1.栗 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年1月号(通算231号)三密味 空海vs修円1.栗
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南都六宗 |
三論宗(さんろんしゅう) 成実宗(じょうじつしゅう) 法相宗(ほっそうしゅう) 倶舎宗(くしゃしゅう) 華厳宗(けごんしゅう) 律宗(りっしゅう) |
洛西の嵯峨院(さがいん。嵯峨御所。後の大覚寺。京都市右京区)に、嵯峨上皇と皇太后・橘嘉智子は住んでいた。
洛南の東寺(京都市南区)から大僧都・空海が訪問した時、二人は並んでクリを食べていた。
嘉智子が蔵人(くろうど)に命じた。
「大僧都(だいそうず)にもクリを」
空海はクリを押しいただいて食べた。
「美味でございます〜」
嵯峨上皇も御満悦であった。
「うまいであろう? 修円少僧都(しょうそうず)が煮たクリだ」
「ですか」
空海は笑顔を止めた。
修円は旧仏教南都六宗の一角、法相宗の権威である。
洛東の山階寺(やましなでら。京都市山科区)に住んでおり、ちょくちょく嵯峨院に遊びに来ていた。
嵯峨上皇が付け足した。
「しかもそのクリは火では煮ていない。法力だけで煮たのだ」
「ほう」
空海は疑いの目で聞いた。
「――修円が法力で煮ている様子を御覧になったのですか?」
「ああ。修円が一心に祈るとあら不思議! 火をかけていない土鍋がグラグラと煮立ち、そのようなほっこりうまいクリが煮上がったのだ」
橘嘉智子も感心した。
「法相宗ってすごいですね〜。法力だけでクリも煮られるのですね」
空海の眉(まゆ)がピクンと動いた。
嵯峨上皇の近くにあった土鍋を見つけて聞いた。
「修円がクリを煮たのはその土鍋ですか?」
「いかにも」
「ちょっと、拝見してもよろしいでしょうか?」
「よいぞ」
空海は土鍋を持ち上げてみた。
裏返して鍋底を触ってみると、黒いすすが手に付いた。
「おかしいですね。修円は本当に火を使っていないのですか?」
「ああ、確かに使っていなかった。朕(ちん)も后(きさき)も蔵人たちもみんなで見ていたからな」
空海は土鍋に下に敷いてあった五徳も確かめてみた。
持ち上げてみて気がついた。
「変わった形の五徳ですね」
「唐伝来のものだと聞いたが」
「五徳なのに、中に物が入れられるような空間があります」
「そうなのか? そこまでは気づかなかった」
空海はニヤリとした。
その空間に、炭のカスを見つけたからである。
「なるほど、これが手品のカラクリですか」
「カリクリ?」
「いえ、何でもありません。私も修円が法力でクリを煮るところを見たくなりました」
「修円なら明日も来る。朝から来れば見られるぞ」
「ではまた明朝に参ります」
「うむ、そうするがいい」
「そして、修円が法力でクリを煮始めたら、私は法力で煮上がるのを阻止して御覧に入れましょう」
嵯峨上皇は気づいた。
「おもしろい! 修円と法力対決をするわけだな?」
橘嘉智子もワクワクした。
「真言宗対法相宗、どちらが勝つか楽しみですわ〜」
翌朝、修円がやって来た。
嵯峨上皇が頼んだ。
「今日も法力でクリを煮てほしい」
「お安い御用です」
修円は空海が控えていることに気が付いた。
「今朝は変わった『観衆』がいますな」
橘嘉智子が言った。
「大僧都も少僧都の法力が見たいそうな」
修円は自信に満ちあふれていた。
「どうぞ御覧下さいませ。法相宗奥義『火のないところで栗を煮る術』を」
修円は土鍋にクリと水と塩を入れた。
そして、土鍋を五徳に載せようとして気づいた。
「あれ? いつもの五徳と違いますね? いつもの五徳は?」
嵯峨上皇が謝った。
「ああ、あの五徳は朕が誤って蹴飛ばして壊してしまった。今日からその五徳でクリを煮てほしい」
修円は青ざめた。
「ええーっ、あの五徳じゃないと〜。えーっと、ちょっと――、これ、 丸見えじゃないですか〜」
「どうした? 丸見えだと小細工ができないのか?」
「小細工なんてしてませんてっ!」
「だったらガタガタ言わずにクリを煮てほしい。法力で煮えるのなら、道具は選ばないはずだ」
「わわ、わかりました。やりゃいいんでしょうがっ」
修円は経を読んで祈り始めた。
どんなに祈っても、クリは一向に煮えなかった。
「おかしいな〜。ムニャムニャムニャー」
それでも読経を続けようとする修円を、嵯峨上皇が止めた。
「もうやめよ。無駄だ」
「申し訳ございません。今日は法力の調子が悪いようです」
「そうでもあるまい。クリが煮えなかったのは、少僧都の法力を大僧都が阻止していたからだ」
「何ですと!」
修円が横を見てみると、いつの間にか空海が印を結んで真言を唱えていた。
嵯峨上皇が言った。
「どうやら法力では大僧都が一枚上手のようだな」
橘嘉智子も愉快そうに笑った。
「真言宗奥義『火のないところでは栗を煮させない術』ですか」
嵯峨上皇と空海は顔を見合わせて笑った。