★ 山紫水明!風光明媚!十津川で何があったのか? 〜 豊臣秀長養子・大和中納言豊臣秀保横死の真相!? |
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世は「仙谷(せんごく)時代」である。
仙谷由人(よしと)官房長官は、
「おちょくるな」
と、否定しているが、マスコミも世間も現政権(菅直人内閣)は仙谷が仕切っていると信じてしまっている。
思えば前の鳩山由紀夫(はとやまゆきお)内閣でもそうであった。
明らかに菅直人(かんなおと)副総理兼国家戦略相よりも、仙谷行政刷新相のほうが存在感が大きかった。
どうして仙谷は頭角を現すようになったのか?
やはり、民主党政権唯一の善政とされる「事業仕分け」がその名を高めたのであろう。
「事業仕分け第一弾は各省庁のムダを無くします」
「事業仕分け第二弾は独立行政法人のムダを」
「事業仕分け第三弾は、特別会計に切り込みます」
ところが、この事業仕分けも、このところケチを付けられ始めた。
「なんだ。目標削減額に全然届かないじゃないか」
「あれ?廃止されたはずの事業がいつの間にやら復活しているぞ」
「単なる政治パフォーマンスじゃないのか?」
加えて先月(平成二十二年(2010)十月)の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件(「尖閣味」参照)での「柳腰外交」も問題になった。
「影の総理」
「健忘長官(大臣)」
「赤い官房長官」
マスコミでの仙谷の呼び名は多くある。
赤いというのは思想的なことより、中国に対する「弱腰」を責めているのであろう。
彼の経歴からして「左向き」なのは衝突事件前からも言われていた。
どんな人の中にも、多かれ少なかれ「右」と「左」を持ち備えているものであろう。
当然、仙谷の中にもそれがあった。「左」といわれながら、なぜか衝突事件の際には「右」が出てしまったのである。
「よし。売られたケンカは買ってやろうか」
船長の起訴を目指したのは検察であろうが、当初は仙谷もこれに同調していたことは確かである。
しかし、これがいけなかった。
この場合は「左」でよかったのである。
それを「右」に切り替えたのであれば、徹底的に「右」で通すべきであった。
そうである。
この中途半端さが、せっかく築き上げた勇名を再び転落させてしまったのであろう。
先月終わり、事業仕分け第三弾が行われた。
「(事業仕分けは)ピント外れだ。最も効果が出るところを通り過ごしている(渡辺喜美みんなの党代表)」
「仕分け人として民主党議員が参加することは法制上の問題がある(自民党ほか野党)」
成果はともかく、中途半端にだけは終わらせてほしくないものである。
はい。というわけで、今回は仙谷時代=戦国時代ということで、戦国時代末期(安土桃山時代ですが)の武将を取り上げます。
豊臣秀保(とよとみひでやす。羽柴秀保)――。
御存知ありませんかね?
なくても今から出てきますので。ではでは。
[2010年10月末日執筆]
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