5.錯乱!お茶々様!! | ||||||||||||||
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徳川家康は城を落とすためにありとあらゆる策を試みた。
「他の武将も内応工作せよ!」
世渡り上手天下一品・藤堂高虎に命じ、元伯耆羽衣石(うえし)城主・南条元忠(なんじょうもとただ)らを釣り上げようとしたのである。
「味方すれば伯耆一国を与える」
元忠は釣られたが、豊臣方にばれて殺されてしまった。
また、豊臣方の主将格にも調略の手を伸ばした。
淀殿には阿茶局(あちゃのつぼね。家康の側室)と常高院(じょうこういん。常光院。淀殿の妹。京極高次室)を、大野治長には大野治純(はるずみ。治長の弟)を差し向け、講和へ傾くよう説得させたのである。
「ねーねー、講和しようよ〜」
「ケンカ反対!」
「なあ。平和が一番じゃないか〜。へっへっへ!」
そこで治長は提案した。
「では、淀殿を江戸に人質に差し出すことは譲ることにしよう。その代わり、城に詰めている牢人たちに加増するゆえ、豊臣家の知行を増やして欲しい」
報告を聞いた家康は怒った。
「どこに敵の知行を加増するバカがいるかっ!」
内応工作は失敗であった。
家康は次々と手を打った。
ミスター土木工事・伊奈忠政(いなただまさ。忠次の子)にこう命じたのである。
「淀川の水をせきとめよ!」
そうすることで大坂城の堀の水をなくしてしまおうとたくらんだのである。
確かに水位は下がったが、堀には大和川の水も流れ込んでいたため、からすまでは至らなかった。
「城へ向けて降伏勧告の矢文を放て!」
豊臣方の武将たちは矢文を読んでくれたが、
「『無駄な抵抗はやめて降伏しろ』だって。こういうことをすること自体、無駄じゃないか」
笑われただけであった。
「城へ向けて穴を掘れ!」
石垣の下に穴に掘り、そこに爆薬を詰めて爆破しようという魂胆だったが、
「あ、下のほうで何かしてるぞ!」
「やっちまえー!」
途中で見つかって集団リンチにあい、あえなく失敗してしまった(本丸まで掘り進め、秀頼の部屋の下に爆薬を仕掛ける予定だったともいう)。
「城に向かって大声で叫べ!」
兵たちに夜通しときの声を上げさせ、豊臣方を不眠症にしようとも試みたが、
「よく考えたみたら、こっちのほうがうるさくねえ?」
「だなー」
やってる自分たちのほうが不眠症になったのでやめてしまった。
「城に向かって大砲を撃てー!」
家康はこのときのためにオランダから最新式の大砲「仏狼機(フランキー。俗名「国崩し」)」三門(五門〜十二門とも)を調達しておいたのである。
どーん!
ぼーん!
どかーん!
「おお! スゲー!」
「異国の武器はよう飛ぶのー」
その飛距離には感心したが、それ以上に大坂城は広大である。
「よし、天守閣に一番近い場所から撃てー!」
しかしそれでも砲弾は届かず、堀に落ちて長大な水柱を上げるだけであった。
本多正信はがっかりした。
「こりゃ、無駄ですわい」
が、家康はあきらめなかった。
「無駄なことはない。撃って撃って撃ちまくるのじゃー!」
家康は昼も夜も大砲を連発させた。
何日も何日も、何十発も何百発も撃たせた。
ある日、ついに奇跡は起こった。
風に乗ったかなんだか知らんが、とうとう一発が天守閣に当たっちまったのである(一説に二発とも)。
どっかーん!
ガラガラガラー!
ぺっちゃーん!
「いたい〜」
「グチャグチャ〜」
「あら〜、血まみれ〜」
「私の肝臓、拾って〜」
淀殿は惨状に悲鳴を上げた。
「ヒャー!なんてことー!!」
織田長益が落ち着き払って茶を飲みながらボソボソと言った。
「大御所は異国から多くの最新鋭の武器を買いそろえているそうな。まだまだこれからはすごい武器を繰り出してくるでしょーなー。たのしみですなー」
実は長益にも、本多正純を通して調略の手が差し向けられていた(当初から徳川方に通じていたとも言われている)。
淀殿は恐怖した。戦慄(せんりつ)した。錯乱した。
「講和じゃー!大御所に今すぐ講和の使者を遣わせーっ!」
鶴の一声であった。
慶長十九年(1614)十二月二十日、両軍の講和が成立した(二十二日とも)。
1.豊臣方は大坂城三の丸と総構を破壊すること(二の丸は豊臣方自ら破壊)。
2.豊臣方は織田長益か大野治長を徳川方に人質に出すこと。
3.徳川方は豊臣秀頼の身分を保証し、豊臣方の武将たちの領地を安堵すること。
これらが和議の条件であったが、すぐに破られ「大坂夏の陣」へと突入するわけである。
[2007年5月末日執筆]
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