4.チクったろ

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森友学園問題
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4.チクったろ

 豊田正作はもう遠慮しなかった。
金次郎を追い落とす!」
 文政十一年(1828)、豊田は小田原の大久保忠真に讒言
(ざんげん)の手紙を書いた。
金次郎という百姓上がりのヤローが拙者の仕事の邪魔をして困っております。ヤツは私腹を肥やすことを考えているだけで、桜町を再興しようなどとは思っておりません。百姓たちは田畑を広げるために毎日毎日四六時中酷使されて疲れ果てています。金次郎に利権を奪われた名主らもよく思っておりません。どうか桜町の秩序を破壊している金次郎をクビにしてください。桜町を救う手はそれしかありません」
 まるで尊徳が極悪非道な守銭奴悪代官であるかのように、あることないこと書き連ねてやった。

 忠真は尊徳を小田原城に呼びつけた。
 一緒に豊田も呼びつけた。
「え! なんで俺まで?」
 豊田は不安になった。
「余は片方の意見は聞かぬ。双方の言い分を聞きたい」
 そういうことであった。
 豊田は追いつめられた。
(まずい! まずいぞこれは! これじゃあ邪魔していたのは俺の方だって、すぐバレちまうじゃないか!)

 尊徳と豊田は大広間で向かい合わせに座らせられた。
 ドン、ドン、ドン。
「お殿さまの、おなぁーりぃー」
 上座に忠真が登場した。
 お付きの侍が讒言の手紙を読み上げ始めると、豊田は硬直し、血の気を失った。
 手紙を読み終わると、忠真が尋ねた。
「二宮。豊田の訴えは以上だ。何か反論があれば申すがよい」
 尊徳は答えた。
「すべては私の不徳ゆえです」
「反論しないのか?」
「はい。私が桜町に赴任してから五年過ぎましたが、いまだ何も復興と呼べるようなことはできていません。このような役立たずは、豊田さまのおっしゃる通り、辞めさせるべきかと存じます」
 忠真は豊田に目を移した。
「おぬしは二宮の非を訴えた。二宮も自身の非を認めている。双方の意見は一致している」
「へ、へい……」
 豊田は拍子抜けした。尊徳は当然、反論してくるものだと思っていた。
(助かったのか、これは?)
 そうではなかった。
「――が、解せぬことがある」
 忠真がそうはさせなかった。
「なぜなのか、訴えられた二宮は堂々としているのに、訴えた豊田がビクビクしている。これはどういうことであろうか?」
 豊田は青くなった。
「どういうことであろうか?」
 忠真が言葉を重ねると、豊田はガタガタ震えてきた。
 忠真は豊田をにらみつけた。まなこより大きく開かれた口から、雷鳴のような声がとどろいた。
「豊田! どういうことか、真実を申してみよっ!」
「ははあー!」
 豊田はこれ以上小さくならないくらいに縮こまって平伏した。
「御推察のとおりでございます! 邪魔をしていたのは二宮ではありませぬ! 拙者のほうが二宮の邪魔をしていたのでございます! 桜町のチンピラやゴロツキどもを扇動し、二宮をおとしめるために、今までずっとネチネチと意地悪してきたのでございます! 二宮のせいではありません! 拙者の意地悪が桜町停滞の原因だったのです!」
「それならば納得である」
「へへえーっ」
「豊田。武士ならばどう責任を取るべきか、承知しておろう?」
「へへーっ」
「豊田には、切腹を申し付ける!」
「へへーっ」
「お待ち下さい!」
 尊徳が割って入った。
「豊田さまは悪くありません! 悪いのは私です! 切腹しなければならないのは、この私です!」
「何を申しておるのだ? 悪いのは豊田だ。二宮は被害者ではないか」
「いいえ、豊田さまが私に悪さしたのは、私のやり方がよくわかっていなかったからです! わけのわからない者を排除しようとするのは当然の心理です! お殿さまに対する、豊田さまなりの忠義だったのです! どうか忠臣豊田さまのお命をお助けください! ヘマをしたのはこの私です! すべては私の説明不足が招いた不祥事なのです!豊田さまを狂わせてしまったこの私にこそ、切腹のお下知を!」
(なんだコイツは……)
 豊田は混乱した。
(俺はコイツをおとしめようとしたのだぞ……。そのカタキを、なぜコイツは助けようとするのか……? それも、命をかけてまで……)
 わけがわからなかった。涙があふれてきた。ボタボタこぼれ落ちてしまった。
 豊田は激しく頭を振ると、どなりつけてごまかした。
「何を言っているのだ二宮! 拙者は忠臣ではない! おまえのような有能な部下をおとしめようとした不仁者だ! 悪いのは拙者だ! 拙者は武士だ! 武士らしく腹をかき切ってくれよう!」
「いいえ! 腹なら私が切ります!」
「俺が切るって言ってるだろうがー!」
「私が切ります!」
「俺の方がうまく切れる!」
「私のほうが上手です!」
「百姓上がりが何を申すかーっ!」
「だったらこの場でどっちがうまく切腹できるか比べてみましょう!」
「おお! 望むところだっ!」
 豊田はバッ!と上を脱いだ。
 尊徳も負けずにドーン!と脱ぎ返した。
「いい加減にせぬか!」
 忠真が言い放つと、自分もムキムキッボワーン!と、脱皮した。
 二人は驚いた。
「と、殿!」
「何をなされます!?」
 忠真は平然と言い放った。
「切腹するに決まっているではないか!」
「ええっ!?」
「どうしてお殿さままでっ!?」
「二宮の論理だと一番悪いのは余だ! 豊田と二宮両名を登用し、争いの大本を作った責任こそ一番大きい! 悪かった! このとおり、二人の前で切腹してお詫びいたす!」
 忠真は短刀を取り出した。
 ちゃらりーんと刃を光らせた。
 二人はバタついた。
 両脇から必死で止めた。
「おやめくださいっ!」
「殿は何も悪くありませんてっ!」
「そうなのか。それならやめるか」
 忠真はあっさりとやめた。
 上着を着直すと、短刀も片付けた。
「一番悪いと思っていた余が悪くないということは、もう誰も悪くないということだ。二人とも切腹は許さぬ」
「へへえー」
「ははあー」
「切腹だけではない。これよりはケンカすら許さぬ」
「へへえー」
「ははあー」
「二人とも協力して桜町復興に励んでほしい」
「へへえー」
「ははあー」

 この後、尊徳は新勝寺(しんしょうじ。成田山。千葉県成田市)に参籠した後、桜町復興に再尽力した。
 豊田はいったん小田原に戻されたが、後に尊徳に弟子入りし、『報徳教林』という書物を著したという。

[2017年3月末日執筆]
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