1.影うす

ホーム>バックナンバー2010>1.影うす

★ 仙谷時代
1.影うす
2.暴君?
3.十津川
豊臣秀保 PROFILE
【生没年】 1579-1595or1594
【別 名】 羽柴秀保・辰千代・羽柴秀俊
大和中納言・郡山中納言
【出 身】 尾張国(愛知県)
【本 拠】 大和郡山城(奈良県大和郡山市)
【職 業】 武将・大名・公卿
【役 職】 参議→権中納言
【位 階】 従四位下→従三位
【 父 】 三好吉房
【 母 】 瑞竜院日秀(とも・智子)
【養 父】 豊臣(羽柴)秀長
【お じ】 豊臣秀吉)
【 妻 】 豊臣きく(秀長の娘)
【 兄 】 豊臣秀次・秀勝
【従兄弟】 豊臣秀頼ら
【 子 】 ナシ
【部 下】 桑山重晴・藤堂高虎ら
【没 地】 大和国十津川(奈良県十津川村)

 オレ、豊臣秀保。
 幼名、辰千代
(たつちよ)。別名、秀俊(ひでとし)。通称、大和中納言(ちゅうなごん。郡山中納言)
 知らないって?
 そうだろうな。オレって豊臣家中では影うすだからな
(「豊臣氏系図」参照)

 父は三好吉房(みよしよしふさ。一路・常閑)
 もとは名もなき農民であったが、ある有名人の姉と結婚したことによって大出世、尾張犬山
(いぬやま。愛知県犬山市)城主や尾張清洲(きよす。清須。愛知県清須市)城主になった。

 ある有名人の姉というのが母・とも(智子・瑞竜院日秀)
 叔父・豊臣秀吉の実姉で、父に嫁して秀次
(ひでつぐ)、秀勝(ひでかつ)、そしてオレの三男を生んだ。

 長兄は関白豊臣秀次。
 彼は有名なので御存知であろう。
 叔父・秀吉の養子になり、天正十九年(1591)に叔父の後継者として関白職を譲られるが、従兄弟
(叔父の実子)秀頼が生まれちゃったため失脚、高野山(和歌山県)に追放されて自殺してしまった。享年二十八。

 次兄は丹波中納言・豊臣秀勝(羽柴秀勝)
 これも叔父の養子になり、早世した同名の羽柴秀勝
(秀吉養子。織田信長の四男)が治めていた丹波亀山(かめやま。京都府亀岡市)城主に就任、越前敦賀(つるが。福井県敦賀市)城主・甲斐甲府(こうふ。山梨県甲府市)城主を経て、美濃岐阜(ぎふ。岐阜県岐阜市)城主になるが、文禄元年(1592)に朝鮮半島に出陣し、唐島(韓国・慶尚南道巨済島)で病死してしまった。享年二十四(異説あり)

 このようにオレの兄は二人とも早世であったが、オレはもっと早世であった。
 享年十七!
 どうしてそんな若死になのかって?
 これには深いわけがあったのである。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system