2.説得!大内義弘!! | ||||||||||||||
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康応元年・元中六年(1389)三月十一日、足利義満・細川頼之らは、安芸の厳島神社に参詣した。
ここに周防山口(山口県山口市)から大内義弘がやって来て出迎えた。
「将軍さま。遠路はるばる御苦労様です」
義弘は周防・長門・豊前三か国の守護、一族合わせて四か国を領する守護大名である。この領国数は斯波派では山名氏に次ぐ太守であった。
三月十三日、義弘は義満らを周防国府(山口県防府市)に招待した。
「ここは私の本拠です。どうぞおくつろぎを」
義弘はたくさんの美少年を連れてきて、義満を襲わせてもてなした。
「将軍さま、お覚悟ー!」
「おおっ、これはこれは」
義満は相当な男色家で、能楽師・世阿弥元清や、近江守護・六角満高(みつたか)らもエジキにしている。
頼之は、せっかくの美少年たちを追っ払ってから、代わりにオヤジむさい今川了俊を連れてきて義弘に尋ねた。
「大内殿。お久しぶりです」
「そういえば、この了俊と大内殿は九州の南朝軍征討で一緒だったとか?」
了俊を九州探題に推挙したのは頼之である。義弘は斯波派であるが、細川派である了俊の下で戦っていた。
「ええ。あの折はお世話になりました。了俊殿の采配(さいはい)は実に見事で南朝軍はタジタジでした。この御仁は、とても敵には回したくありませんな」
「だったら味方になればいいじゃないですか〜」
「……」
黙ってしまった義弘に、頼之はひざを進めた。
「近いうちに将軍さまは山名を討伐なさる御予定です」
義弘は引きつったが、義満はもっとびっくりした。
「余はそんなことは何も言っておらぬぞ!そちらの希望を余の希望にするでない!余は将軍じゃ。絶対に勝てるという確信が持てなければ、動くわけにはいかぬ」
義弘も聞いた。
「山名氏の領国は十一か国、世に『六分一殿(ろくぶんのいちどの)』と呼ばれている超太守です。その軍勢は数万は下らないでしょう。奉公衆と我々ザコどもの軍勢を合わせたところで、ウンカのような山名の大軍勢を上回ることはできません。しかも敵は山名だけではありません。たとえ私が細川派に回ったとしても、土岐・渋川・京極らは山名に加勢するはずです。それなのに斯波派に勝てるというのですか?何か秘策でもあるのですか?」
頼之は不敵な笑みを見せると、碁石を盤上にぶちまけて語った。
「確かに六分の一は脅威です。しかし、六分の一というものは、二つに割れば十二分の一になるのです」
頼之は散らばった碁石を二つの山に分けて見せた。
「ほう」
頼之は二つの山を合わせ直して見せた。
「で、その後で、この十二分の一同士を対決させる。そうすれば、我々は一兵も動かすこともなく、山名は自滅することになります」
頼之は碁石を片付けた。盤上には一つも碁石はなくなってしまった。
「わはははは!」
義弘は笑った。大笑いした。そして、真顔に戻って、頭を低くして約束した。
「将軍さま。細川殿。了俊殿。西海に大内周防介義弘あること、どうぞお忘れなく」
義満一行はその後九州へ渡ろうとしたが風が強すぎて果たせず、三月二十六日に帰京した。