃に帰ってくる。
 馬廻として上様
(織田信長)について回っているが、領地は西美濃にあるからである。
 拙者の領地は船木
(ふなき。岐阜県本巣市)と呂久(ろく。岐阜県瑞穂市)である。
 もとは上様に追放された大殿
(安藤道足)の旧領の一部で、大殿の居城だった北方(きたがた。岐阜県北方町)城にも近い。

 拙者の留守は養父が守っている。
「任せとけ息子」
 養父とは松田雁助
(まつだがんすけ)――。
「――何なら帰ってこなくてもいいぞ。こっちで勝手にやっておるから。ただし、ゼニやコメは切らさないように」
 養父は大殿の家老を務めていたため、大殿とともに追放されて美濃谷口
(岐阜県関市)に隠居していたのを、上様に再雇用された拙者が許しを得て館に引き取ったのである。
「ちは〜。ちょっくらジャマするぜえ〜」
 すると、許されていないはずの大殿まで館に出入りするようになり、いつの間にか自分の家のように居座ってしまった。
「平介、酒を持て。サカナもだ。うまいヤツをな」
 追放後の大殿を監視して世話しているのは稲葉一鉄なので、本当は一鉄が連れ戻しに来なければならないのだが、
「松野殿が監視しているのなら安心だ。それに何より食いぶちがいらなくなるのはありがたい」
 ということで、黙認してしまったのである。
 大殿もこちらのほうが居心地がいいようである。
「山奥のあばら家より、平介の館にいるほうがいい。平介を初めこの家の者たちは、わしの意のままに動いてくれるからのう。へっへっへ! そこの下女よ。今日の夕飯は何だ? そこの下人よ、碁
(ご)の相手でもせい」
 拙者や館の者たちにとってはいい迷惑である。

 居候だけならまだよかった。
 やっかいなのは、どこからともなく勝手に客を連れてくることである。
 ある時は、連歌師・里村紹巴
(さとむらじょうは)を招き入れた。
「紹巴殿。遠慮はいらぬぞ。ここはわしの家来の家じゃ。正確には元家来の家じゃ。細かいことはどうでもええわ。入った入った」
「おじゃましま〜す」
「相変わらず、連歌はやっておられるかな?」
「はい。ネタ集めのため、こうやって旅をして見聞を広めています」
「いいことじゃ。わしは信長に解雇されて出不精になった。京などあちらこちらの話をしておくれ」

 旧知の仲・武井夕庵(たけいせきあん・ゆうあん)も訪れた。
「おぬしとは長い付き合いじゃのう」
「斎藤道三様の時代からですからな」
「おぬしは斎藤家三代の右筆
(ゆうひつ。秘書)を務めてから織田家の右筆にもなり、法印にまで昇り詰めた。それに対して同じように仕えてきたわしはもうお払い箱じゃ」
「お互い年を取りましたからな。それがしもそろそろお払い箱でしょう」
「隠居になるとヒマでしょうがない。書を教えてくれないかのう?」
「いいですが」
「おぬしの字のお手本がたくさんあるとありがたい。まずはそれを書写して上手な字が書けるようになりたい」
「良い心がけですな。後日、送らせましょう」

 親戚(しんせき)・蒲生賢秀(がもうかたひで)近江から呼び寄せた。
「おぬしの居城・中野城
(日野城。滋賀県日野町)は、信長の居城・安土(あづち。滋賀県近江八幡市)城に近い。信長がどこに行ったかすぐにわかるであろう?」
「ええ、私は安土城の留守を任されることもありますから」
「ほう、信長から信頼されておるのう」
「伊賀殿も昔は上様から信頼されていたではありませんか。上様は当時の居城・尾張那古屋
(なごや。名古屋市中区)城を伊賀殿に預け、その間に今川方の村木城(村木砦。愛知県東浦町)を攻略なされたこともありました」
「ずいぶん昔の話じゃ。わしがまだ信長に仕える前、道三様に仕えていた頃の話じゃ。そうそう。わしは道三様の命令で援軍一千人を率いて那古屋へ行った。わしは当然、今川と戦わせられるものかと思っていたが、信長はそうはしなかった。『織田軍は全軍で村木城を攻撃するため、斎藤軍には那古屋城を守ってもらう』 うはは! わしは仰天したわい! 同盟しているとはいえ、敵に転じるかもしれない軍勢に居城の留守番を任すであろうか?」
「ですよねー。伊賀殿のお気持ち次第で織田軍を壊滅させることができましたからねー」
「当然わしは考えたぞ。今ここで那古屋城を乗っ取れば、斎藤と今川とで挟み撃ちにして尾張を山分けできると」
「それでも伊賀殿は裏切らなかった。上様は見抜いたんじゃないですか? 伊賀殿は裏切らないと! そしてあの戦いがきっかけで、伊賀殿も上様を買うようになった! 婿殿竹中半兵衛とともに斎藤竜興
(さいとうたつおき。「暴力味」参照)の稲葉山城(岐阜城。岐阜県岐阜市)を乗っ取ったのも、本当は上様に差し上げるつもりだったのではありませんか?」
「その通りじゃ。あの頃のわしは信長を買っておった。しかしあの時は半兵衛が竜興に城を返してしまいよった。まあ結局、その後で斎藤を裏切ることになったがのう」
「もったいないですよ伊賀殿は! 伊賀殿はまだまだ戦えますよ! だって、どう見たって八十の老体には見えないじゃないですか! 四、五十にしか見えないじゃないですか! いつかまた上様とも仲直りできますって!」
「わしも信長とは話せばわかると思っておる」
「話しましょうよ!」
「おぬし、話せる機会を作ってもらえるかのう? 信長の居所を教えてくれれば、わしはいつでもそこへお願いに行ける」
「おやすい御用ですよ! 逐一教えてあげますよ!」

