4.枢軸強化〜日独伊三国同盟 | ||||||||||||||
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昭和十四年(1939)八月三十日、元陸軍次官・阿部信行が組閣。
その二日後の九月一日、ヒトラー率いるドイツ軍がポーランドに電撃侵攻した。
三日、ポーランドと結んでいたイギリスとフランスがドイツに宣戦布告、ここに第二次世界大戦が始まったわけである。
四日、阿部は欧州戦争に不介入を表明、日中戦争の収拾に専念すると声明した。
「別にドイツと同盟を結んでいるわけでもないしー」
その頃の陸軍は、三国同盟の失敗や、ノモンハン事件の大敗北によってしょげていた。
したがって、
「三国同盟を!」
の声は、しばらくなりを潜めていた。
初め外相は阿部が兼任していたが、途中で親米派の独眼竜・野村吉三郎(のむらきちさぶろう)に代わった。
「野村に冷え切った日米間を暖めてもらおう」
野村はアメリカ駐日大使・グルーに求めた。
「通商条約を廃棄するのなら、新たな条約を結びましょう」
グルーは親日派だった。
「分かりました。本国と交渉してみましょう」
が、ルーズベルトはつれなかった。
「日本は中国で暴れるためにアメリカから資源を得ようとしているのだ。日本の悪行には、アメリカは加担しない」
昭和十五年(1940)一月、阿部内閣は倒閣、続いて海相・米内光政が首相を兼ねて組閣した。
「はい。海軍による親英米派政権が誕生しました! アメリカ様、以後は仲良くしてください」
「それがどうした。仲良くしたければ、中国をいじめるなっ」
日本は困った。
そこへ欧州から、ドイツ快進撃の報告が次々と飛び込んできた。
「ドイツ、ポーランドの首都ワルシャワを占領しました!」
「デンマークとノルウェーがドイツに降伏!」
「オランダ・ベルギーも降伏!」
「ダンケルクのイギリス軍撤退!」
「フランスのパリ陥落! フランスも降伏!」
日本は動揺した。
「おい。ドイツはめちゃくちゃ強いじゃないか」
「これで西ヨーロッパは、ドイツとイタリアに席巻(せっけん)されたわけだ」
「やっぱりドイツと結んでおいたほうがよかったんじゃないか?」
「今からでも遅くはない。やるのだ!」
「バスに乗り遅れるな!」
陸軍は動いた。
陸相・畑俊六(はたしゅんろく)が単独辞職したのである。
米内は陸軍に求めた。
「おい。辞職するのなら後任を出してくれ」
「嫌だね。ドイツと同盟を結ぶというなら出すけど」
「結ばないって!」
「それなら出すもんか!」
陸軍はあくまで後任を出さなかった。閣僚がそろわなければ、内閣は成立しない。七月十六日、米内内閣は総辞職に追い込まれた。
●近衛内閣(第二次)政軍部首脳 |
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役職名 | 氏 名 | 備 考 |
総理・農林 | 近衛文麿 | 貴院議員・公爵 |
外務・拓務 | 松岡洋右 | |
内務・厚生 | 安井英二 | |
大 蔵 | 河田 烈 | 貴院議員 |
陸 軍 | 東条英機 | 陸軍中将 |
海 軍 | 吉田善吾 | 海軍中将 |
法 務 | 風見 章 | 衆院議員 |
文 部 | 橋田邦彦 | |
商 工 | 小林一三 | |
鉄道・逓信 | 村田省蔵 | |
参謀総長 | 載仁親王 | 陸軍大将・元帥 |
教育総監 | 山田乙三 | 陸軍大将 |
軍令部総長 | 博恭王 | 海軍大将・元帥 |
連合艦隊司令長官 | 山本五十六 | 海軍大将 |
枢密院議長 | 原 嘉道 | |
内大臣 | 木戸幸一 |
七月二十二日、新内閣が誕生した。
組閣したのは、半永久的天下一族藤原氏直系の御曹司・近衛文麿。
文麿は、本来は「あやまろ」と読むが、政治家なのに「あやまろー」ではシャレになってしまうので「ふみまろ」に変えたのであろう。近衛はすでに林内閣の後に一度組閣しているので、第二次近衛内閣である。
近衛は国民精神総動員運動や新体制運動を唱えていた。
「いまだ蒋介石が降伏しないのは、国民が一つになっていないからだ。国内がバラバラでは、なすべきこともなせるはずがない! ナチスを見習え! 今こそ全国民が一丸となって敵に対するのだ!」
