1.斎藤妙椿の武

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日中国交異常化
1.斎藤妙椿の武
2.東常縁の文
東 常縁 PROFILE
【生没年】 1401-1494or1484
【別 名】 六郎・素伝・東野州・昼錦居士
【出 身】 美濃国or京?
【本 拠】 美濃篠脇城(岐阜県郡上市)
【職 業】 武将(郡上山田荘領主)・歌人
【役 職】 幕府奉行衆・左近将監・下野守
【位 階】 従五位下
【 父 】 東益之(素明)
【 母 】 藤原某or大内義弘女
【 子 】 東縁数・常和・胤氏・常庵竜崇
【兄 弟】 東氏数(宗玄)・安東氏世・南叟竜朔
・正宗竜統・素順・宗雲ら
【主 君】 足利義政・足利義尚ら
【 師 】 常光院尭孝・清巌正徹・円雅ら
【弟 子】 飯尾宗祇・三浦義同(道寸)・近衛政家
・三条西公保ら
【部 下】 浜春利ら
【作 品】 東野州聞書・拾遺愚草・東野州拾唾
・東野州消息・常縁集など
【墓 地】 木蛇寺(郡上市)

 西では応仁の乱
 東では享徳の乱
 二つの大乱が同時進行していた時期があった。
 応仁の乱細川勝元率いる幕府軍
(東軍)山名宗全(「富豪味」参照)率いる有力守護大名連合軍(西軍)との戦いであり、享徳の乱堀越公方足利政知率いる幕府軍と、古河公方足利成氏率いる反乱軍との戦いであった(「足利氏系図」参照)
 二つの争乱は全国規模で展開、いわゆる戦国時代が始まったのである。

 享徳四年(1455)、幕府奉行衆・東常縁(とうつねより・とうのつねより。「東氏系図」参照)は、将軍足利義政を担ぐ管領細川勝元から出陣を命じられた。
鎌倉足利成氏が反乱を起こした。下総の千葉
(ちば)氏でも内紛が起こった。これらを鎮めるため東国へ行け」
 東氏は千葉氏の一族である。
「ははあ」
 常縁はがっかりした。
(これでしばらく歌三昧
(ざんまい)の生活はできなくなるな)
 常縁は二条
派の歌人でもあった。


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現在の篠脇城(岐阜県郡上市大和町)周辺

 享徳の乱は長引いた。
 応仁元年(1467)には、京でも応仁の乱が始まった。
 常縁は戦の合間にも連歌をやっていた。
 連歌師は京の情報を教えてくれた。
「京はもう無茶苦茶ですわ」
相国寺
(京都市中京区)・吉田社(よしだしゃ。吉田神社。京都市左京区)・青蓮院(しょうれんいん。京都市東山区)天竜寺(京都市右京区)などが燃えちゃいました」
「放火略奪暴行は日常茶飯事。ああなるともう、金持ちも貧乏人も貴人も変人も区別がつきません」
「戦争するのは武士の勝手ですが、庶民に迷惑がかからないようにやっていただきたい」
「とても住める状態じゃないので、私たちは京から脱出して地方めぐりです」
足利義視・瑞渓周鳳
(ずいけいしゅうほう)・一休さん(「元日味」参照)など、名だたる人々も京から脱出したそうですよ」
 常縁は連歌師たちに聞いた。
「西軍山名方にはどんな武将がいるのですか?」
 常縁は幕府軍なので、敵方が気になるのである。
「そうですね。山名宗全
(「富豪味」など参照)を初め、山名教之(のりゆき)・山名政清(まさきよ。「山名氏系図」参照)・斯波義廉(しばよしかど)畠山義就・畠山義統(よしむね)・一色義直(いっしきよしなお)・土岐成頼(ときしげより・なりより。「土岐氏系図」参照)――」
「土岐成頼!」
「ええ、美濃守護の」
 常縁は困った。
 実は常縁の居城・篠脇
(しのわき。岐阜県郡上市)城は美濃の郡上(ぐじょうぐん)郡にあるのである。
 つまり、自国の最高上司が敵方に回ったことになるわけである。
「攻められる!」
「はあ?」
 常縁から理由を聞かされた連歌師たちが口々に言った。
「大丈夫ですよ。戦は京で起こっているんですから」
美濃の郡上にあるお城など攻められませんて」
美濃の守護所にはお留守番しか残っていないんでしょ?余裕でしょ?」
 常縁は首を横に振った。
「そのお留守番こそ脅威なのじゃ」
 お留守番とは、美濃守護代後見・斎藤妙椿
(さいとうみょうちん(「斎藤氏系図」参照)――。
 甥
(おい。弟とも)の斎藤利藤(としふじ)を名ばかりの守護代とし、主君・成頼をも操っていた下克上である。
「土岐成頼は凡庸だが、斎藤妙椿はたぐいまれなる曲者
(くせもの)。事実上の美濃国主といってもいい。主君のいないうちに国内の反対勢力を一掃し、越前尾張三河近江飛騨を攻め、上洛して天下をねらってくる恐れもある」
「ふえ!妙椿とは、それほどの野心家ですか!」
 美濃の斎藤といえば、これより半世紀後に登場する斎藤道三
(さいとうどうさん。「最強味」参照)が有名であるが、妙椿の野心とフットワークは道三以上であった。

 応仁二年(1468)九月、常縁の悪い予感は現実となった。
 妙椿が郡上に侵攻、篠脇城を陥落させ、城を守っていた常縁の兄・東氏数
(うじかず)を追放したのである。

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