1.ワル動く〜 満州事変

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経済制裁の効果
1.ワル動く 〜 満州事変
2.ワル孤立 〜 国際連盟脱退
3.悪の枢軸 〜 日独伊防共協定
4.枢軸強化 〜 日独伊三国同盟
5.経済封鎖 〜 ABCD包囲陣
6.ワル暴発 〜 日米開戦へ

 昔、日本はワルであった。
 問答無用の極悪帝国であった。
 当時の日本と比べれば、今の北朝鮮なんてかわいいものである。

 当時とは、昭和時代初期。
 軍部右翼が台頭していた時期である。
「言うことを聞かないと、ぶっ殺すぞ!」
 脅しではなかった。
 首相や政府高官、財界の要人すらも、本当に簡単にぶっ殺されてしまう時代であった。
 浜口雄幸狙撃事件
(「不況味」参照)血盟団事件(「凶弾味」参照)五・一五事件、相沢(あいざわ)事件、二・二六事件などなど。いずれも軍部右翼が起こした事件である。
 しかも、これらの事件を起こした黒幕は、ほとんど罰せられていないか、軽い刑ですんでいる。
「後で何されるか分からないから、罰せられない〜」
 裁く方も弱腰になっていたため、悪は際限なく増殖していったのである。

 軍部中国にも伏魔殿をこしらえていた。
 ワル中国支部・関東軍である。
中国は広大だ。無限だ。我々の領土は戦えば戦うほど膨張していくのだ! 我々は腕次第で本土をしのぐ大きな権力を握ることができるのだ!」
「そうだ! やるのだ!」
 昭和六年(1931)九月、関東軍高級参謀・板垣征四郎
(いたがきせいしろう)と、同軍参謀・石原莞爾(いしはらかんじ。「石原味」参照)らは、柳条湖事件を計画実行、中国の仕業にして満州事変を勃発させた。

 政府は彼らに反発できなかった。
 柳条湖事件当時の首相は、穏健派・若槻礼次郎
 右翼の凶弾に倒れた、あの浜口雄幸の後継である
(「不況味」参照)
中国が仕掛けてきたってウソでしょ? 本当は君たちが仕組んだんじゃないのかい?」
「何だと! あんた、死にたいのか?」
「いえ、死にたくありません」

 十二月、第二次若槻内閣は総辞職した。
「首相なんぞやっていては、いくら命があっても足りないわい」
 ちなみに後継首相・犬養毅五・一五事件で、次の次の首相・斎藤実二・二六事件で、それぞれぶっ殺されている。

 一方、中国国民政府主席・蒋介石国際連盟に訴えた。
日本がこんなに悪いことをしました」
 昭和六年(1931)九月、国際連盟満州事変に対する緊急理事会を招集した。
 中国代表・施肇基
(しちょうき)は列国に呼びかけた。
日本はひどい! 日本の出兵は、侵略以外ナニモノでもない!」
 日本代表・芳沢謙吉
(よしざわけんきち)は言い訳した。
「治安維持のためだ。目的が達せられれば、すぐ撤兵するから」
「治安を乱しているのは日本ではないか!」
「……」
 が、国際連盟は事実上、日本の侵略を黙認した。
 何しろ国際連盟では、日本は力ある常任理事国であった。
「日中両国の間で丸く治めるように」
 とりあえず、そういうことになった。

 その頃、アメリカはいらだっていた。
 アメリカはすでに、イギリスをしのぐ世界一の超軍事大国になっていた。
 が、太平洋の権益を争っている日本も、いつの間にか世界第三位の軍事大国になっている。その日本が、今でも中国で増長し続けているのがおもしろいはずがなかった。
 大統領フーバーは考えた。
「もはや日本の脅威は東洋だけのものではない。世界の脅威だ。なんとかして日本の膨張を食い止める策はないものか?」
 国務長官スチムソン
(スティムソン)が提案した。
「経済制裁してはいかがですか?」
 対立しているとはいえ、日本にとってアメリカは世界第一の貿易相手国である。特に石油や鉄などの資源は、七、八割方、アメリカに依存していた。
 が、フーバーは渋った。
「もう少し様子を見よう」
 お得意様を失ってしまうのもまた、おもしろくないのであった。

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