3.振り返ればアホがいる | ||||||||||||||
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ボクたちの家族も仲間もみんなニンゲンに殺された。
明治十七年(1884)に尖閣諸島を探検し、後に明治政府から開拓許可を得て入植した古賀辰四郎一味によってアホウドリは乱獲され、採算が合わなくなるごく少数に減るまで狩り尽くされた。
「アホウドリ狩りは簡単で、しかももうかるそうな」
明治十九年(1886)には八丈島(はちじょうじま。東京都八丈町)出身の開拓者・玉置半右衛門(たまきはんえもん)が伊豆諸島の鳥島に入植、アホウドリを殺して生計を立てた。
こちらはかなり大掛かりで、島に百数十人の手下を送り込んで毎年十万〜二十万羽のアホウドリを乱獲、十五年間で五百万羽を虐殺し、羽毛を売りまくって巨万の富を築き上げたのだ。
ところが、火山島だった鳥島は明治三十五年(1902)に大噴火、島民百二十五人全員が死亡してしまった。
「アホウドリのたたりだ」
そんなうわさが立っても、東京に移住していた玉置はめげなかった。
「たたりなんてものはない」
噴火が収まってアホウドリが戻ってくると、また手下を送り込んで虐殺を再開したのだった。
しかし、昭和十四年(1939)に鳥島は再噴火、島民全員が離島した。
昭和二十二年(1947)に気象観測所か置かれたものの、昭和四十年(1965)の火山活動によって閉鎖、三度無人島になってしまった。
一方、ボクたちのいた尖閣諸島も太平洋戦争後に無人島になった。
戦後は尖閣諸島でも鳥島でもアホウドリは確認されなくなり、絶滅したものとされた。
しかし、ボクたちの仲間たちは死に絶えていなかった。
尖閣諸島でも鳥島でも、ニンゲンの目を盗んでひそかに生き続けていた。
その後、鳥島ではアホウドリ復興運動が起こり、、現在では二千羽ほどに増えているという。
また、尖閣諸島でも四百羽ほどが生息していると推測されている。
こうしてボクたちの仲間は、今でも島陰から息を殺してニンゲンたちの愚行を眺め続けている。
「尖閣諸島はうちの領土だー!」
「違う!わが国の領土だー!」
「何をー!」
「やるかー!」
ボン!ボン!
ドッカーン!
ボクたちをアホーと名づけた、真のアホーたちの愚行を――。
[2010年9月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 古賀辰四郎も玉置半右衛門もアホウドリから見れば大悪人ですが、人間としては偉大な開拓者です。