6.恐るべき計画

ホーム>バックナンバー2020>令和二年6月号(通算224号)ロス味 本能寺が変!6.恐るべき計画 

コロナで失われたものたち
1.本能寺の変な夢
2.不機嫌な老人
3.お客さんいらっしゃい
4.あぶないヤツ
5.もっとあぶないヤツ
6.恐るべき計画
7.本能寺が変!

 泣いていたのは茶室の中の大殿(安藤道足)と荒木村重だけではなかった。
 拙者もまた、茶室の外で漏れ聞いてすすり泣いていた。
 大殿が気付いて茶室から出てきた。
「話を聞いていたのか?」
「ええ、耳に入りましたので」
「おまえは信長の馬廻じゃ。荒木殿は謀反人じゃ。おまえは荒木殿が来たことを信長に報告するであろう?」
「いいえ、しません」
「荒木殿がかわいそうだからか?」
「いいえ、荒木殿ではなく、ダシ殿たちがかわいそうすぎます」
「そうか。それはよかった。今日のことは他言無用じゃ」
「はい、誰にも言いません」
「ついでにおまえに頼みがある」
 大殿は周りを確認すると、拙者を茶室に連れ込んだ。
「何ですか?」
「妙覚寺
(みょうかくじ。京都市中京区→上京区)と本能寺の間取りを調べて図面を描いてほしい」
「!」
「両寺は信長の京での定宿だ。信長につき従っているおまえなら、たやすいことであろう」
「どうして上様の定宿の図面が必要なのですか?」
「近いうちにわしは信長に再就職のお願いに行く。その時に道に迷わないように図面があれば心強い」
「寺の中で迷うとは思えませんが」
「わからんヤツだのう。わしは無駄なくチャチャッと信長のいる部屋に到達したいのじゃ」
「チャチャッと到達して、何をするおつもりですか?」
「再就職のお願いに決まっているではないか」
「不自然です。他に用があるのではないですか?」
「他の用とはなんじゃ? さっぱり思いつかぬわ!」
「城にいらっしゃる上様を殺すには、何千何万の軍勢が必要になります。しかし、寺にいらっしゃる上様を殺すのなら少数の刺客ですみます。上様を暗殺するために、図面が欲しいのではありませんか?」
「バカバカしい! わしが信長に反旗を翻すだと? ははは! このわしが今まで主君を裏切ったことなど一度だってあったか?」
「何度も何度もありました」
「……」
「主君の城を乗っ取っちゃったこともありました」
「……」
「そんな大殿なら、再起のためなら主君を暗殺することだってしかねません」
「ほざけ! その裏切りの常習犯を、何十年も主君として仰いできたヤツはどこのどいつだ?」
「……」
「おまえは今さっき、荒木殿の無念を知ったであろう! 『ダシ殿たちがかわいそうすぎます』とも言ったではないか! おまえにも妻子がいるではないか! 自分に置き換えて荒木殿の恨みのほどを感じてみろよっ!」
「わかりますけど……」
「それならもう図面は頼まぬっ」
「それでいいのです」
「その代わり、おまえが信長を殺れ!」
「え!」
「わしは信長の性格を熟知している。信長は警戒心が強いが、信頼している者にはたやすくスキを見せる。おまえは信長から信頼されている。つまり、おまえならたやすく信長を殺せるはずだ」
「な、なっ、なんてことを……」
「大丈夫じゃ。わしらがおまえが殺りやすいように騒動を起こしてやる。信長が宿泊している寺に、荒木殿率いる刺客団を送り込んで襲撃させてやる。その時におまえは、刺客に向けて鉄砲を撃つふりをして信長を撃てばよい。あるいは、防戦している信長の背後からブスリと槍で刺し殺せばよい。その後でおまえは信長の首を荒木殿に渡すのじゃ。荒木殿を見つけられなかったら、妙顕寺
(みょうけんじ。京都市中京区→上京区)に首を届けよ。妙顕寺にはダシ殿たちの墓がある。彼女たちの墓前に信長の首をそなえるのじゃ」
 村重も頼んだ。頭を下げるだけではなく、土下座して懇願した。
