1.ワル動く〜 満州事変 | ||||||||||||||
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昔、日本はワルであった。
問答無用の極悪帝国であった。
当時の日本と比べれば、今の北朝鮮なんてかわいいものである。
当時とは、昭和時代初期。
軍部や右翼が台頭していた時期である。
「言うことを聞かないと、ぶっ殺すぞ!」
脅しではなかった。
首相や政府高官、財界の要人すらも、本当に簡単にぶっ殺されてしまう時代であった。
浜口雄幸狙撃事件(「不況味」参照)、血盟団事件(「凶弾味」参照)、五・一五事件、相沢(あいざわ)事件、二・二六事件などなど。いずれも軍部や右翼が起こした事件である。
しかも、これらの事件を起こした黒幕は、ほとんど罰せられていないか、軽い刑ですんでいる。
「後で何されるか分からないから、罰せられない〜」
裁く方も弱腰になっていたため、悪は際限なく増殖していったのである。
軍部は中国にも伏魔殿をこしらえていた。
ワル中国支部・関東軍である。
「中国は広大だ。無限だ。我々の領土は戦えば戦うほど膨張していくのだ! 我々は腕次第で本土をしのぐ大きな権力を握ることができるのだ!」
「そうだ! やるのだ!」
昭和六年(1931)九月、関東軍高級参謀・板垣征四郎(いたがきせいしろう)と、同軍参謀・石原莞爾(いしはらかんじ。「石原味」参照)らは、柳条湖事件を計画実行、中国の仕業にして満州事変を勃発させた。
政府は彼らに反発できなかった。
柳条湖事件当時の首相は、穏健派・若槻礼次郎。
右翼の凶弾に倒れた、あの浜口雄幸の後継である(「不況味」参照)。
「中国が仕掛けてきたってウソでしょ? 本当は君たちが仕組んだんじゃないのかい?」
「何だと!
あんた、死にたいのか?」
「いえ、死にたくありません」
十二月、第二次若槻内閣は総辞職した。
「首相なんぞやっていては、いくら命があっても足りないわい」
ちなみに後継首相・犬養毅は五・一五事件で、次の次の首相・斎藤実は二・二六事件で、それぞれぶっ殺されている。
一方、中国の国民政府主席・蒋介石は国際連盟に訴えた。
「日本がこんなに悪いことをしました」
昭和六年(1931)九月、国際連盟は満州事変に対する緊急理事会を招集した。
中国代表・施肇基(しちょうき)は列国に呼びかけた。
「日本はひどい! 日本の出兵は、侵略以外ナニモノでもない!」
日本代表・芳沢謙吉(よしざわけんきち)は言い訳した。
「治安維持のためだ。目的が達せられれば、すぐ撤兵するから」
「治安を乱しているのは日本ではないか!」
「……」
が、国際連盟は事実上、日本の侵略を黙認した。
何しろ国際連盟では、日本は力ある常任理事国であった。
「日中両国の間で丸く治めるように」
とりあえず、そういうことになった。
その頃、アメリカはいらだっていた。
アメリカはすでに、イギリスをしのぐ世界一の超軍事大国になっていた。
が、太平洋の権益を争っている日本も、いつの間にか世界第三位の軍事大国になっている。その日本が、今でも中国で増長し続けているのがおもしろいはずがなかった。
大統領フーバーは考えた。
「もはや日本の脅威は東洋だけのものではない。世界の脅威だ。なんとかして日本の膨張を食い止める策はないものか?」
国務長官スチムソン(スティムソン)が提案した。
「経済制裁してはいかがですか?」
対立しているとはいえ、日本にとってアメリカは世界第一の貿易相手国である。特に石油や鉄などの資源は、七、八割方、アメリカに依存していた。
が、フーバーは渋った。
「もう少し様子を見よう」
お得意様を失ってしまうのもまた、おもしろくないのであった。