3.決行→決着 〜 標的襲撃 | ||||||||||||||
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正応三年(1290)三月四、五日の頃である。
内裏紫宸殿(ししんでん・ししいでん。天皇公邸)の蚊帳(かや)の両脇(りょうわき)に魔よけとして置いてある狛犬(こまいぬ)と獅子(しし)が、自然に割れるという怪事が起こった。
「どういうことだ?」
気味悪がった伏見天皇が占わせてみると、
「何か分かりませんが、近々、宮中で血が流れまする」
と、いうことであった。
伏見天皇はますます気味悪がった。
「いったい何が起こるというのだ?」
三月九日夜。
夜更けにもかかわらず、宮中で起きている少女があった。
灯台(とうだい。室内照明具)の油を継ぎ足しに回っている女嬬(にょじゅ。下級女官。掃除・雑用係)である。
女嬬は一通り油を継ぎ足し終えると、
「ふあああ」
背伸びをして塀にもたれてうとうとし始めた。
ドドドド。
何やら地鳴りのようなものが聞こえてきた。
「ひひーん!
ひんひん!」
馬のいななきも聞こえてきた。
武徳殿(ぶとくでん。大内裏西方にある殿舎。騎射競技天皇観戦室)のほうであろうか?
(誰?
こんな夜更けに馬なんか乗り回しているのは……)
今も昔も暴走族みたいのがいるのである。
女嬬が気にしないでいると、
ドドドド!
「ひーん! ひーん!」
地鳴りもいななきも近くなった。
女嬬は目を開いた。
目の前に赤鬼がいた。
闇夜(やみよ)を貫くその巨体、真っ赤な鎧兜(よろいかぶと)を身に付け、目をランランと輝かせ、憤怒(ふんぬ)の形相で馬にまたがるその異形は、まさしく赤鬼にそのものであった。
「ひっ!
ひっ!」
女嬬は後ずさりした。叫ぼうにも声にならず、逃げようにも腰が上がらない。
赤鬼は一人ではなかった。
子鬼まで連れていた。それも二人も連れていた。
女嬬はおびえまくった。
「た、助けて……」
はってでも逃げようとした女嬬の襟元(えりもと)を、赤鬼がつまみ上げて聞いた。
「わしは太政大臣源為頼だ。帝はどこにいる?」
「あう!
あう!」
女嬬はバタバタしながら指を差すが、どっちを指しているのか分からない。やっとことで彼女はまともなことをしゃべった。
「よ、夜の御殿(よるのおとど。天皇寝室)にぃ〜」
夜の御殿は清涼殿(せいりょうでん。天皇私邸)内にある。
が、為頼がその場所を知るはずもなかった。
「どこだそれは?」
「清涼殿の中にあるんですぅ〜。清涼殿は紫宸殿の北東にあるんですぅ〜」
ウソであった。
本当は清涼殿は紫宸殿の北西にあるが、女嬬はおびえながらも逆の場所を教えたのであった。
「そうか」
為頼は女嬬を放り捨てると、光頼と為継を引き連れて紫宸殿の北東に向かった。
女嬬は必死ではった。
人間に捕まりかけかけたが逃げ切ったゴキブリのように、懸命にはい走った。
そして房(へや)に戻るなり、寝ている上司たちをバシンバシンたたき起こした。
「起きて!
起きて! 鬼が出たのよ! 鬼がっ!」
「痛いなー、何なのよ?」
「もっと優しく起しなさいよ!」
「早く帝と中宮にお伝えして! 鬼が宮中に乱入したのよ! 今、紫宸殿の北東に行ったわ! 早く早くっ!」
びっくりした権大納言典侍(ごんだいなごんのすけ)、新内侍(しんのないし)らが中宮(ちゅうぐう。皇后)・西園寺ショウ子(さいおんじしょうし。ショウは「金偏に章」。後の永福門院)にお知らせ、ショウ子は夫に知らせるために夜の御殿に突入した。
伏見天皇はショウ子の侵入に気付いた。
「お、何だ?
今晩は積極的だな」
伏見天皇はまんざらでもなさそうであった。
ちなみにこの時、伏見天皇は二十六歳。ショウ子は二十歳。
ショウ子は伏見天皇の手を引っ張って外へ出た。
「どこへ行く?