 画家・長谷川等伯も立ち寄った。
「絵描きはもうかりますかな?」
「いやー、苦しいですよー。武田家の滅亡でお得意様が消滅してしまいましたからねー。私は信玄様の像も描いたんですけどねー」
「わしも隠居生活でヒマだから、絵でも描こうかのう。うまく描けるコツとかを教えてくださらまいか?」
「いいですよ。――そういえば、美濃守護だった土岐頼芸様も絵がうまいですよねー。特に鷹の絵が」
「ああ。頼芸公は武田にかくまわれていたが、滅亡でどうなってしまったか」
常陸上総に落ち延びられたそうですよ」
「そうか。それはよかった。常陸には御実弟の土岐治頼
(はるより。原治頼)殿が、上総には御一族の土岐為頼殿がいるそうだからな」
「でも、失明されてしまわれたとか」
「お気の毒に。わしにとって頼芸公は最初の主君じゃ。本来ならこの美濃にお迎えして世話して差し上げたいのだが、居候の立場ではのう」
「そのうちに上様も許してくださいますって。佐久間信盛様の御子息
(佐久間信栄)も許されて再雇用されたって聞きましたよ」
「わしが死ねば息子
(尚就)も許されるってか? あり得ない話じゃ! 佐久間親子の罪状は単なる怠慢だったが、わしと息子の罪状は内通という裏切り行為だからのう」

 徳川家康の家臣・土岐定政(ときさだまさ)も立ち寄った。
「土岐殿といえば、姉川での戦いっぷり、実に見事であった」
「いえいえ。姉川合戦といえば、安藤様の戦功には勝てません。あの戦いで織田徳川連合軍を勝利に導いたのは、あなた様が浅井軍の側面を突いたからではありませんか」
「ほほっ! よく覚えておいでじゃのう」
「あの戦いだけではりません。安藤様ほど多く信長様の主要な戦いに参戦して獅子奮迅な活躍をしてきたツワモノはおりますまい」
「ははは。信長というヤツは、それほどの功臣でも平気でポイ捨てするんじゃよ」
「武田への内通容疑でしたっけ?」
「ああ」
「私は内通はそれほど悪いこととは思いません。私の母の実家の菅沼
(すがぬま)氏は、徳川と武田とで二股かけていましたから」
「菅沼氏は仕方あるまい。国境にいる小豪族は強いほうにつかなければ生き残れない。武田が強い時は武田に、徳川が強くなったら徳川に、当然の選択をしたまでよ。しかしわしの場合、そのような生死に関わる国境にいたわけではないからのう」
「では、本当に武田と通じていたんですか?」
「ない! ない! ない!――が、武田にかくまわれていた土岐頼芸公に手紙を送ったことはあった」
「どのつてで送ったんですか?」
「頼芸公の五男・土岐頼元
(よりもと)殿あてに」
「ああ、それじゃあ疑われますよね〜。だって、頼元殿は武田の家臣だったじゃないですか〜」
「仕方ないではないか! わしにとって頼芸公は最初の主君じゃ! 近況報告ぐらいするであろう」
「お気持ちは分からないでもないですけど、安藤様の主君は猜疑
(さいぎ)心の強い信長様までしたからねー」
「そうそう、その頼芸公が常陸上総にいるそうな。かわいそうに盲目になられてしまわれたそうな。そうじゃ! おぬしは土岐氏の一員じゃ。おぬしの父の定明
(さだあき)殿もわしと一緒に頼芸公に仕えておった。宗家の御老体を呼び寄せて世話をするのは名誉なことだと思わぬか?」
「名誉なことですが、私は土岐といっても傍流の明智の出ですからね。傍流が出しゃばりすぎるのは、よく思われないでしょう
(「明智氏系図」参照)
「それもそうじゃな。それに土岐明智氏の者が引き取るとすれば、出世頭の明智光秀こそがふさわしい」
「そうですよ。――そういえば、頼芸公のお子様のうち、まだ美濃国内に住んでおられる方がいると聞きましたが」
「厚見郡江崎
(えさき。岐阜県岐阜市)に頼芸公の六男・江崎六郎殿が住んでおられる」
「そういうことなら、故郷でお子様とお暮しになられるのが一番と存じますが」
「確かに」

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