「私からもお願いする。どうか私に代わって信長を殺してくれ! そうしてくれれば、どんなお礼でもする! 信長は魔王じゃ! 信長を生かしておけば、これからも何人も何十人も何百人も何千人も何万人も女子供を殺めるであろう! これ以上、魔王の犠牲者を出してはならない! 私のようなこんなにも悲しい思いをする男たちも出してはならない! 頼む! この通りだ! 信長の悪行を止められるのは、信長から信頼され切っているあなたしかいないのだっ!お願いだ!一生のお願いだっ!どうかダシたちの墓に、にっくきカタキの首をそなえさせて欲しい!」
 拙者は困惑した。
「荒木殿のお気持ちはよくわかります。しかし拙者は上様の馬廻なのです。臣下が主君を討つことほどの不忠はありません」
 大殿が反論した。
「確かに主君を討つのは不忠である。が、主命に背くのもまた不忠であろう。改めて厳命する。わしはおまえに信長を討てと命じておる。これは主命である」
「お言葉ですが大殿は、今の拙者の主君ではありません。昔の拙者の主君にすぎません」
「何が昔の主君じゃ!おまえはついこの間までわしに仕えていたではないか! 今でもこんなにも仲良く同居しているではないか! おまえは何十年も仕えてきた主君より、まだ二年ぽっちしか仕えていない主君のほうが大事なのかっ!?」
「そうではありません。拙者は今でも大殿を主君同然だと思っています。だからこの通り、大切にかくまっているではありませんか。大殿をかくまっているだけですでに危ない橋を渡っているんです。どうかこれ以上、物騒なことは考えないでください」
「おまえはまだ自分の立場がわかっていないようじゃな?」
「わかってますって」
「いいや、わかっていない。おまえはとうに『同じ穴のムジナ』なんじゃよ」
「何ですって?」
「だって、そうではないか。おまえの館に天下の謀反人・荒木村重が出入りしているんだぞっ」
「……」
「おまえがどう言い訳しようが、はたから見れば謀反人をかくまっているようにしか見えないであろうな」
「!」
「このことが信長にバレたら、どうなるであろうかのう?」
「……」
「おそらく、おまえの妻子も六条河原で公開処刑であろうな」
「!!」
「わっはっはっはっは! ほーら背筋がゾクゾクしてきた! ようやくわかったようじゃな? おまえにはもう、わしらに組するしか選択肢はないのじゃー!」
「……」
信長が近いうちに上洛する情報は得ている。備中高松
(たかまつ。岡山市)城を攻めている羽柴秀吉から援軍要請があり、信長自ら備中へ出陣するという。すでに六角承禎殿や教如上人、城戸弥左衛門殿には知らせた。信長襲撃には一向宗徒や伊賀甲賀の忍者衆が参加する。総勢百人は下らない。彼らには水色桔梗の旗印を掲げさせて襲撃させる。対して妙覚寺か本能寺に宿泊する信長の手勢は数十人にすぎまい。夜襲か朝駆け、不意を突けば暗殺は必ず成功する」
「……」
「悪いことは言わぬ。信長に妻子を殺されくなかったら協力せよ! 松野平介一忠! これは主命である! わしらに組せよっ!そして、魔王を殺すのじゃ!」
「……。わかりました。主命ならば、やるしかありません」
「よくぞ決心した。それでこそ忠義じゃ」
「私からもお礼を申し上げます。ありがとうございます」
 その時、忍者がやって来た。
「城戸から連絡です。五月二十一日に織田信忠が妙覚寺に入りました。総勢数百」
「ほう、信忠が妙覚寺に。――ということは、信長の宿所は本能寺」
 村重は立ち上がった。
「では、私は色々小細工が必要なので、すぐに京へ」
「ああ、本能寺の件はよろしく頼む。追ってボン
(土岐頼元)も京へ向かって襲撃に参加する。六角殿や上人らによろしくな。わしはまず美濃を固める」
「わかりました」
 村重はうなずくと、拙者にはこう言い残した。
「松野殿、京で会いましょう。本能寺で会えなかったら妙顕寺で」
「了解」

