1.言うじゃな〜い、徳兵衛 | ||||||||||||||
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おれおれ。おれだよ。
おれってだれだって?
名を名乗れだって。
おいおい。振り込め(オレオレ)詐欺じゃないぜ。
おれは油屋九平次(あぶらやくへいじ)。
知ってる人は知っている、あの近松門左衛門の『曽根崎心中』に登場する、血も涙もない極悪人さっ。
でも、いくらなんでもあの悪人っぷりは、ちょっとひどすぎるんじゃないか?
だからこうして化けてでてきてやった。言い訳をしに。いやいや、真実を語りに。へへ。びっくりするぜ、おい。
あれは「ある日」のことだった。
おれ、物覚えが悪くてね、はっきりした日時は覚えていない。とにかく、あいつら二人が心中する少し前のある日のことだった。
平野屋のおかみの姪(めい)っ子がおれを訪ねてきたんだ。名前が後世に伝わっていないから、仮にIにしておく。
「おう、久しぶりじゃないか」
おれとIは幼馴染み。小さい頃から二人でよく遊んでいたが、最近、男がやって来て、Iに「売約済」の張り紙を貼っていった。
そう。そいつが平野屋の手代の徳兵衛。Iのいいなずけだ。
結婚を控えて、今のIは人生バラ色のはずだが、その日の彼女は元気がなかった。
「どうしたんだ?」
おれが聞くと、Iは唇をかみしめた。
「あの人に、女ができたみたいなのよ」
「女!」
おれは耳を疑った。
「まさか。徳兵衛はもうすぐお前と結婚するんだぞ。そんなもんできるもんか」
「でも、見たのよ! あの人がお初とかいう天満屋の遊女と楽しそうに遊んでいる姿を!
それも、一度や二度じゃないわ!」
「あいつだって、女遊びの一つや二つや三つはするだろう」
「ううん。あれは絶対恋人同士だった……。あんないやらしいことも、こんな恥ずかしいことも、とても他人同士でできるわけないじゃない!」
Iはプリプリ怒っているうちに、泣きそうになった。
おれはなだめた。
「おいおい。何を見たのか知らないが、何かの間違いだって。今度、あいつに本心を聞いてやるよ」
翌日、おれは徳兵衛を近所の茶店に呼びつけた。
徳兵衛はいやいややって来た。
「何だ九平次。この忙しいときに」
「悪い悪い。結婚を控えて何かと忙しいんだったな」
「まーね」
「それにしても平野屋のおかみの姪のIに目を付けるとは、お前も隅に置けないな。平野屋には実子がないから、将来、平野屋はお前のものになるってわけだ」
「まーね。平野屋の主人も、近いうちにボクに店を継がせるって言ってくれているんだ」
「そうか。それはおいしい『逆玉』だな」
「うん。だからボクは忙しいんだ」
「でも、それだけじゃなくて、他にもいろいろ忙しいんだろう?」
「まーね。だから用件は何だよ?
手短に言ってくれ」
「ああ、言おう。おまえ最近、お初とかいう天満屋の遊女に熱を上げているそうじゃねーか?」
「……」
「Iが悲しんでいたぞ。『私、嫌われたゃったのかしら』って」
「嫌うわけないじゃないか!
大事な金づるを!」
「カネヅル?」
徳兵衛は慌てて不自然に笑って言い直した。
「い、いや。Iは大事ないいなずけだぞ! お初とは遊びだよ! 遊び遊び! 付き合い付き合い! 接待接待! あーあ、つらいよ営業は! ボクは君みたいに生まれついての店の後継ぎじゃないからな。丁稚(でっち)から成り上がった、たたき上げだからな。いろいろ苦労が多いんだよ〜。そのボクが、こんな『逆玉』の好機を自分から放棄するようなことをするわけないじゃないかっ!
ボクはIを好きだよ! 彼女の地位も環境も財力も、みんなみんな愛しているよ!
なんだ、その疑いの目は! やめてくれよっ! ボクはケッパクだよ! セージツだよ!
ああ、忙しい! じゃ、また今度なっ」
徳兵衛はいそいそと出かけていった。それは、天満屋の方角だった。
「どう考えても怪しい」
おれは徳兵衛の後をつけた。