うん。たまには場所を替えるのもいいものだ」
「宮中に賊が侵入しました。ここは危険です」
ショウ子は自分の着ていた表着(うわぎ)を伏見天皇に着せた。女の振りをさせて逃がそうというのである。
「おい。朕(ちん)にはこんな趣味はないぞ」
伏見天皇は嫌がったが、着たとたん、その気になった。
「わらわ、きれい〜?」
まだ寝ぼけているようであった。
「おバカなこと言ってないで、早くこちらへ!」
伏見天皇とショウ子は対の屋へ避難した後、春日殿(かすがどの。伏見天皇生母・玄輝門院の御所)へ向かった。
また、中宮の方の按察(ちゅうぐうのかたのあぜち)という女官が皇太子胤仁親王を抱いて常盤井殿(ときわいどの。後深草上皇の御所)へ逃げ、新内侍は剣璽(けんじ。宝剣と印璽。皇位の象徴)を、女嬬は玄象(げんじょう。琵琶?)と鈴鹿(すずか。天皇の重宝)を、それぞれ持って避難した。
一方、為頼父子は紫宸殿の北東にある綾綺殿(りょうきでん。宮中宴会場)に乱入、夜の御殿を探すが、そんなものあるはずがない。
為頼らは気付いた。
「あのアマ!
ウソつきやがったな!」
「クソッ!」
「おそらく反対方向だ!」
三人が本当の清涼殿に乱入し、夜の御殿を見つけた時には、すでにみんな逃げ失せた後であった。
「遅かったか!」
ただ、強そうな侍が一人、刀を構えて待ち構えていた。
「中宮の侍長(さぶらいのおさ。護衛長)・景政(かげまさ)というものだ。賊よ。いざ、神妙に勝負せい!」
「こしゃくな! わしは太政大臣源為頼だ!」
「太政大臣だと!?」
チャーン!
ばら! ばら!
為頼と景政が一騎打ちを繰り広げているうちに、二条京極(にじょうきょうごく)の篝屋(かがりや。六波羅探題支所)から備後守(びんごのかみ)以下五十騎余りが到着、格子戸(こうしど)を引きはがして御殿に乱入してきた。
「や、どっちが賊だ?」
「あ、私じゃないっす!」
景政がそそくさと退去すると、備後守らは為頼父子目掛けていっせいに弓を射る。
ヒュン!
ヒュン!
ブサ!
グサ!
「むむむ……!」
矢傷を負った為頼は、
「これまでか……」
と、夜の御殿の寝台に上ると、腹に刀を突き立てた。
「ちゃん!」
「ちゃん!」
光頼と為継がすがりよって泣いた。
為頼は苦しげに言った。
「逃げよ! おまえたちは生きたいのではなかったのか! 悪いことをしてでも、生き続けたいのではなかったのかーっ!
逃げるんだーっ!」
為頼は生き絶えた。享年は不明。
「わー!」
光頼は逃げた。
「おれは生きるんだー!」
為継も逃亡した。
でも、そんなことは備後守たちが許してくれなかった。
「逃げたぞ、追えー!」
「ヤツらは天下に名高い大悪党浅原父子だ!
討ち取って手柄にせーい!」
光頼は紫宸殿に飛び込むと、御帳台(みちょうだい)の中に隠れた。
でも、すぐに見つかってしまった。
「あ、中にいるぞ!」
「引きずり出せ!」
「やっちまえ!」
光頼は観念して自害した。享年は二十歳ぐらいであろう。
為継は大床子(だいしょうじ。食膳机)の下に隠れた。
当然、敵は下から刀や長刀(なぎなた)などで突付いてくる。
「寄るなー!
あっちいけー!」
しばらく抵抗していた為継であったが、ついにあきらめて切腹した。
腹を切っただけではなかなか死ねなかったので、
「うおおおぉぉぉぉー!」
と、すごい勢いで腸を全部引っ張り出すと、それを両手につかんだまま生き絶えた。
享年十九歳。
浅原父子の遺体は六波羅に届けられた。
また、為頼が持っていた太刀が三条実盛の所持品であったので、彼も逮捕された。
人々は不思議がった。
「それにしてもどうして悪党浅原や三条宰相が帝の暗殺などを企んだんだろうか?」
「もしや黒幕がいるのでは?」
「あ、あの方だ。あの方に違いない!」
西園寺公衡(きんひら。実兼の子。ショウ子の兄)は後深草上皇に進言した。
「これは禅林寺殿(ぜんりんじどの。亀山法皇)の仕業に間違いありません! これは御謀反ですぞ! ただちに禅林寺殿を逮捕すべきでしょう!」
驚いた亀山法皇は幕府に誓紙を送信、後深草上皇もこれを荒立てることもなかったので、事なきを得たのであった。
[2005年8月末日執筆]
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