 村重は京へ向かった。
 拙者に安土城から連絡があった。
「上様は五月二十九日に安土を発たれるので松野殿はお供をするように」
「承知した」
 拙者は心配だった。
 その心配を大殿に明かした。
「上様暗殺は成功するでしょう。でも、その後はどうするんですか? 妙覚寺には信忠様がいるんです。京には村井貞勝殿もいるんです。丹波亀山には明智光秀殿の大軍一万三千人が毛利攻めを控えているんです。そんなそばで謀反なんか起こしたら、たちまちのうちに成敗されてしまうでしょう」
「おまえはまだ勘違いしておるのう。荒木殿率いる刺客団の目的は謀反ではない。信長殺害一点のみじゃ。事が成れば刺客団は解散する。殺害現場の本能寺にはとどまらないため成敗されることはない」
「でも、すぐに犯人探しが始まるでしょう」
「それが、始まらないのじゃ」
「どうして?」
「なぜならすでに怪しいヤツラが本能寺の周りでたむろしているからじゃ。疑われるのはそいつらじゃよ」
「え? 怪しいヤツラって誰よ?」
明智光秀軍一万三千人じゃ」
「!」
光秀には二度使者を送る。一度目は襲撃前日に森蘭丸の名を語って送る。『上様が明智の陣容を検閲するので明朝に本能寺の前に来るように』と。そう伝えておけば、明智軍は当日の朝までに京の近くまで来るであろう。二度目は本能寺襲撃中に送る。『本能寺で謀反が起こったので助けに来てくれと』と。そうすれば、明智軍は慌てて本能寺に駆け付けるであろう。その時にはもう刺客団は解散済みだ。そのため、救援に来たはずの明智軍は、本能寺に残っていた信長の残党と戦い始める」
「え? どうして上様の残党と明智軍が戦い始めるんですか?」
「聞いておらなかったか? 刺客団には水色桔梗の旗印を掲げさせて襲撃させると」
「ああ、刺客団は明智軍を偽装するんですね? 明智軍に上様殺害の濡れ衣を着せるんですね?」
「そういうことだ。水色桔梗の旗印軍団に襲われた信長の残党は、再び現れた水色桔梗の旗印軍団を見て敵が戻ってきたと勘違いして戦ってしまうのじゃ」
「なるほど。しかし、残党に戦意はあっても、明智軍にはないでしょう」
「それがあるのじゃ。光秀には二度目の使者で『本能寺で謀反を起こしたのは織田信忠だ』と、ウソを伝えておくのじゃ。そうしておけば、明智軍は手向かう者は信忠に組する者と勘違いして戦ってしまうわけじゃ」
「なるほどなるほど。光秀殿は信忠様が上様を殺したと勘違いしている。信忠様は光秀殿が上様を殺したと勘違いしている。互いに勘違いしたまま、信忠軍と明智軍は戦っちゃうわけですね?」
「そういうことじゃ。そうなると兵力差からみて信忠に勝ち目はない。信忠を倒した光秀は、訳が分からないまま畿内の実権を握ってしまうことになる。そうなって初めて、自分が信長殺害犯にされていることに気づいてしまうんじゃよ。――さーて、光秀はどうするかのう? 足利義昭将軍に復そうとでもするかのう? 織田一族や柴田羽柴や丹羽
(長秀)や滝川(一益)たちはどう出るかのう? 岐阜城主信忠を失った美濃は大混乱じゃ。わしはこの機に土岐宗芸公を担いで美濃を平定する。どういう展開になろうとも、勢力さえ拡大しておけば、後々の交渉は有利になるであろう」
 拙者は舌を巻いた。
「大殿は再就職を目指すどころか、天下を目指しているではありませんか! こんな八十歳のクソジジイ、見たことねえよー!!」

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