3.悪の枢軸〜 日独伊防共協定 | ||||||||||||||
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国際連盟脱退によって、ワルは孤立した。
「こうなったのも、みんな蒋介石のせいだ」
日本は中国に逆恨みした。
盧溝橋事件を起こし、日中戦争をおっ始め、南京大虐殺をしでかしてやった。これ以上ない集団的ヤケクソであった。
世界はますます日本を見放した。
でも、捨てる神あれば、拾う神もいた。
仲間がいたのである。
仲間はドイツといった。
ドイツは第一次世界大戦で敗れたもののぶり返し、いつの間にか大国になっていた。
そのドイツもまた、日本の後を追うように、同じ年に国際連盟を脱退していた。
ボスはヒトラーといった。
国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスの党首であった。
とっても弁舌鮮やかな、頼もしそうなワルであった。
昭和十一年(1936)十一月、日本はドイツと日独防共協定を結んだ。
「共に共産主義拡大を阻止しよう」
つまり仮想敵国は、スターリン率いるソ連であった。
ドイツには、ダチがいた。
ファシスタ党党首・ムッソリーニ率いるイタリアであった。
イタリアもまたワルであった。勝手にエチオピアを併合するなどして喜んでいた。
昭和十二年(1937)十一月、日本はイタリアとも防共協定を結んだ。日独伊防共協定の成立である。
この年、イタリアも国際連盟から脱退、三国はますます仲間意識を高めあった。
この三国を中心とした勢力を、枢軸国という。
昭和十四年(1939)一月、元右翼国本社(こくほんしゃ)会長・平沼騏一郎が組閣した。
その直後、ドイツから縁談がきた。
「三国防共協定を三国軍事同盟に発展させてはどうか?」
つまり、よりキズナを深め、敵はソ連だけに限らないことに変更しようというのである。
「それはいい」
陸相・板垣征四郎以下、陸軍に文句はなかった。
明治以来、陸軍はドイツを師として発展してきた軍隊である。師の申し出を断るはずがなかった。
賛成する理由はほかにもあった。
(支那事変が長引いているのは、蒋介石がイギリスの援助を受けているからだ。ドイツにイギリスをたたいてもらえれば、間違いなく中国はくたばる!)
ところが、海軍が反発した。
海軍は陸軍とは違い、イギリスを師として発展してきた軍隊である。
海相・米内光政は念を押した。
「と、いうことは、アメリカやイギリスと戦う可能性も生まれてくるということかね?」
「当然のことだ」
米内は反発した。
「帝国海軍は米英相手に戦うようにできていない! 世界第一位、第二位の強力海軍相手に、日本だけでどう戦うというのだ!」
「何を言う。ドイツ・イタリア海軍も味方ではないか」
「足しても日本に及ばぬ独伊海軍など、到底問題にならない!」
海軍次官・山本五十六(やまもといそろく)も、米内とともに反対した。
連日、ドイツと結ぶか否かで閣議が開かれた。
が、陸軍と海軍は妥協せず、結論が出ることはなかった。
その頃、アメリカでは大統領と国務長官が密談していた。
1933年に大統領はルーズベルトに、国務長官はハルに代わっている。
「日本では、ドイツと同盟するか否かでもめているそうだな」
「そのようですな」
ルーズベルトは唇をかみしめた。
「デビルとサタンを結ばせるな」
ハルが提案した。
「圧力をかけてはどうですか?」
「経済制裁か?」
「まず、いつでもそれが発動できるよう、現通商条約の廃棄を」
七月、アメリカは日米通商航海条約廃棄通告をしてきた。
「三国同盟を結んでみろ。本当に経済制裁するぞっ」
いよいよアメリカが本格的に脅しをかけてきたのである。
米内は板垣を責めた。
「そらみろ!
アメリカ様はお怒りだ!」
「うるさい! アメリカに『様』を付けるな!」
ドイツのヒトラーもまた、イライラしていた。
「いったい日本は同盟するのかしないのか?」
すでに五月にイタリアとは同盟を結んでいたドイツは、日本の態度に業を煮やしたのか、八月、あろうことか敵であるはずのソ連と不可侵条約を結んでしまった(独ソ不可侵条約)。
「なんてこった。ソ連は敵ではなかったのか」
日本は絶句した。
ヒトラーの目的は、ポーランドを併合するための一時的なものだったのであるが、平沼はどうしていいか分からなくなり、八月二十八日、
「欧州の情勢は複雑怪奇」
と声明を発し、内閣を総辞職させてしまった。