6.ワル暴発〜 日米開戦へ

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経済制裁の効果
1.ワル動く 〜 満州事変
2.ワル孤立 〜 国際連盟脱退
3.悪の枢軸 〜 日独伊防共協定
4.枢軸強化 〜 日独伊三国同盟
5.経済封鎖 〜 ABCD包囲陣
6.ワル暴発 〜 日米開戦へ
  

 アメリカにアブラを止められて以来、日本はイライラしていた。
 軍令部総長・永野修身は、とうとう開戦を主張した。
「石油の在庫はあと二年! 日米開戦になれば、一年半で消耗する! このままでは戦わずして死んでいくだけだ! 腹が減っては戦ができぬ! 飢え死にする前に、打って出るべきだ!」
 が、その一方で永野は、
三国同盟から離脱しても、日米交渉を成功させてアメリカから石油を獲得すべきである」
 と、弱気な発言もしている。
 この両方が、当時の政府上層部の心境を代弁しているものであろう。
 連合艦隊司令長官・山本五十六も言った。
「艦船・飛行機の数だけ見れば日米は匹敵しているが、工業力・資源においては全く問題ならない。アメリカとは絶対に戦うべきではない」

 近衛文麿は困り果てた。
「どうしてこんなことになったんだ……。南部仏印まではアメリカは怒らないはずだったのに……」 
 近衛は考えた。
「こうなったら、ルーズベルトとサシで話すしかない」
 近衛東条英機と海相・及川古志郎に相談した。
「それがよろしいかと」
 及川は賛成したが、東条は冷ややかだった。
ルーズベルトが聞いてくれるはずがない。もはやアメリカとは、話し合いで解決できる状態ではない。燃料が尽きる前に、即時日米決戦を!」
 それでも近衛は、グルー大使を通じてアメリカ本国に掛け合ってみた。

 が、東条の言うとおりであった。
 ルーズベルトはもう、会ってもくれなかった。
日本軍が中国及び仏印から完全撤退したとなれば、話は別だが」
 到底不可能な条件を突き返してきたのである。
「だめか……」
 近衛は失望した。
 東条は言い張った。
「こうなったらくたばる前にやるしかない! アメリカを討つべし!」
 十月十六日、近衛は内閣を投げ出した。

「次は誰が組閣するのか?」
 東条東久邇宮稔彦王を推した。
「皇族内閣のほうが、直接陛下のお声が反映されます」
「そうですか〜」
 東久邇宮は乗り気だったが、木戸幸一は考えた。
(東条は皇室に開戦の責任を押し付けようとしている……。「錦の御旗」を掲げようとしている……)
 木戸は東条の真意を見抜き、逆に、
「いや。東条陸相のほうが最適であろう」
 と、推薦したのである。
 昭和天皇東条の性格は知っている。彼に組閣させるということはどういうことなのか覚悟したのであろう。
「いわゆる『虎穴に入ずんば虎子を得ず』ということだね」

東条内閣発足時の政軍部首脳 
(1941.10当時)

役職名 氏 名  備 考
首相・内相・陸相 東条英機 陸軍大将
外相・拓務相 東郷茂徳
蔵 相 賀屋興宣 貴院議員
海 相 嶋田繁太郎 海軍大将
法 相 岩村通世
文 相 橋田邦彦
農林相 井野碩哉
商工相 岸 信介
鉄道相・逓信相 寺島 健 海軍中将
厚 相 小泉親彦 陸軍軍医中将
参謀総長 杉山 元 陸軍大将
教育総監 山田乙三 陸軍大将
軍令部総長 永野修身 海軍大将
連合艦隊司令長官 山本五十六 海軍大将
枢密院議長 原 嘉道
内大臣 木戸幸一

 十月十八日、東条英機は陸相のまま首相を兼任、ここに東条内閣が成立した。
 十一月五日の御前会議で最終的な「帝国国策遂行要領」が決定した。
 その内容は下記のとおり。

 、帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完(まっと)うし大東亜の新秩序を建設するため、この際対米英蘭戦争を決意し、左記(ここでは下記)措置を採る。
  (一) 武力の発動の時機を十二月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す。
  (二) 対米交渉は別紙要領によりこれを行う。
  (三) 独伊との提携強化を図る。
  (四) 武力発動の直前泰
(タイ)との間に軍事的緊密関係を樹立す。
 二、対米交渉が十二月一日午前零時についに成功せば、武力発動を中止す。

 開戦近し―。
 日本の動きを察知したアメリカは、最後通牒
(つうちょう)を突き付けてきた。
 いわゆるハル・ノートである。
 それには下記のような要求が記されていた。

   日本の全軍隊及び警察は、中国及び仏印から完全撤退すること。
  ○ 日独伊三国同盟を廃棄すること。
  ○ 中国に存在する蒋介石以外のすべての政権を否認すること。
  ○ 中国を満州事変以前の状態に戻すこと。

  ハルが改め見てつぶやいた。
「これでは日本は暴発してしまいますよ」
 ルーズベルトが笑って聞いた。
「それが目的ではないのか?」
「まあ、そうですが」
「戦争は手を出したほうが悪だ。先に仕掛けさせて日本をワルモノにするのだ! そうすれば日本は大バッシングを受けるであろう! そして我が軍は復讐
(ふくしゅう)のファイヤーと化し、大いに士気が上がるであろう!」
 ハルは笑った。愉快そうに笑った。
「閣下はワルですな。相当な悪ですな」
「ワル? 悪? ふん。それらは敗者の呼称であって、勝者の呼称ではない! ジャスティス! それこそが勝者の呼称だ! 日本が何人中国人を殺そうが、ドイツが何人ユダヤ人を殺そうが、戦争に勝っているうちはもみ消すことができるし、責められることもない。負けて初めてそれらは表面化し、悪行呼ばわりされるのだ! アメリカは勝つ! どうしても勝つ! 絶対に日本などには負けぬっ! 負けてたまるか! やれ!やるのだ! やってしまえっ! 日本全土を灰燼
(かいじん)にしろ! 容赦なく虐殺も行え! 遠慮なく核兵器も使ってしまえ! そんなような小さなことどもは、戦争に負けさえしなければ、永久に非難されることはないのだっ!」
 ルーズベルトはまくし立てた。
 ハルはしみじみと言った。
「フッフ。閣下の悪どさに比べれば、日本なんてかわいいものですよ」

 十二月八日、日本は暴発した。
 マレー半島上陸真珠湾攻撃によって、太平洋戦争が始まったのである
(「攻撃味」「軍艦味」「放火味」参照)

 真珠湾壊滅の報告を聞いて、イギリスの首相・チャーチルは喜んだという。 
「我々は勝った! よし、日本に宣戦布告しろ!」

[2005年2月末日執筆]
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