2.失望!片桐且元!!

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愛知長久手立てこもり事件
1.狡猾!徳川家康!!
2.失望!片桐且元!!
3.結集!負け組共!!
4.頑強!真田幸村!!
5.錯乱!お茶々様!!

「なぜか大御所様がお怒りだそうな」
「それもカンカンじゃそうな」
「どうも方広寺の鐘の銘文が逆鱗
(げきりん)に触れたらしい」
「なぜじゃ?いったいこの銘文のどこにお怒りなのじゃ?」
 分からなかった。淀殿も豊臣秀頼も片桐且元も文英清韓もさっぱり理解できなかった。

 八月、且元は弁明のため駿府に向かった。
 徳川家康は会わず、本多正純と以心崇伝が応対した。
 正純が縮こまっている且元に、冷ややかに言った。
大御所様はお怒りです。怒り狂いすぎて、絶対に会わぬと仰せです」
「解せませぬ!大御所様はいったいこの銘文のどこをお怒りなのですか!?」
 崇伝が雷撃のように口を挟んだ。
「とぼけられるのもいい加減にせよ!『国家安康』『君臣豊楽』とはどういうつもりかっ!?」
「は?平和を願う文句ではありませぬか……」
「それは表向きのことであろう!裏の意味は『家康』の二文字を切り裂き、豊臣を君として楽しむ――。つまり、大御所様の死を願い、豊臣家だけの繁栄を願う、おぞましき呪
(のろ)いの文面ではないのか!」
「な、なんと……」
林羅山はこうも言ったぞ。『右僕射
(うぼくや。右大臣の唐名)(徳川氏の本姓)朝臣家康公』というのが『家康を射る』とも読めると――」
 且元は絶句した。
 正純が近づき、その肩を扇子
(せんす)でポンポンたたいた。
「今回の大御所様のお怒りはただごとではありません。去る関ヶ原の戦石田三成らが挙兵したときも、ここまでお怒りではなかった……」
 つまり、事態は関ヶ原直前よりも切迫しているということである。
 且元は正純にすがりついた。
「言いがかりでございまする!今の豊臣家には三成のような二心はございませぬ!呪いとおっしゃられれば、銘文はすぐにつぶしまする!なにとぞ、おとりなしのほどをっ!」
 且元は持参した「おみやげ」を次から次へと運ばせた。
 正純が積まれゆくそれらを横目で見ながら言った。
「私からは当然のように頼んでおきますが、とても銘文をつぶしたぐらいでは事はおさまりますまい。豊臣家には大幅な譲歩を期待しますよ」
「ははーあー。伏してお願い申し上げまするー」

 次いでもう一人、淀殿の使者も駿府を訪れた。
 淀殿の乳母で大野治長
(おおのはるなが)の生母、大坂城随一の女権力者・大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)であった。
「遠路はるばるよーこそ」
 彼女に対しては、家康自ら歓待した。
 大蔵卿局は戸惑った。
「あらあら。激しくお怒りだと聞いておりましたが」
「何それ。全然怒ってないですよ。毎日こうやって富士山を眺めていると、怒る気などとんとわいてきませんなー」
「且元とはお会いにならなかったそうですが」
「いやいや。あなたが思っておられるより、わしと且元は仲良しなんじゃよ。昵懇
(じっこん)なんじゃよ。ヒッヒッヒ!」
 家康は否定し、意味ありげに付け足した。
「先年、秀頼君が且元を加増したことがあったであろう?あれはわしがとりなしてやったことじゃ」
「まあ」
 大蔵卿局は安心した。

