3.悪の枢軸〜 日独伊防共協定

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経済制裁の効果
1.ワル動く 〜 満州事変
2.ワル孤立 〜 国際連盟脱退
3.悪の枢軸 〜 日独伊防共協定
4.枢軸強化 〜 日独伊三国同盟
5.経済封鎖 〜 ABCD包囲陣
6.ワル暴発 〜 日米開戦へ
  

 国際連盟脱退によって、ワルは孤立した。
「こうなったのも、みんな蒋介石のせいだ」
 日本中国に逆恨みした。
 盧溝橋事件を起こし、日中戦争をおっ始め、南京大虐殺をしでかしてやった。これ以上ない集団的ヤケクソであった。

 世界はますます日本を見放した。
 でも、捨てる神あれば、拾う神もいた。
 仲間がいたのである。

 仲間はドイツといった。
 ドイツは第一次世界大戦で敗れたもののぶり返し、いつの間にか大国になっていた。
 そのドイツもまた、日本の後を追うように、同じ年に国際連盟を脱退していた。

 ボスはヒトラーといった。
 国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスの党首であった。
 とっても弁舌鮮やかな、頼もしそうなワルであった。

 昭和十一年(1936)十一月、日本はドイツと日独防共協定を結んだ。
「共に共産主義拡大を阻止しよう」
 つまり仮想敵国は、スターリン率いるソ連であった。

 ドイツには、ダチがいた。
 ファシスタ党党首・ムッソリーニ率いるイタリアであった。
 イタリアもまたワルであった。勝手にエチオピアを併合するなどして喜んでいた。
 昭和十二年(1937)十一月、日本はイタリアとも防共協定を結んだ。日独伊防共協定の成立である。
 この年、イタリアも国際連盟から脱退、三国はますます仲間意識を高めあった。
 この三国を中心とした勢力を、枢軸国という。

 昭和十四年(1939)一月、元右翼国本社(こくほんしゃ)会長・平沼騏一郎が組閣した。
 その直後、ドイツから縁談がきた。
三国防共協定三国軍事同盟に発展させてはどうか?」
 つまり、よりキズナを深め、敵はソ連だけに限らないことに変更しようというのである。
「それはいい」
 陸相・板垣征四郎以下、陸軍に文句はなかった。
 明治以来、陸軍はドイツを師として発展してきた軍隊である。師の申し出を断るはずがなかった。
 賛成する理由はほかにもあった。
(支那事変が長引いているのは、蒋介石がイギリスの援助を受けているからだ。ドイツにイギリスをたたいてもらえれば、間違いなく中国はくたばる!)

 ところが、海軍が反発した。
 海軍は陸軍とは違い、イギリスを師として発展してきた軍隊である。
 海相・米内光政は念を押した。
「と、いうことは、アメリカやイギリスと戦う可能性も生まれてくるということかね?」
「当然のことだ」
 米内は反発した。
「帝国海軍は米英相手に戦うようにできていない! 世界第一位、第二位の強力海軍相手に、日本だけでどう戦うというのだ!」
「何を言う。ドイツ・イタリア海軍も味方ではないか」
「足しても日本に及ばぬ独伊海軍など、到底問題にならない!」
 海軍次官・山本五十六
(やまもといそろく)も、米内とともに反対した。

 連日、ドイツと結ぶか否かで閣議が開かれた。
 が、陸軍と海軍は妥協せず、結論が出ることはなかった。

 その頃、アメリカでは大統領と国務長官が密談していた。
 1933年に大統領はルーズベルトに、国務長官はハルに代わっている。
日本では、ドイツと同盟するか否かでもめているそうだな」
「そのようですな」
 ルーズベルトは唇をかみしめた。
「デビルとサタンを結ばせるな」
 ハルが提案した。
「圧力をかけてはどうですか?」
「経済制裁か?」
「まず、いつでもそれが発動できるよう、現通商条約の廃棄を」

 七月、アメリカは日米通商航海条約廃棄通告をしてきた。
三国同盟を結んでみろ。本当に経済制裁するぞっ」
 いよいよアメリカが本格的に脅しをかけてきたのである。
 米内は板垣を責めた。
「そらみろ! アメリカ様はお怒りだ!」
「うるさい! アメリカに『様』を付けるな!」

 ドイツのヒトラーもまた、イライラしていた。
「いったい日本は同盟するのかしないのか?」
 すでに五月にイタリアとは同盟を結んでいたドイツは、日本の態度に業を煮やしたのか、八月、あろうことか敵であるはずのソ連と不可侵条約を結んでしまった
(独ソ不可侵条約)

「なんてこった。ソ連は敵ではなかったのか」
 日本は絶句した。
 ヒトラーの目的は、ポーランドを併合するための一時的なものだったのであるが、平沼はどうしていいか分からなくなり、八月二十八日、
「欧州の情勢は複雑怪奇」
 と声明を発し、内閣を総辞職させてしまった。

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