★ 難攻不落!金城鉄壁!家康タヌキの本領発揮!!
 〜 戦国最終日本史上最大の籠城戦・大坂冬の陣!!

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愛知長久手立てこもり事件
1.狡猾!徳川家康!!
2.失望!片桐且元!!
3.結集!負け組共!!
4.頑強!真田幸村!!
5.錯乱!お茶々様!!

 最近、立てこもり事件が頻発している。
 頼んでもいないのに、日米立てこもりの競演も行われた。
 なかでも平成十九年(2007)五月十七〜十八日に起こった愛知長久手立てこもり事件では、二人の警官を含む四人の死傷者を出してしまった。
「立てこもり」は「籠城
(ろうじょう)」ともいうが、この事件の犯人・大林久人(おおばやしひさと)はブラインダー越しに銃を発砲しており、狭間(はざま)から矢や鉄砲を射た戦国時代の籠城戦さながらであった。
「近づくことができない〜」
 当然であろう。昔も今も籠城戦を強行突破
(正攻法)で陥落させることは容易ではない。今回の事件も結局は心理戦で解決したのである。

「いつまで倒れている同士を放っておくんですか!早く助けに行きましょう!」
 正義感というものは、殺気立っている犯人には通用しない。感情が高ぶっているときこそ、より慎重な冷静さが必要だったのではあるまいか?
 今回の人質は「殺されるはずのない人質」である。
 しかも「同士」が撃たれてから、すでに五時間も経過していたのである。そこまで放っておいたのであれば、最後まで神経戦で攻め続ければよかったのではあるまいか?
 結果論といってしまえばそれまでかもしれない。
 一番後悔しているのは、林一歩
(はやしかずほ)巡査部長(殉職後警部特進)であろう。彼は防弾チョッキの弱点というものも、当然のことながら教えられていたはずである。
チッ、しくじったか……」
 いずれにせよ、彼の無念さはこの上なかったはずである。

 ということで今回は戦国籠城戦の総決算・大坂冬の陣をお届けしたい。
 戦国の大狸
(おおだぬき)・徳川家康のこの攻め方というものは、今後の籠城戦の参考にはならないであろうか?

[2007年5月末日執筆]
参考文献はコチラ

「大坂冬の陣」登場人物

【徳川家康】とくがわいえやす。大御所。徳川方の首魁。

【本多正信】ほんだまさのぶ。家康の側近。

【本多正純】
ほんだまさずみ。家康の側近。正信の子。

【天 海】てんかい。家康の側近。天台宗のドン。
【以心崇伝】いしんすうでん。家康の側近。黒衣の宰相。

【中井正清】なかいまさきよ。大工頭。

【前田利常】まえだとしつね。加賀金沢藩主。徳川方。

【藤堂高虎】とうどうたかとら。伊勢津藩主。徳川方。
【島津家久】しまづいえひさ。薩摩鹿児島藩主。徳川方。
【福島正則】ふくしままさのり。安芸広島藩主。徳川方。
【蜂須賀家政】はちすかいえまさ。阿波徳島藩祖。徳川方。

【本多政重】ほんだまさしげ。利常の配下。
【奥村栄顕】おくむらひであき。利常の配下。

【真田昌幸】さなだまさゆき。幸村の父。
【真田信尹】さなだのぶただ。幸村の叔父。徳川方。

【阿茶局】あちゃのつぼね。家康の側室。
【常高院】じょうこういん。淀殿の妹。京極高次の妻。
【大野治純】おおのはるずみ。治長の弟。徳川方。

【片桐且元】かたぎりかつもと。秀頼の側近。豊臣→徳川方。

【徳川方の兵たち】
【豊臣方の兵たち】

【真田幸村(信繁)】さなだゆきむら(のぶしげ)。豊臣方。昌幸の子。

【後藤基次(又兵衛)】ごとうもとつぐ(またべえ)。豊臣方。

【織田信雄(常真)】おだのぶお(じょうしん)。信長の子。
【織田長益(有楽)】おだながます(うらく)。信長の弟。
【文英清韓】ぶんえいせいかん。臨済宗僧。元東福寺僧。

【大蔵卿局】おおくらきょうのつぼね。治長の母。

【大野治長】
おおのはるなが。大坂城の実力者。豊臣方。

【豊臣秀頼】
とよとみひでより。大坂城主。秀吉と淀殿の子。

【淀殿(茶々)】よどどの(ちゃちゃ)。秀頼の母。秀吉の側室。

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