 九月に且元と大蔵卿局は帰途についた。
 且元は駿府在府中、とうとう一度も家康に会ってもらえなかったのである。その表情は暗かったが、大蔵卿局は明るかった。
「富士山、きれいでしたねー」
「あ、はあ……」
 近江土山
(つちやま。滋賀県甲賀市)まで着たとき、大蔵卿局が且元に聞いた。
「ところで大御所の『内意』とは何ですか?あなたから聞くように言われましたが」
「そのことですが――」
 且元は深刻な顔で話し始めた。
大御所の怒りを解くためには、豊臣家が素直に領地替えを受け入れるか、淀様もしくは秀頼様を江戸に人質に差し出す以外にございませぬ」
「何を言うか!大御所は怒っているようには見えませんでしたが――」
「いいえ。大御所はこの機に乗じて豊臣家を滅ぼそうとしているのでございまする。戦になっては勝てませぬ。豊臣家を存続させるためには、大幅な譲歩が必要なのでございまする」
「何ですって――」
 大蔵卿局は唖然
(あぜん)とするとともに、ある疑惑を生じさせた。
(どういうことじゃ?私に対する大御所は、とてもそんなようには見えなかった……。まさか、もしや、この且元には、大御所の息がかかっているのではあるまいな……)
『あなたが思っておられるより、わしと且元は仲良しなんじゃよ。昵懇なんじゃよ。ヒッヒッヒ!』
 大蔵卿局はハッとした。
(やっぱりそうじゃ。確かに大御所はそう言っていた。これは大変じゃ……)

 大蔵卿局は且元に先んじて大坂城に帰ると、スッパスッパ煙草(タバコ)をふかしていた淀殿に報告した。
「大蔵。どうじゃった?」
「ええ。大御所は思ったほど怒っておりませんでした。ただ――」
「ただ、なんじゃ?」
「且元を信用してはいけません」
「え?え?なんで?」
「且元は大御所の回し者かも知れません」
「キャハーハーハッ!」
 淀殿は煙管
(きせる)をたたいて大笑いした。
「ヒャヒヒー!ありえぬわっ!且元に限って、そんなこと、あり得るわけないでしょーがっ!」

 続いて且元が参上した。
大御所の怒りを解き、豊臣家を滅亡から守るためには、領地替えか人質行きを受け入れるよりほかありません。なにとぞ、御覚悟のほどを!」
 淀殿の目が三角になった。
 秀頼は大人であった。
「且元、余はすでに覚悟はできている」
「なりませぬ!」
 秀頼をしかったのは淀殿である。彼女は且元に言った。
「且元。大坂城秀頼もこのわらわも、タヌキ親父なんかにくれてやれぬことは百も承知であろうな?」
「もとより承知でございまする。生か!死か!究極の選択を迫られた場合でのみでございまする。その場合はなんとしても生きなければなりませぬ!生き残りさえすれば、いずれ先に大御所は死にまする!」
「黙れ、且元!わらわに家康の妾になれと申すのか!」
「うぷっ!確かに大御所は人妻や未亡人が好物ですが、年増好きではございませぬ」
 淀殿時に四十八歳。
「キー! 失礼なーっ!わらわは生きて辱めを受けるくらいであれば、喜んで死にましょうぞ! 秀頼も同じじゃー!大坂城も同じじゃーっ!」

 程なくして、大坂城内にうわさが流れた。
「片桐東市正
(且元)は関東の回し者だそうな」
「自らの栄光のために、大坂大御所に売り渡すつもりだそうじゃ」
「許さぬ!東市正を追放せよ!」
「手ぬるい!斬
(き)るべし!」
 城内の不穏な空気をいち早く察知した男がいた。
 織田常真
(おだじょうしん)――。
 織田信長の次男・信雄
(のぶお・のぶかつ)その人である。
 信雄は且元に勧めた。
「城内にそちの暗殺をたくらんでいる連中がいる。ほとぼりが冷めるまで、しばらく出仕せぬほうがいいと思うが」
 消沈していた且元は従った。
「そのようでございまするな。まったく、悲しき限りでございまする」

 十月一日、且元は大坂城を出て居城・摂津茨木城(いばらきじょう。大阪府茨木市)に引きこもった(秀頼に追放されたともいう)
 その数日前に信雄も城を出て京都竜安寺
に入り、秀頼の反戦派側近・石川定政(いしかわさだまさ)高野山へ入り、出家してしまった。
 これにより、大坂城には大野治長ら主戦派の側近たちだけが残された。つまりもう誰も淀殿の暴走を止める者はいなくなってしまったわけである。

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