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豊臣秀保 PROFILE | |
【生没年】 | 1579-1595or1594 |
【別 名】 | 羽柴秀保・辰千代・羽柴秀俊 大和中納言・郡山中納言 |
【出 身】 | 尾張国(愛知県) |
【本 拠】 | 大和郡山城(奈良県大和郡山市) |
【職 業】 | 武将・大名・公卿 |
【役 職】 | 参議→権中納言 |
【位 階】 | 従四位下→従三位 |
【 父 】 | 三好吉房 |
【 母 】 | 瑞竜院日秀(とも・智子) |
【養 父】 | 豊臣(羽柴)秀長 |
【お じ】 | 豊臣秀吉) |
【 妻 】 | 豊臣きく(秀長の娘) |
【 兄 】 | 豊臣秀次・秀勝 |
【従兄弟】 | 豊臣秀頼ら |
【 子 】 | ナシ |
【部 下】 | 桑山重晴・藤堂高虎ら |
【没 地】 | 大和国十津川(奈良県十津川村) |
オレ、豊臣秀保。
幼名、辰千代(たつちよ)。別名、秀俊(ひでとし)。通称、大和中納言(ちゅうなごん。郡山中納言)。
知らないって?
そうだろうな。オレって豊臣家中では影うすだからな(「豊臣氏系図」参照)。
父は三好吉房(みよしよしふさ。一路・常閑)。
もとは名もなき農民であったが、ある有名人の姉と結婚したことによって大出世、尾張犬山(いぬやま。愛知県犬山市)城主や尾張清洲(きよす。清須。愛知県清須市)城主になった。
ある有名人の姉というのが母・とも(智子・瑞竜院日秀)。
叔父・豊臣秀吉の実姉で、父に嫁して秀次(ひでつぐ)、秀勝(ひでかつ)、そしてオレの三男を生んだ。
長兄は関白豊臣秀次。
彼は有名なので御存知であろう。
叔父・秀吉の養子になり、天正十九年(1591)に叔父の後継者として関白職を譲られるが、従兄弟(叔父の実子)の秀頼が生まれちゃったため失脚、高野山(和歌山県)に追放されて自殺してしまった。享年二十八。
次兄は丹波中納言・豊臣秀勝(羽柴秀勝)。
これも叔父の養子になり、早世した同名の羽柴秀勝(秀吉養子。織田信長の四男)が治めていた丹波亀山(かめやま。京都府亀岡市)城主に就任、越前敦賀(つるが。福井県敦賀市)城主・甲斐甲府(こうふ。山梨県甲府市)城主を経て、美濃岐阜(ぎふ。岐阜県岐阜市)城主になるが、文禄元年(1592)に朝鮮半島に出陣し、唐島(韓国・慶尚南道巨済島)で病死してしまった。享年二十四(異説あり)。
このようにオレの兄は二人とも早世であったが、オレはもっと早世であった。
享年十七!
どうしてそんな若死になのかって?
これには深いわけがあったのである。