2.なにかが起きる | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2022>令和四年3月号(通算245号)侵攻味 小田原城奪取2.なにかが起きる
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伊勢宗瑞は夢の意味を考えた。
「わしは子年だ。だから大きな杉の木二本をかじり倒すのは、わしなのであろう。――では、大きな杉の木二本とは何なんだ?」
すぐに思いついた。
当時関東では、扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)と山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)が覇を争っていた。
「なるほど。これはわしが両上杉氏をやっつけるという意味だ。虎になるのは、わしが両上杉氏に代わって関八州の盟主になるという予知夢だ。ヒャッホー!」
喜んでみたものの、信じられなかった。
当時の宗瑞は伊豆韮山城(にらやまじょう。静岡県伊豆の国市)主、伊豆一州だけの領主に過ぎなかった。
「わしが関八州の盟主になるには、まずは隣国の相模を併合しなければならない。しかし相模には『御三家』がいる」
両上杉氏のうち、相模に影響力を及ぼしていたのは扇谷上杉氏である。
その下で東半国を三浦氏が、西半国を大森氏が治めていた。
つまり相模を併合するには、この三氏を打ち負かさなければならないわけである。
「無理でしょ」
しかし、朗報が明応三年(1494)に入ってきた。
八月に大森氏の当主・大森氏頼(うじより)が七十七歳で、九月に三浦氏の当主・三浦時高(ときたか)が七十九歳で、十月に扇谷上杉氏の当主・上杉定正(さだまさ)が五十二歳で相次いで死んでしまったのである。
「僥倖(ぎょうこう)なり!」
宗瑞は喜んだ。
しかも、伊豆のすぐ隣、西相模を領する大森氏を継いだ大森藤頼は、ボンクラとうわさされていた。
「うわさが本当かどうか確かめる必要がある」