★ え? 戦国最強の武将は桶狭間で散ったあの武将!? 〜海道一の弓取り・今川義元の天下への執念!! |
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平成十四年(2002)のNHKの大河ドラマの主人公は、前田利家である。
正確には、プラス「まつ」である。
大河ドラマでは戦国時代がよく採り上げられる。一年おきに戦国時代がからんでいるような気がする。一番人気がある時代なので、無理もない。
それにしても、戦国最強の武将は、いったいだれなのか?
戦国ファンであれば、だれもが一度は考えたことがある疑問であろう。
ある人は織田信長を挙げ、またある人は、豊臣秀吉や徳川家康を挙げるであろう。しかし、結果的に天下を取った彼ら以上に、武田信玄と上杉謙信の両雄を挙げる人のほうが多いに違いない。
確かに、信玄と謙信の強さは別格で、信長や家康も、二人との戦いはできるだけ避け、攻めてこられたら敗走逃亡するよりほかに手がなかった。何しろ天下を取った武将たちよりも強いのだから、この両雄の力は戦国最強だと思われても仕方がないであろう。
だが、この二人よりももっと強かった武将がいた。
その武将は、信玄や謙信や信長よりも、常に一歩も二歩も先のことを考えていた。
信玄はその武将を恐れていた。
その男が戦うとき、信玄は進んで援軍をよこした。
自分が戦うとき、とてもその男に、
「援軍を送ってください」
なんてことは頼めやしなかった(送ってないことはないが)。
信玄のその男に対する恐怖は尋常ではなかった。毘沙門天(びしゃもんてん)の化身(謙信)とも、第六天魔王(信長)とも、関東平野の覇王(北条氏康・ほうじょううじやす)とも戦うことをいとわなかった戦国最強であるはずの信玄が、その武将にだけは決して戦いを仕掛けず、生涯その盟友に徹し切ったのである。
また、信玄はその男を尊敬していた。その男の国づくりをまね、その男の使う法律をまねた。その男が読んでいる軍学書を読み、その男が駆使する戦略をまねた。
(ヤツにはかなわない)
信玄はおそらくそう思っていたことであろう。そして、彼はこう確信していたに違いない。
(いずれヤツは天下を取るであろう)
ヤツの名は、今川義元といった。甲斐の隣国・駿河を本拠とし、「海道一の弓取り」と恐れられていた戦国大名であった。
義元西上のうわさが広まったとき、信玄は、
(いよいよ時がきたか)
と、身震いしたことであろう。そして、彼が尾張の織田氏と伊勢の北畠(きたばたけ)氏を木っ端微塵(みじん)に粉砕し、京都に上洛することを確信していたことであろう。
その義元が尾張桶狭間(おけはざま。愛知県豊明市or名古屋市緑区)で敗死したという報告を受けても、にわかに信じられなかったに違いない。
(あの最強の義元が、のっ、のっ、信長ごときに討たれるとは……!)
信玄が天下を目指して駿河へ侵攻したのは、義元の死後八年後のことである。
三方原(みかたがはら。三方ヶ原。浜松市北区)の戦で織田・徳川連合軍をなぎ倒し(「惨敗味」参照)、京都を目指して進撃したものの、病に倒れたことは周知のことであろう。信玄は義元を恐れていたために、彼の生前は駿河に侵攻することはかなわなかった。信玄は今川氏を恐れていたのではない。今川氏は義元死後も健在である。信玄が恐れていた相手は、あくまで義元個人である。
私が義元を戦国最強とする根拠はこれである。
信玄は信長・家康よりも強かった。謙信とは同格であった。氏康より弱かったとは考えられない。戦国最強だと思われているその信玄が、生前唯一手出しすらできなかった義元こそ、真の戦国最強武将なのである。
異論をはさむ方がおられるかもしれない。
「戦国最強であるはずの義元が、どうして信玄や謙信より弱いはずの信長に負けたのか?」
信長が義元に勝っちゃった理由――。
ちゃんとあるが、後で明かそう。
信長は義元より強かったから勝ったわけではない。戦争もスポーツも、必ずしも強いものが勝つとは限らない。
ワールドカップ(2002年日韓大会)もそうであった。
優勝候補と目されていたフランスやアルゼンチンは、予選突破すらできなかったではないか。最強の武将が必ずしも天下を取れるとは限らないのである。
今月は戦国史上最強の武将・今川義元のすごさ、汚さ、悪どさというものを存分に味わっていただく。
大げさかもしれないが、少なくとも今回の物語で義元がただの胴長短足の「まろ」ではないということはお分かりになるであろう。
[2002年6月末日執筆]
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参考文献はコチラ
【今川義元】いまがわよしもと。駿河府中館主。氏親の子。
【太原崇孚(雪斎)】たいげんすうふ・そうふ(せっさい)。軍師。臨済寺住職。義元の家来・師。
【寿桂尼】じゅけいに。義元の生母。
【武田信虎】たけだのぶとら。甲斐躑躅ヶ崎館主。信玄の父。義元の盟友。
【武田信玄】たけだしんげん。甲斐躑躅ヶ崎館主。信虎の子。義元の盟友。
【松平広忠】まつだいらひろただ。三河岡崎城主。ほぼ義元の家来。
【松平元康】まつだいらもとやす。竹千代。後の徳川家康。広忠の子。
【岡部元信】おかべもとのぶ。尾張鳴海城守将。義元の家来。
【戸田康光】とだやすみつ。三河田原城主。松平広忠・織田信秀の家来。
【日根野弘就】ひねのひろなり。斎藤義竜の家来。
【服部春安(小平太)】はっとりはるやす(こへいた)。織田信長の家来。
【毛利良勝(新介)】もうりよしかつ(しんすけ)。織田信長の家来。
【福島正成】くしままさなり。遠江高天神城主。今川家の実力者。
【玄広恵探】げんこうえたん。遍照光寺住職。義元の兄。
【北条氏綱】ほうじょううじつな。相模小田原城主。早雲の子。
【北条氏康】ほうじょううじやす。相模小田原城主。氏綱の子。
【斎藤高政(義竜)】さいとうたかまさ(よしたつ)。美濃稲葉山(岐阜)城主。道三の子。
【斎藤道三】さいとうどうさん。美濃鶴山(鷺山)城主。義竜の父。信長の岳父。
【足利義輝】あしかがよしてる。室町幕府13代将軍。
【今川の忍者たち】
【織田の忍者たち】
【織田の家臣たち】
【信長の小姓たち】
【尾張の庶民たち】
【織田信秀】おだのぶひで。尾張末森等城主。信長の父。義元の仇敵。
【織田信長】おだのぶなが。尾張清洲城主。信秀の子。道三の娘婿。