この呼びかけにより、各政党は解党して大政翼賛会となり、労働組合や労働団体も解散して大日本産業報告会になるのである。
そして、数々の過激なスローガンが生まれ、街をにぎわすようになった。
「一億一心!」
「八紘一宇(はっこういちう)!」
「大東亜共栄圏!」
「月月火水木金金!」
「ぜいたくは敵だ!」
日本の動きはすぐにアメリカに伝えられた。
「日本ではヨナイ内閣が倒れ、第二次コノエ内閣が成立しました」
「あの日本人のくせに長身の総理だな」
ルーズベルトは苦笑した。
ハルは付け足した。
「それから、またドイツ・イタリアとの同盟話が持ち上がっております」
「景気のいいドイツに乗じようというのであろう。もう我慢できぬ! 段階的に制裁を加えろ!」
「了解」
七月末、アメリカは日本に対し、石油・鉄の輸出を許可制にすることと、航空用ガソリンの輸出を禁止することを通知してきた。
海軍は動揺した。
「とうとう制裁が始まった。陸軍がまた同盟話を持ち出したからだ」
雄弁な二人、陸相・東条英機と外相・松岡洋右が海軍の説得に当たった。
「ドイツと結ぶことは海軍にとってもいいことだ。アジアにはドイツに降伏したフランス・オランダなどの植民地が多くある。持ち主不在の土地がゴロゴロ転がっているんだ!
イギリスも敗れれば、それらはもっと増えるだろう。侵略し放題じゃないか!
石油や鉄など資源はそこからタダでむさぼればいい。何もアメリカに高いカネを払って買うことはない!」
「ドイツはソ連とも結びました。この際、我々もソ連と結び、南へ向かうべきでしょう!」
「それもそうだな」
海軍内にも、元海相・永野修身(ながのおさみ)ら同盟容認派が現れ始めた。
海相・吉田善吾(よしだぜんご)も容認した。
「ドイツと結んでイギリスと戦うことは問題ないだろう」
でも、悩んでいたのか体調を崩して辞任してしまった。後任は及川古志郎(おいかわこしろう)。
米内は念を押した。
「ドイツとの同盟はやむをえないが、アメリカと戦うことはどうしても避けなければならない」
条約調印を控えて、現人神(あらひとがみ)・昭和天皇は内大臣・木戸幸一(きどこういち)にもらした。
「今度の同盟は日英同盟のときのようにただ喜ぶだけのものではないね。情勢の推移によって重大な危局に直面すると思うから、神に祈ってくる」
昭和十五年(1940)九月二十二日、日本軍は援蒋ルートの遮断と軍事拠点確保のため、北部仏印進駐を行った。
ついに禁断の南進政策が開始されたわけである。
二十七日、ドイツに渡った松岡は、駐独大使・来栖三郎(くるすさぶろう)とともに日独伊三国同盟条約に調印した。
その内容は、以下のとおり。
第一条 日本は欧州での独伊による新秩序建設を認め、尊重する。
第二条 独伊は東アジアでの日本による新秩序建設を認め、尊重する。
第三条 三国は他国から攻撃を受けたときに相互援助しあう。
第四条 この条約実施のため、混合専門委員会を開く。
第五条 ソ連との関係は、現状維持を確認する。
第六条 条約の有効期限は十年とする。
翌昭和十六年(1941)四月、松岡はソ連に向かい、首都モスクワで最高実力者スターリン及び首相兼外相モロトフと会談、日ソ中立条約を調印した。
スターリンは上機嫌で駅まで彼を見送り、抱擁した。
「心の友よ!」
松岡はとろけた。
「これで日本は安心して南進できる!」
彼には勝算があった。
(いくらアメリカが最強とはいえ、日本・ドイツ・イタリア・ソ連四大国を敵に回して勝てるわけがない。必ず譲歩してくるはずだ。近いうちに経済制裁は解除され、中国のことも口出ししなくなるはずだ)
が、アメリカはそんなに甘くはなかった。
日本に対して鉄の輸出禁止に踏み切り、中国に対しては二千五百万ドルの借款供与を約束してきたのである。
また、ノックス海軍長官に命じて太平洋艦隊を増強、ハワイに艦隊を集結させ、日本在住のアメリカ人に対し、引き上げを勧告した。
ドイツのイギリス攻撃が芳しくないのを見て、ルーズベルトは確信していたのであろう。
「ドイツが強いのは陸軍だけだ。それももう息切れしている。まもなくイギリスは巻き返すであろう」